屋根裏部屋
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  1・・2・・3・・4・・5   ・・二次二次創作「舞う風のゆくえ」  
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少年は丘を越えて

 国内城の城壁の外は、ところどころに木立が茂る心地よい草原が、ずっと練兵場まで続いている。城主の庭、スジニがそう呼ぶ辺りは、春には花が咲き乱れ、夏には涼やかな風が吹き抜けた。大樹が一本、若木を従えて堂々と枝を広げている。
 城外の何もないところへわざわざ踏み込む者は少なく、今は青龍将軍がうろつくからか、美しい野を知る者も、滅多なことでは入り込まなくなっていた。
 チョロにとっては幸運なことだ。人となって大戦から帰還した青龍の守護は、今でもその髪は碧みがかり、森や野を好んでうろつく。一体どこで寝ているのかと王も呆れるほど、与えられた住まいはいつももぬけの殻だった。

 

 その日も同じく。
 大槍を携え、チョロが木立を歩いている。馬を引き、おそらく一直線に気に入りの大樹を目指すのだろう。低い茂みの間を縫うように進んでいた。間彌城の樹々とは比べ物にもならないが、どんなところでも、チョロは気を通わせる樹木を必ず見つけた。そうして平穏を得るのか、かつての禍々しいような殺気はなく、最近ではだいぶ人間らしいという噂だった。そういう樹の根方に寝そべっているとき、チョロは穏やかに澄んだ赤子のような目を半分閉じている。それはせいぜい、スジニが知るだけの顔だった。
 大槍を立てかけようと長い柄が地を突いたとき、常にはないものがチョロの視界の隅を掠めた。美しい眉を不審気にひそめ、槍を抱え直して大股に歩き出す。大樹の向こうに、幾人かの影が舞った。
 中心に、女がひとり。青みがかった衣の立ち姿はほっそりと小柄だ。それを取り囲む男が五人。構えているのは短刀のようだが、身のこなしは武人ではない。一瞥してそれらを見て取ったが、一体なぜ、大の男が殺気だって女ひとりを囲んでいるのか。わからぬままに、チョロは密かに足を早めた。
 男の一人がおそるおそるにじり寄り、掴み掛かった。
 ざっ、と辺りの樹々が鳴る。地から風が吹き上げて、女の髪が生きた蛇のように猛然と逆立った。衣が身体に貼り付いて、まるで青い裸身だ。残った男たちが焦ったように動くと、一気に風が巻いた。
 悲鳴のような音をたてて宙を裂く突風に目を開けていられず、チョロは腕を上げて顔を庇い、次いで腰を屈めた。うなりを上げて風が過ぎる。頭を持っていかれそうになって仰け反った。それから身を立て直し、ようやく目を開いた。
 美しい野は、女を中心に、円くえぐられていた。その縁に男たちが点々と膝をついている。切り裂かれた衣から鋭い傷口が覗き、いくつかは血を吹いていた。ようやく立ち上がり、よろめきながら次々と逃げてゆく。その後ろ姿に、また風が強くなった。
 槍を支えに身を起こすと、一陣の風が向かって来た。風はチョロの眼前で渦を巻き、立ち往生して四散した。風を止めたものを探すように、女がゆっくりと身体を回す。チョロの姿に目を留めると、眉をひそめるようにして微かに笑った。

 

 眦のくっきりとした黒目がちな瞳が、じっと据えられた。ようやく袴が真直ぐに垂れ、稚い腰の線があらわになった。次いでそれを隠すように、裾の長い上着が身に沿った。きりきりと締めるように衿を合わせた首筋も、ほっそりとした少女のそれだ。まだ微風がまとわりつき、尻にとどく黒髪を揺らしている。
 女は、円くえぐられた中心をようやく離れた。ちぎれ飛んだ一輪の花を拾い上げると、哀し気に鼻先にかざす。それからゆっくりとチョロに差し出した。
 「あなたは平気なの?」
 ようやく女になったばかりというような、いかにも少女じみたようすが、常よりさらにチョロを黙らせた。もとより、答えられる問いではない。差し出された白い花を困惑して受け取り、チョロはそのまま眼前の女をまじまじと見つめた。背丈はようやくチョロの肩先ほどで、まるで見下ろすような格好になった。
 「あれらは何者だ。」
 ようやく口を開いた時には、ふたりして大樹の根方に坐っていた。どう切り出したものか、肝心の風のことが聞けないチョロは、改めて女を検分した。
 異国風の裾の長い上着も、細い腰を包む袴も、埃に汚れてはいるが絹だ。革紐で縛り固めた足元は、旅人の装束。どこから来たのにせよ、荷というものをほとんど持っていない。小さな行李を布に包んで、背に背負っていた。
 「もはや私にもわかりません。いろんな者がわたしを捕まえようとします。」
 何者から逃げているにせよ、こんな幼げな女がたったひとりで旅をしているのか。不審そうなチョロの気配には気づかないようで、今しがたの不思議な活劇を叱られたかのように、女はしょんぼりと頭を垂れた。
 「また、あんなことになった。」
 「お前の望まぬことなのか?」
 風を操るとは、いかにも異形の者だが、それは追われる謂れになるのだろうか。かつて神器を胸に埋め、樹木に囚われたようだった自分は、鬼神のように畏れられたが、かろうじて城主であった。
 ぽつりぽつりと少女は語る。
 はじめは夫の家から追われた。初夜の晩、風が夫を殺したのだ。狂ったように吹き荒れて、夫の身体はずたずたに裂かれた。自分の畏れを映したような風を、少女自ら畏れたが、夫殺しの新妻は自分の家からも追われた。噂を聞きつけたいかがわしい者らも追う。不思議な力は、物盗りにも戦にも、使いでがあるのだろう。長い道中、たったひとりの供だった乳母を亡くしてしまった。今ではただひとり、とうとう高句麗の都にたどり着いた。
 そこまでを短く語り、黙り込んだ。すっかり風は凪いでいる。それでもチョロは、物憂げにまとわりつく空気を感じていた。
 「名は」
 「サリフ」
高句麗の名ではないな。呟いたチョロの脳裏に、長い旅路が浮かんだ。いまや親からも追われる少女は、絶望を宿した暗い目で囁いた。
 「風、という意味だそうです。私が生まれたとき、風が吹いていたって。あなたはだれ?どうしてあなたは平気なの?」
 答えようのない問いがまた発せられた。この時から、チョロの胸には見張ったような眦の瞳が、サリフの胸には淡い希望が住みついた。
 「わたしはチョロだ。」

 
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