屋根裏部屋
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朱雀の将軍

8 鎧

 ヒョンゴが走っているとろくなことがない。息を切らせて駆け込んできた王事自身もそう思っていた。ぜいぜいと息をついて手元を探ったが、すぐに両手を膝について身を折った。
「術が苦手だから不要かと思ったが、歩くのも走るのも杖があったほうがたやすいものだ。なんでもいいから棒を用意しておいてくれ。」
 「王事たる方が棒なら何でもいいんですか。あれはどうです、偽の玄武様。」
スジニがにやにや笑った。壁一杯に地図を掲げた戦略会議室には、招集された将軍たちが続々と集まっていた。
 「あんなもの、雪嵐の中でどこかにいってしまった。悪い冗談を言うやつだ。」
ぷりぷりとヒョンゴが去ってしまうと、奥から侍従が出てきて控えた。じきに太王がお出ましになる合図だ。
 「先生が走り回っているから戦になるぞ。」
少し前のチュムチのぞんざいな予言が当たったということだ。チョロ、チュムチとともに、鎧をつけたスジニは将軍たちの最前列にいた。
 「やっと吊り包帯を外されたばかりだというのに、太王が出られるのか」
囁きが交わされる。将軍たちは、出兵についての予想や噂をそれぞれ小声で語り合った。
 「太王がいらっしゃいます。」
侍従が告げると、軽快な足音で王が現れた。黒地に豪奢な金細工の鎧姿、胴はパソンが新しく打ったもので、高句麗中で最も軽い。紫の紐をかけた太王の佩刀はその長駆に合わせた独特の長い柄を備える。端麗な鎧姿を見て、将軍たちは一瞬息をのみ、次に興奮した面持ちで誇らしげに陛下、陛下と声をかけた。王は最前に並ぶ三将を満足そうに見やり、朱雀将軍に目を瞑ってみせた。スジニも燃えるような目で応えた。最初の作戦が成功したからだった。

 

***

 

 鎧をつけてくれ、と言われたとき、スジニは自分の耳を疑った。
 王の居室には侍医のほかにはスジニしかいなかった。臣下としても女としても、半身を露にした王を直視することは憚られたが、スジニはそっと盗み見た。隆々と鍛え上げた胸、均整の取れた逞しい背にも腕にも、多くの傷跡がある。肩から腕にかけて、傷はまだ赤く生々しい。獣に襲われて裂かれたとでもいうような傷だ。易々と歩き回っていたのにこんなにひどかったのかと、スジニは目を背けた。王は包帯を替え終わったところで侍医を下がらせてしまった。スジニは王とふたりきりで居室に残された。
 「鎧をつけてくれ。」
王は首を廻してスジニを見ると、何事もないように言った。あと数日は動かさぬようにと繰り返し言われたのに?そういえばここ数日、王は腕を吊る包帯を外してしまっていた。呆気にとられるスジニに肌着を放ると、まっすぐに立って待っている。腕が上がらず一人では通せないのだ。
 「普段のあれなら一人で着られるんだがな。」
王は快活に顎で絹衣を示した。ああいうゆったりしたやつならごまかしがきくんだが。
 腕を上げさせ肩が動くと小さく呻く。傷が開くのではないか。躊躇する気配を察して王が言った。
 「いいか、どうしても鎧で将軍たちの前に立たなければならない。そして閲兵する。今、万全な太王を見せてやらねばな。わかるか。毛一筋も不安を与えてはならない。」
数日前から包帯を外していたのはこのために違いない。スジニはその周到さに驚きながらもますます心配になったが、王は穏やかに言った。
 「なんとか着せてくれ。裸の上に直にでもいい。」
結局包帯を薄く巻き直し、緩やかな上衣だけを着けてその上に鎧となった。出来る限りそっと着せかけるが、額には汗が浮いた。最後に革帯を締め、汗を押さえようと手を伸ばしたスジニの上でぱちりと目が開いた。手拭を持った手を、そのまま引き寄せられた。
 「おかげで助かった。」
髭の感触。片腕で抱きとめられ、唇が重なった。鎧と鎧がぶつかって固い音を立てる。革が擦れる匂い。もがいても動けず、やすやすとあしらわれてもう一度深く口づけられた。
 「人が来ます」
 「勘所があるんだ。」
なに?いきなり何の話かと固まるスジニに王が婉然と笑った。
 「動けないだろう?今度教えてやる。」
さらに舌が割って入った。どうしても抜け出すことができないスジニは口づけに溺れた。喘ぎながらようやく唇が離れた。
 「人払いしてある。こんな機会はめったにないからな。怒るな。」
効く方の手でスジニの頬を撫でた。
 「着てしまえば楽だな。外側に骨があって支えているようなものだ。」
楽しげな王は腰を下ろし、スジニを引き寄せようとしたが、柔らかな微笑みと拒絶に合った。
 「わたしが好きだろう、だから怒るな。」
 「お約束が違います。鎧でいる時のわたしは軍人だとおっしゃいました。高句麗の武将として扱うと。そのように接して頂かねば、わたしも困ります。とても—取り乱してしまいますから。」
最後に加えた自分の言葉にスジニは顔を赤らめた。一方の王は俯いて白い歯を見せた。
 「悪かった。」
 頭を上げ、目の前に立つスジニを見つめた。漆黒に見える鎧は、近くで目を凝らすと深紅のごく細い線で炎の模様が一面に象眼されている。両肩には赤い徽章が光っていた。細い腰に黒い革帯を締め、しなやかな脚は膝に届く黒い長靴で覆われていた。一筋に固く束ねた黒髪は背の真ん中を細く流れ、腰に届いていた。
 —何を着ていてもお前はきれいだ。今日のお前はまるで戦の女神だ。王は胸の中で呟いた。
 「お前がいてくれるだけでありがたいのに、つい欲が出る。」
正直な太王の言葉にスジニはますます顔を赤らめた。
 「そんな顔をされるとまた構いたくなるが、将軍、わたしの太刀はどこかな?」
スジニは慌てて太王の剣を取り上げた。スジニの体にはずっしりと重い。王は軽々とそれを片手で扱い、何か試す様子だった。スジニは先ほどの王の傷だらけの半身を思い出していた。ただの人間になった生身の王。自分が全身で守る、恋い慕うものだった。
 「どうした、惚れ直したか。」
片手で剣を振りながら、悪戯者の顔で太王の戯れは続く。スジニは将軍の顔を取り戻そうと焦った。

 
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