屋根裏部屋
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  1・・2・・3・・4・・5   ・・二次二次創作「舞う風のゆくえ」  
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少年は丘を越えて

 近衛隊の詰め所に向かって、チョロは全力で走っていた。すれ違う者みなが驚いて、危うく避けた後で振り返る。髪を乱して駆けてくる様子を遠く見ながら、スジニは詰め所の前で待ち構えていた。そういえば、チョロがこうして走るところなど、今まで見たことがない。慌てることなどないような男だ。
 笑わない王様みたいなものか。
 もう一人、慌てない男を思い浮かべてスジニの口の端が上がったとき、目の前を青い鎧が塞いだ。額にうっすらと汗を浮かべ、尖った目が据えられる。スジニの顔からも咄嗟に笑みが消え、不機嫌では負けぬとばかりに眉間が寄せられた。さらに意地悪く、スジニは腕を組んだまま黙って立っている。今日ばかりは、チョロが先に口を開いた。
 「あいつは」
 「あいつ?」
チョロは苛々と中を覗き込んだ。
 「サリフは。」
 「サリフ。異国の名だね。」
じっと見つめるスジニの視線を避けるように、チョロは落ち着きなく目を落とし、額に貼り付いた髪を掻き上げた。その肘を捕まえて引っ立てると建物の角を曲がり、人目を避けたスジニは再びチョロを見上げた。友人と近衛隊長と、半々の顔をしている。
 「あの娘、城下で人を切り刻んだよ。どういうことか説明して。」
 「お前が預かってくれて助かった。」
 「礼はいいから。」
促されて、チョロは言葉に詰まった。サリフに害をなそうとした者には違いないだろうが、まさか殺すとは。
 「首でも切られたか。」
どうしてこう、望んだ通りに会話が進まないのかと、今更ながらにスジニは呆れ、目眩がしそうだった。こちらが聞いたことには答えずに、自分が知りたいことを重ねて問い質す。問いに問いで返すのも王に似ていたが、こちらは無意識にやっている分、始末が悪いような気がする。ため息をついて、ようやく答えた。
 「首どころか。一体いくつの傷があるのかわからないほどの滅多切り。路地が一本血まみれだもの。チョロ。…風を操るというのはあの娘のことだね?」
 天を仰ぎ、ひとつ息を吐いてチョロが目だけで頷く。風のことを聞かれても、どうにも説明できないのだ。しばらく言葉を探したが、諦めてまたため息をついた。
 「おれが預かる。おれには風が効かない。」
おれには効かないって、だから何なんだと、スジニはチョロを見つめた。チョロの身には害が及ばないのなら、それはそれで結構だが—。ようやく汗が引いた端正な面立ちには、はじめて見るいくつもの表情が浮かんでは消えた。やがてスジニの口の端がにやりと上がり、改めて正面からチョロを見据えた。
 「風が効かない—。そうか、城主が風を封じるのじゃなく、風の女を鎮めるのか。」
 訝し気にチョロの眉根が寄せられた。その顔を面白そうにじろじろ眺め、やがて何に思い至ったのか、照れたように頭を振り、スジニは詰め所へ向かって先に立った。
 「任せるけど、その力を抑えられないうちは、一人歩きをさせないで。また誰が切り刻まれるやら。あ、そういえばあの娘、今回死んだ者を知っているみたいだった。何も言おうとしないから、事情を聞いてよ。わけがわかれば、閉じ込める必要はないかも。」
 スジニに随いて詰め所に入ると、サリフは腰が抜けたように椅子にぺったりと坐っていた。青緑の裳も薄碧の上着も、飛び散った血に染まっている。近衛兵が渡した手拭は、そのまま堅く握りしめられ、頬に散った血はすっかり乾いていた。青白い顔がチョロを見上げる。チョロはその腕を取り、まるで子どもにするように、ほとんど片腕に乗せるようにして抱き上げた。長い黒髪が腕から溢れてまっすぐに垂れる。話を聞け、スジニが声を出さず口だけを動かしてみせ、それにはただ小さく頷いた。近衛兵が興味津々で見送るのを尻目に、来た時とは違ってチョロはゆっくりと歩を運んだ。

 

 サリフは黙りこくっていた。主の気配を察した使用人たちは姿を消し、常よりもなお、家の中はしんと静まり返っている。珍しく風の気配がない。いつまでもただ黙っていられるチョロとこうして向き合って、サリフは先に口を開くしかなかった。
 「ごめんなさい。」
 家に着くまで、横抱きにされた鞍の上でもそれしか言わなかった言葉を、サリフはまた繰り返した。
 「知った者か。」
 小さな肩がびくりと震えた。こくりと唾を飲む音がして、まだ話していないことがある、そう前置きをつけた。
 「あれは死んだ夫の弟です。わたしの夫—兄が死んだ後、自分がわたしを娶ると言いました。国ではそうするのです。どちらの家もみな反対しましたが、それでもあの人は言い張りました。自分にはそうする権利があると。わたしは自分のもので、貰い受けないのは恥なのだと。」
 「追って来たのか。」
 「知りませんでした。今日会うまで。」
どうして殺すほどのことになったのか、それを聞くには、サリフが何をされたのかを聞くことになるだろう。チョロは押し黙っていた。いくら自分のものだとはいえ、こんなところまで追って来たのだ。女と自分の面子への執着は、並々ならぬものだろう。そういう男が自分の女を見つけ出し、次に何をするのか、浮世離れしたチョロにも容易に想像がついた。夫が死んだことといい、どうやら風はそういう時に憤るらしい。
 「そうなるとお前には扱えないのか。」
それでは風を操る者ではなく、ただ風に魅入られた者だ。サリフは蒼ざめ、黙って上着の紐を緩めた。
 夕暮れに向かって、部屋には灯りもなく薄暗い。殺風景なつくりの卓を挟んで、何をするのかと止める間もなかった。かすかに絹が鳴って、衿が抜かれた。剥き出しになった肩口が鈍く光っている。銀色の鱗が、白い肌を覆っていた。腰を浮かして伸ばしたチョロの手は小さく震え、そのまま拳を握って卓上に降ろされた。

 
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