屋根裏部屋
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馬に踏まれる

4 侍従の心得・1

 朱雀将軍がそろそろと立ち上がる。見ているこちらがひやひやする。踵がそっと床についた。
 「しばらくは踵をつくたび響くが、すぐにそれも消えます。数日で腫れが引くと少し緩むから、そこでもう一度巻き直す。あとはひと月そのまま、ただ放っとけばよろしい。きれいに嵌ったから、元通り、真直ぐつながるでしょう。」
 「いや、素晴らしいな。まだ少しじんじんと響くが、これならすぐに歩けそうだ。ありがたい。」
 骨接ぎ爺は、満面の笑みで嬉しそうだ。それはそうだろう、まさしく晴れ舞台だ。おっと。立ちっぱなしで、さすがに将軍がよろける。咄嗟に腕を出して脇腹を支えた。軽い。しなやかな体だ…くそ、爺さんが余計なことを言うから、余計なことを考えるじゃないか。そっと将軍を支えて椅子に戻すと、必死に平静を保つ。侍従の心得。常に気配を消し、上つ方のお目に留まらず、お心を乱さぬように、だ。
 「杖を使って足を労った方が、治りが早い。杖はきっとお嫌でしょうが、ぜひ。」
 むくれた将軍の傍らで、陛下が吹き出した。確かに、将軍が怪我人よろしく杖をついて歩きたがるわけがない。
 「先生、お名前を伺ってもよろしいか。この度は来てくれて助かった。」
 なんてことだ、陛下が先に声をかけられるなんて。これにはさすがの骨爺も向き直り、低く頭を下げたのでほっとする。
 「フウ・リャンでございます。」
なんだかとぼけた音だ。異国の名だろうか。陛下はにこにこ嬉しそうに腕組みをしていらっしゃる。泥で汚れた上着が気になって、いてもたってもいられなくなってきた。
 「フウ先生、実に見事な知識と技術だ。どうかな、それをここらでまとめては。世に広げ役立てる気はないか。」
顔を覗き込まれ、肩に手を置かれても返事がない。
 「コムル人という学問の徒がいる。いろいろなことで先生を助けられると思うんだが。」
 「わしは遠く流れてきた異国の者です。元は燕で医術をやっておった。先祖代々の高句麗の敵でございますよ。」
 「敵と言いながら、なぜ今はここに?」
 「—それはまあ、住みやすいからでございますな。」
笑みが溢れた。それは光栄だ。
 「戦にうんざりして世を捨てられたか?いかにも、先生のやっていることは人の根本で、国などとっくに超えている。わたしも高句麗のために望んでいるのではない。すべての人の代わりに頼む。その頭の中を見せてくれ。」
 考えておいてくれ、忙しいかもしれないがまた診てやってくれと爺に言い、大人しくしていろと将軍に笑いかけ、陛下はすっかり安心されたように部屋を出ていった。執務に戻られるのだろう。
 「ああっ、お召し換えを!」
大急ぎで後を追う。抱えた上着を見ると、陛下は立ち止まって無造作に上着を脱いだ。回廊の真ん中でお召し換えだ。
 「あの賢人をよく連れてきた。」
一言おっしゃって肩をポンと叩かれた。思わず口元が緩む。
 「フウ先生と将軍の世話を頼んだぞ。」
 滑り出た先輩が、小走りに陛下の後を追った。将軍と…爺様か。

 

 杖を探していると、帰りかけたコムル人が山歩きの杖があるという。それを借りることにして部屋に戻ると、骨接ぎ先生の姿がない。ひとり、朱雀将軍が椅子で寝息を立てていた。
 よほどお疲れになったのか、珍しいこともあるものだ。夜具を掛け、そっと肩まで覆う。長い睫毛が影を落とし、将軍は健やかに息をしていた。痛み疲れってあるんだろうか。妙なことを考えながら、起こさぬように離れた。こうしてお側にいると、やはり女人なのだ。戦場での姿はあまりにも熾烈で、目の前の姿とはまったく結びつかないが、確かにどちらも将軍だ。
 先生は回廊の端でぼんやり庭を見ていた。今朝方、おふたりが雪玉を投げあっていた場所だ。
 「気骨のありそうな別嬪だ。お前が惚れ込むのも無理はないて。」
 「だから先生、冗談にならない。将軍だが陛下のお妃なんだから。」
 「太王陛下か。わしはそっちに惚れた。」
 「は?」
声に出さずにハハと息が漏れる。
 「諸国を流れ歩いたが、いずこの王も碌なもんじゃない。ところが国を治めながら、国など関係ないとはな。畏れ入った。あのでかい懐に触れたら、陛下に惚れない者はおらんだろうな?」
 「百済王以外はな。我らはみなそうしてお仕えしている。」
早朝の凍り付く空気の中、大きく腕を広げた立ち姿が目に浮かぶ。そうだな、おれも陛下に惚れている。君主としても。男としても。
 「しかし将軍に惚れるなんて言い方はダメだ。契丹人が触れようとしただけで、それはもう—。おい、先生、私はそんなに…」
 「わかりやすいし、からかいやすい。ひひ、お前が将軍をうっとり見ても、陛下はお怒りにはならんよ。」
 「へ?おい、うっとり!?」
 「ご自分に惚れ込んで命を張ってるやつに、そういうことでお怒りにはならん。それともお前、隙あらば将軍に何かするのか。」
 「ば、馬鹿者!そんなわけあるか!」
 「だろう?」
 嫌気がさしてきた。もうこの話は終わりだ。

 
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