屋根裏部屋
space
space
 <--TOP PAGE 朱雀の将軍 <- Back  
space space space space
line
space space space space
  1・・2・・3・・4・・5・・6・・7・・8・・9・・10・・11R18・・12・・13(了)  
space space space
朱雀の将軍

13 epilogue

 広大な領土を誇り、飛ぶ鳥も落とす勢いの高句麗の太王。朱雀の将軍が王の寵妃であると、今では誰もが知っていた。しなやかに千里を駆け、弓を取れば万軍を射る。
 そして人々はひそひそと噂した。見事な黒髪は閨でしか解かず、抱くとその血が炎のように熱いそうだ。どんな強国から縁談がこようと、王は片目をつむってお断りになる。
 わが後宮を統べるのは、ふたりの朱雀。今は亡き太子の母は、容火令天大王母として王妃の位に祀られる者。その妹、朱雀将軍は王のすべてを守護する者だ。わが後宮はふたりの朱雀で永遠に占められている。美しいだけの女人では不足だ。美しく、強く、聡い、朱雀将軍に勝る女人があるのなら差し出すがいい。

 

 「よくもまあ尻が痒くならないね。そうまで言われるとは、スジニもたいしたもんだ。」
パソンが饅頭を頬張ったまま言った。数種類の矢を前に、しげしげと見つめては指先で撫でることを繰り返し、正確に面の角度を捉えている。スジニはそれを矢羽根と組み合わせてパソンに示したりしているが、ことごとく首を横に振られていた。
 「わたしのせいじゃありません。頼んだわけでもありません。たしかに尻が痒いような話です。」
そっけなくスジニが返した。この大げさな言い回しはもちろん周辺国に向けたもので、婚姻で高句麗に介入しようとする国を牽制したものだった。ただでさえ複雑な外交問題と縁戚関係を太王はとことん分けた。

 

 「実際に私を知る人から笑われて困っています。」
そうか、と面白そうに王が笑った。スジニは蒸した肉にかじりついていた。
 「特にお師匠様をなんとかしてください。美しく、強く、聡い、ハ!」
ヒョンゴの口調を真似てみせる。スジニは鎧姿で、固く束ねた髪が一筋乱れて頬にかかっていた。太子宮の部屋から練兵場に通い、王の居室で眠る。こうして食事だけをともにすることもある。後宮の住まいは美しく設えられていたが、滅多なことでは使われなかった。一日中鎧を脱ぐこともあるが、そんな日は薄衣のまま王の寝間から出ないので、その姿は誰も知らない。
 「お前はそのままでいい。そのままがいいんだ。」
王の口癖だった。スジニらしい弓手の服装も、将軍として軍を指揮することも、ともに飲む酒も、王にはすべてが好ましかった。
 「お前は最高の友達だが、寝間でも最高だ。」
頬杖をついて、スジニの食欲を見守っていた王が呟いた。
肉を頬張ったスジニの頬に、うっすらと朱がさした。

 

 「でもお前はそれでいいのかい?」
 「それでって、なんですか?」
パソンが卓上の矢じりを腕でかき寄せ、身振りで人を呼ぶと片付けさせた。
 「いくらご寵愛といわれても、王妃じゃない。そこに死んだ姉さんが座っているというのは、お前もずいぶん気前がいいね。」
何度となく聞かれた問いにスジニは微笑んだ。
 「王様がお姉さんを王妃として扱ってくださって、私は嬉しいの。アジク—コリョン様の身は安泰だし、私は王妃になんかなりたくない。私は一番近くで王様をお守りしたいから。」
 「お前の姉さんという人は―」
ためらいがちに投げられた問いに、スジニは微笑んだまま黙った。パソンはどこまでをどのように知っているのだろう。キハの名は、わずかな人の胸に埋み火のように残った。黒朱雀として燃え上がった姉の姿はスジニの目に焼き付いている。自分がそうであったかもしれないという思い、自分と表裏一体の炎は決して忘れられないものだった。
 キハの証を残したい。アジクのためにも。思い切って切り出すと、太王はただ頷いた。スジニは王の目にアブルランサの熱の記憶を見た。キハの名をいっさい出さずに、その存在だけを留める方法を考えたのは太王だった。
 物思いに耽るスジニをパソンは放っておいた。ふたりの朱雀、それを胸に留めている数少ない者のひとりとして。
 「今日は将軍様だから仕方がないけど、いつもお前は夫があると思えない格好だね。王様はよく放っておおきだ。普通は自分の女にきれいな服を着せて、ほかの男に盗られないように隠しておくじゃないか?」
つっけんどんなパソンの声で、スジニは我にかえった。朗らかに声を上げて笑った。
 「王様は普通の男じゃないということです、パソン姉さん。」

 

***

 

 「お前は好きなものを着ている姿がいい。」
王は夜着に着替えたスジニを背中から抱いた。長い髪をまとめて片側に流すと、白いうなじが露になり、王は自分だけが知るその場所に唇をつけた。
 「何も着ていないのが一番きれいなんだが。」
胸元を探る手にスジニは笑って身体を捩った。
 「それであとは何だって?」
 「他の男から隠すそうです。」
 「そもそも後宮とはそういう発想の産物だな。男を近づけないようにできている。しかしそうして囲い込まなくても、お前に手出しする男などいない。腕ずくでどうにかできる男もいない。」
 「男と正面で組み合うなとー」
 「あれは戦の話だ。それにー油断はするなよーそれにお前がほかの男に心を盗られるわけがない。お前は閉じ込めたら死んでしまう鷹だろう?だから放し飼いにすることにしたんだ。」
王が微笑んだ。前に回した腕でスジニの細い身体を思い切り抱きしめると、その肩に顎を預けて囁いた。
 「いい考えだろう?」

 

***

 

 「子どもを産まないのかい。」
それは天に任せる、と言いかけて、スジニは天という言葉を呑み込んだ。釈然としない顔のパソンにスジニはただ微笑みを返し、新しい矢をよろしくと言い残して鍛冶場を出た。不用意にうろつくなと言われていたが、国内城はスジニにとって庭のようなものだ。路地裏の安酒場まで知り尽くしている。人々は楽しげに街を闊歩する朱雀将軍をよく見かけた。すらりとした漆黒の鎧に赤い徽章、腰に届く黒髪。目はあくまで鋭いが、一旦笑みが浮かぶと花のようで、やはり女人のそれだった。
 「護衛が多すぎる」
スジニは不満気に呟きながら背後を伺った。四人の兵がぴったりと沿って歩く。すぐに騎上の人となり、宮へと駆けた。
 新羅の特使の一行が、大通りを宮へ向かっていた。交差する路地の入り口で五騎ほどが道を譲っている。高句麗軍の見事な馬と丈夫をよく見ようと、首を向けた特使はその先頭を凝視した。
 「もしや、朱雀将軍かー」
逆光に漆黒の鎧が煌めいた。特使は首を廻して、いつまでも見入っていた。

しなやかに千里を駆け、弓を取れば万軍を射るー
抱くとその血が炎のように熱いそうだ。

 

(了)

 
space
 
space
    <- Back  
space
line
space space space space
 <--TOP PAGE 1・・2・・3・・4・・5・・6・・7・・8・・9・・10・・11R18・・12・・13(了)  
 
  space  
line
  space  
  Copyright © kuro-kmd. All Rights Reserved. since 2010.  
  space