屋根裏部屋
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朱雀の将軍

10 怒り

 先陣のチュムチは百済国境まで追うとそこに陣を張り、心配げに背後の様子を伺った。倭軍の多くが急襲に驚いて撤退し、王の狙った通りに百済の紛争地帯に戻った。前を塞がれたと知った時には、残る二方からも知らせが届く。海路を塞がれて撤退は不可能だ。三方に高句麗、残る一方の百済は味方のはずだが—
 戦場は切り立った細長い谷だった。細長く伸びた陣形は、間にぶつぶつと敵をくわえ込んだ。側方を押さえながら包むように騎馬隊が南下したが、思いのほか多くの敵兵が、撤退できずに高句麗軍に対面することになった。散り散りになった敵兵は予想外の行動をとった。北へ逃げ込むでも南へ戻るでもなく、その場で死力を尽くした抵抗をはじめた。山肌を駆け上がり上から後陣に襲いかかる。指揮系統が壊滅したそれは、もはや軍というよりは本能だけで動く手負いの獣の群れだった。
 スジニの駆る馬が飛び出した。手綱を放したままで、目にも留まらぬ速さで連射し、王の背後に回った数騎を射落とした。そのまま側方に向かう。味方の射手はその速さについていけなかった。蹄で敵を蹴散らし、息つく間もなくまた連射。瞬く間に敵兵が転がる。突然スジニの馬が大きく跳ね上がった。首に槍を受けて馬が引き倒される。横転する前にスジニが飛んだ。紐が切れ矢筒が滑り落ちた。
 捨て身で斬り掛かる歩兵に手間取り、誰もスジニに近づくことができなかった。王は一部始終を見ながら歯ぎしりした。自ら眼前の敵を斬り捨てて振り向くと、刀で切り結ぶスジニの姿があった。しなやかに反る体は戦場ではか細い。馬を駆る速さ、弓の威力では無敵だったが、地上に降りた鷹はあまりにも小さく見えた。屈強な敵兵が馬乗りになって刀を振りかぶった。打ち付けられて兜が飛び、スジニの黒髪が扇のように溢れる。雑兵め!知る限りの悪態が口をついた。女か、高句麗の女将軍か。片手で両頬をがっしりと押さえ込まれ、血走った目がスジニの顔を舐めるように見た。一瞬の隙があった。スジニの上で男が血の泡を吹き絶命した。自分に崩れかかった大男をようやく振り落とすと、背には太王の剣がめり込んでいた。

 

***

 

 王がお呼びだ。スジニは気が重かった。戦闘の後、太王からはひとこともなかった。相当にお怒りだ。ひとりで呼ばれるとは、これまた格別のお叱りがあるということだろう。チュムチが楊枝を使いながら慰めた。
 「それでも勝ったんだから、よしとしてくださるさ。戦とはそういうもんだ。今日は危なかったかもしれないが、お前はこうして生きてる。なにより、お前の勘が戻ったようで俺は嬉しい。」
 「…チュムチ。」
無茶をするからだ、とチョロの無言の叱責を背に感じながら、スジニは将軍の幕舎を出た。勝利の飯のあととあって野営地には活気があった。作戦通りに殲滅したから明日は早々に回軍の命が下りるだろう。あとは国境守備隊に合流して高みの見物だ。
 「将軍、お見事でした。さすがは高句麗一の射手。」
すっかり気を良くした兵たちから陽気な声がかかる。小さな弓隊を率いていた頃からスジニは兵に気安かった。兵もよく懐き、将軍となった今でもそれは変わらない。女の指揮官かと戸惑った兵もすぐに慣れ親しんだ。スジニは愛される将軍だった。

 王の天幕の前でスジニはしばらく俯いて考え込んだ。やりすぎたと自覚があった。雑兵に押さえつけられた屈辱、挙げ句に太王みずからを煩わせた。
 「スジニです。」
腹を括って呼びかけたが答えはない。普段ならばスジニが王の警護につくが、今回は騎馬隊と行動を共にしている。なぜ誰もついていないのかと不審に思いながらつかつかと入り、更に声を上げた。「王様、スジニです。」
王は一人で地図を眺めていた。鎧を解いた王の姿は全軍が安心して眠れる夜を示す。振り向いた顔は穏やかに見える。少しほっとしたがまだ安心できない。きっと理詰めで叱られるのだな。スジニは覚悟した。そのほうが応えると知られているような気がして、スジニは焦って先に口を開いた。
 「申し訳ありません。後陣を守っていましたが、先陣を逃れた敵が予想外に多く、回り込まれー」
一気にまくしたてるのを王が遮った。
 「まあ座れ。」
 王が立っているのに御前で座る事はできないと思ったが、再び促されてスジニは空いた椅子に腰を下ろした。王は口を開かない。スジニのほうが我慢できず、またもや先に口を開いた。
 「申し訳ありません。」
壁にかけられた巨大な地図を前に腕を組んで、王はしばらく百済のあたりを見つめていた。やがて後ろ手で顔を上げると、無表情に聞いた。
 「それで何が申し訳ないんだって?」
かつて見た事がないほど、王は怒っていた。
「とっさに作戦に背く結果になりました。申し訳ありません。」
「よくわかっているようだな。」
「勿論わかっています。でもー」
「でも、何だ。」
はじめて聞くような冷たい声色だ。
「しかしあの時側方に出た事は間違っていません。」
「そうだな。敵の流れを断った。だが。」
スジニの背に冷や汗が流れた。敵を威圧する高句麗太王の声音。王はゆっくり歩み寄るとスジニの背後に廻った。
 「いくらパソンの鎧でも、お前をもろともに串刺しにしたらどうしてくれるんだ。」
耳元で低い声が囁いた。それはそうだ、自分をも貫きそうだった太王の剣を敵兵から抜いたのはスジニだった。それを見た王はそのまま馬を返して帰陣してしまい、自分は配下の弓兵に拾われたのだがー
「戦況の見極めは正しい。ただもっと知らねばならないことがあるようだな。」
その瞬間、首筋に息がかかった。耳に口づけされたと知ると、スジニは血を上らせて椅子を蹴って立ち上がった。いきなり背後から羽交い締めにされる。
 「な…」
言葉を失ったスジニに王が応えた。
 「どうした。身動きがとれないか。」
そのまましばらく時が過ぎた。隙を見ては力を込めて捻ってみるが岩のように動かない。スジニの腕は痺れはじめた。

 
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