屋根裏部屋
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朱雀の将軍

3 古兵

 後燕との決戦といわれた戦いは結局天の力によって吹き飛ばされ、勝者も敗軍も無いような終わり方をした。燕は壊滅的な打撃を受けファチョンの影も消えたが、情勢が不安定なのに変わりはない。講和を旨とする太王がいくら戦を避けても、降り掛かる火の粉は払わねばならず、抑止力としても軍備は絶大な効果があった。幸い太王軍は再編に耐えるだけの兵力を持ち帰り、緊密な外交をしながら全力で立て直しにかかっていた。
 取り次ぎの侍従をそっと抑えて覗き込むと、そこは以前と変わらない太王の執務室だ。幾人もの書記がせわしなく立ち働き、見ている間にも書状が届き送られて行く。うず高い書類の中、高句麗の中枢部は目が回りそうな勢いで動いていた。まだ陽が高いのに王の目元には疲労が滲んでいる。スジニに気がつくとその目が和らぎ、入るようにと頭を巡らせた。
 「コ将軍のことは?」
スジニは王の机の傍らで、忙しそうなコムルの書記と目配せで挨拶を交わした。
 「まだお会いしていません。」
 「—コ将軍は左腕が利かないそうだ。コチュガは—膝を折られた。見舞いを断られたよ。じきに自分から宮に行くと、それが筋だと言ってな。まったく困った頑固者揃いだ。」
淡々と話す王には表情がなかった。筆が走る音が聞こえる。次にようやく口を開いたとき、王の目元はいっそう翳りが深くなった。
 「コ将軍の願いだ。お前を近衛隊長に任じる。」
目を見開いてスジニの表情が止まった。
 「王命ではない。断っていい。お前がようやく戻って—」
じっと見つめたまま口を噤んだ。たった今耳にした古兵のいたましい負傷と、その願いがスジニの中でぐるぐると回り、口を開いても言葉が出なかった。自分のために誰かが傷つくことをどんなに王が恐れているか、スジニはいやというほど知っていた。
 「少し考えてもいいでしょうか。」
スジニはようやく声を絞り出した。戦場を生き抜く勘が鈍ったと痛感していた。しかも近衛隊といえば貴族の子弟の花形で精鋭部隊だ。自分はそもそも軍人ですらない。
 「当たり前だ。体を癒しながらよく考えてくれ。ただーあまり長く近衛隊長の座を空けておけない。」
 「わかっています。」
王の目が頷いてようやく心から微笑んだ。
 「もっとわたしの側にいろ。床を上げた後どこで寝起きしてるんだ。」
 「案外近くです。」
スジニは悪戯っぽく笑うと、心配顔のコムル書記を避けて執務室を飛び出した。

 

***

 

 「俺は力が抜けてな、目は見えてるのに、身体がまったく動かず、生まれて初めて落馬した。チクショウ。だから、光が昇ったのは覚えてるな。あれは、先生、何かが俺たちの身体から出て行ったとか、そういうことか?」
 ヒョンゴにはまるで答えられなかった。
 さすがのチュムチも本調子ではないらしく、脇腹をかばって歩く。声をかけるとそのまま座り込んだ。それでも鎧姿で宮にいるということは、軍事絡みでいやいやタルビの膝を離れたのだろう。ヒョンゴは人通りに座り込んだ二人を見て呆れたように足を止め、忙しいと言いながら去ろうとしなかった。体を伸ばしてチュムチが唸った。
 「結局あれが壊れても俺は何も変わらん。落馬はしたがメシもちゃんと同じ味がする。お前はどうなんだ。すっかり昔の通りだがひらひらしたのはやめたのか。」
 スジニが戻った時、チュムチをはじめ皆その姿に驚いた。隠れ住む暮らしの中では、ごく普通の女に見えるように髪を伸ばしてチマをつけた。今、目の前のスジニは、変わらない華奢な体に革の胴衣をつけている。いかにも弓手というなりはたしかに昔と同じだが、少年のような細面は憂いのある女人の面差しになり、長い髪が腰まで届いていた。アジクの成長を見守り、王から離れていた年月。髪の長さは過ぎた歳月そのものだと思い知り、惜しむ気持ちが生まれていた。
 「スジニ」
とうとうヒョンゴが口を開いた。
 「近衛隊長、お受けするのか。」
チュムチはあっけにとられてスジニを見つめた。王から聞かされたのか、あるいは執務室の書記から伝わったのかもしれない。相変わらず情報通で心配性だ。スジニは俯いて笑みを伏せ、すぐにまっすぐ師匠を見た。
 「まだ聞いたばかりで、考えているところです。
 —コ将軍にお会いしました。」
そうか、と呟くとヒョンゴは笑って肩を回し、自分の足先を見つめた。
 「ハ、言わなくてもわかるぞ。将軍に会ったのなら、お前はもう決めたんだろう。」
 「考え中だと言ったじゃないですか。」
 「王様のお側に居ろ。やっとそう言ってやれる。近衛隊長とはあまり色っぽい話ではないが、なんでもいいからとにかくお側にいろ。」
言いたいことだけ言うと、ハハハと笑ってヒョンゴは行ってしまった。

 寝台で背を起こした将軍は、土気色の顔で訪問を受けた。やつれはてた身体に不釣り合いな眼光がスジニを待っていた。ちぎれ飛んだ腕の荒療治に布を噛むことを拒み、一言も発せずに耐えたという。左肘から先は無惨に失われていた。スジニは衝撃を受けて立ち尽くした。見る者を労って、老兵はかつて腕があったところにそっと布を掛けた。それから静かに言った。陛下を頼む。ただそれだけ。去り際にスジニは短く答えた。
「お受けします。」



「コ将軍はそんなに—」
チュムチの問いを避けて、スジニも姿を消した。ひっきりなしに文官が行き交い、座り込んだチュムチを流れの中の岩のようによけて歩いた。

 
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