屋根裏部屋
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馬に踏まれる

1 雪の朝

 今日はまた随分冷え込んでる。下男に炭を熾すように言いつけ、外を覗くと妙にしらじらとしている。雪だ。この冬はじめてのまとまった雪だった。これでしばらく静かになるだろうなあ。少し物足りないような気もするが、そんなことを言っては罰当たりだ。冬の間、山のけものは困るだろうが、われらは国内城に籠って英気を蓄える。そうしてまた氷が溶ける日がくるんだ—。
 下男がどこかに消え、とっくに炭は真っ赤になっていた。
 「おい、ぼんやりするなよ。」
ジョウンさんが火ばさみを取り上げて、手早く炭桶に放り込んだ。
 「お前、先の戦から戻ってぼおっとしてるなあ。」
すみません、すみませんと二度も頭を下げるはめになる。侍従の先輩は、何度めかになる話をまた始めた。
 「次は従軍に志願してみようかなあ。剣術は苦手だが、馬はまあまあいけるよ、おれは。陛下の疾走について走ったらどうだろうな?」
 「ジョウンさんなら大丈夫。」
これはお世辞だ。あんな勢いで走れるわけがないさ。何しろ寝る以外は走るんだから。そして地べたにごろ寝だ。肩布を巻き付けて、近衛隊の精鋭と一緒にだ。火ばさみを弄る先輩の手は真っ白で、タコなんか一つもない。従軍するなら次も自分だ。そうに決まっている。
 炭桶を持ち上げ、すぐにも行かなくちゃとそわそわしてみせても、先輩はまだ上の空で喋っている。
 「将軍が青ざめて倒れてらっしゃるとなったら、陛下が鬼神のように駆けられるのも無理はないよなあ。夜通し走って、しっかりと抱きあわれるなんてさ、お前は目の当たりにして果報者だ。」
こうしてまた責められる。
 「夜通しじゃないし、それに倒れてなんかないですよ。将軍は陣の前で乗馬を—」
 「わかってる、毒にやられて蒼白の顔色の将軍が——たとえだよ、たとえ。お前は詩心がないねぇ。」
やりにくい。でもおかげで話が途切れ、笑顔をつくったまま逃げ出すことができた。

 

 陛下の居間では、もう人が動いた気配があった。部屋の隅にある大きな火鉢に炭を入れながら見回すと、将軍の軍靴がない。
 もうお戻りか。ちょっとがっかりだ。言われるまま、朝のために炭を熾したが、陛下は不要とおっしゃるような気がする。
 今日に限らず、将軍は朝が早い。まず太子様と一日の始まりを過ごされ、また戻られる。陛下が手ずから鎧を着せられるようだが、実際のところはよくわからない。陛下のお召し換えを手伝って、簡単な膳をお出しした後は、給仕もみな下げられるからだ。その後揃って出られるが、お二人とも帰りは遅い。陛下の居室は、主が不在のことばかりだ。侍従になってはじめての冬、寝台以外を暖めたことはなかった。
 早朝に見かける将軍は、男でも女でもない不思議なかんじだ。髪をほどいたまま、まるで水の上でも駆けるような足取りで行ってしまう。もちろん目が合えば気にしてくださるが、透明な微笑みは、朝靄に溶けてしまいそうな儚さだ。戦で見た血まみれの殺気は、一体どこから来るんだろう?やはり陛下をお守りするとなると、特別な力が出るんだろうか。

 

 あはは!遠く子どものような声が聞こえた。空耳か?また何か声がする。部屋を出て、声がする方へ向かった。刺すような空気に、あっという間に耳が痛くなる。
 「こいつ!」
陛下の声だ。一体なにをお怒りなのか。そのまま走って回廊を突っ切る。雪の上に踏み出したとたん、いきなり冷たいものが首を打った。
 「いたっ!」
何なんだ。呆然とした後で冷たさがきた。ぶるっと首を振ると雪だ。雪玉が衿元から崩れて落ちた。
 庭は一面真っ白だ。もったりと雪に覆われて、いつもより狭く見える。
 「ごめん、動くものはつい狙っちゃった。」
は、何なんだそれは。陛下の呆れたような声。雪の中、白い夜着に裾の長い部屋着を重ねただけの姿で笑っておられる。足元は裸足に沓を突っかけただけのようだ。風に吹かれた雪が細かく舞い、起き抜けの乱れ髪に絡んだ。今朝は束ねずに、長く肩に降ろしていらっしゃる。
 向こうのほうで後ずさりながら、朱雀将軍が笑っていた。そこへ雪玉が飛んだ。それを素早く避け、声を上げて笑いながら将軍は行ってしまった。笑顔と笑い声だけが、雪の中にしばらく残った。

 

 「まるで子どもだ。」
答えようもなくて、私は黙って阿呆のように立っていた。陛下はゆっくり夜明けの空を見上げ、穏やかな横顔に雪が乗っては消えた。
 「今年は豊作だった。雪に閉ざされる間、民も飢えずにすむだろう。戦も畑もしばらく休みだな。」
誰にともなく言われる。大きく広げた両の腕が、この国を抱くようだ。雪を握ったらしい指先が赤い。眼を瞑った横顔に、すっかり見とれて動くのを忘れた。
 気がつくと、陛下は腕を組んで歩き出されていた。今日はこれ以上は積もるまい。太子が乗馬をするそうだ。あれではまだまだ馬遊びだが。
 急いで後を追った。久しぶりに長い衣をお召しになるかと思ったが、今日もやはり軍装だろうか。

 
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