屋根裏部屋
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少年は丘を越えて

 馬上の太王が近衛隊を従えて練兵場に入ると、切りそろえたように弓兵が並んでいた。スジニは鋭く辺りを見回す。ウルの姿はどこにもなかった。やがて隊形を維持したまま行軍が始まり、新兵を含めた弓兵は息を切らして駆け回った。
 一小隊を使って実際に敵に射かける訓練が始まった。合図の声で矢を放つと、すぐに後列と交代する。高句麗の布陣では、ここが前後に二重になっていた。後ろの列からは、さらに飛距離のある矢と射手が援護する。本物の戦闘では弓兵の前に歩兵がつき、すみやかに敵陣に迫っていく。息の合った盾づかいも必要だった。
 並べた藁束を針鼠のようにして、小隊が下がった。以前より格段に速くなっている。太王は満足げに頷くと、佩刀をかざして兵を労った。地から沸き上がるような兵の声がそれに応えた。

 

 一通りの演習を終えて、後についていたスジニが、最後尾のさらに後ろから一気に駆け上がってくる。王は目を細めてその早駆けを見つめた。すんなりと力の抜けた騎乗は動きがぶれず、いつもながら速い。ずらりと並んだ隊列の中央あたりにさしかかった時、突然スジニが身体を突っ伏した。さらに身を捻って避ける。ついに弾かれたように上体が踊った。隊列を挟んで射かけられる連射に、誰も気づいていなかった。
 スジニはどうやら騎乗したまま先陣に戻ったが、左肩をがっくりと落としていた。肩口を矢が深々と貫いている。ようやくがやがやと兵が騒ぎはじめた。将軍がやられた。誰だ、どうなってるんだ!異変を察して王の馬が一直線に走り出したとき、甲高い叫び声が上がった。
 「こいつは親の仇だ。こいつの矢でおれの両親が死んだんだ!」
スジニはようやく頭を上げると、走り出たウルをじっと見つめた。白い顔は青ざめ、薄赤い唇がますます際立つ。声を受けて、周りの兵がざっと引いた。兵たちは自分の仲間が将軍に弓を引く姿を呆気にとられて見つめた。いつの間に紛れ込んだのか、ぶかぶかの鎧姿だ。暗く燃える瞳に被る乱れ髪を煩そうに跳ね上げ、再びつがえた矢はまっすぐにスジニを狙っていた。じりじりと歩み寄る見覚えのある矢をスジニは見つめた。

 

 「—あの川で」
ようやくスジニは思い出していた。赤ん坊のアジクを連れて隠れはじめたばかりの頃。馬を狙った山賊に浅瀬を渡るところを襲われた。すでにどこかを襲ってきた後らしく、捕まっていた者らが叫びながら逃げ出して、川べりは騒然となった。スジニが数本射かけると、山賊は手近な者を捕まえては矢を防ぐ盾にしたのだ。ここで馬を奪われるわけにはいかず、アジクを抱いた暗闇で、人影と見れば狙わざるを得なかった。あっけなくいくつもの死体が転がった。そうだ、賊が、アボジ、オモニ、と呼び合っていた。一家で物盗りなどするなと、かっとしたことを今でも覚えている。スジニはどうやら浅瀬を渡り切った。幼かったウルはあの騒ぎをかろうじて生き残ったのだろう。
 弓を構えたウルは兵に囲まれ、今では何百という矢が全身を狙っていた。
 「おかげでおれは山賊一家に育てられたんだ。ありがたい話だろう。両親を殺した矢を返しにきた。」
スジニは無事な右手を上げて、取り囲んだ兵の弓を下げさせた。このように囲んで誰かが外しでもしたら、恐慌状態になる。ぱらぱらと空気が動く隙に、王が抜刀してスジニの左後ろについた。続いて近衛隊が間合いを詰めた。この場で、ただ一人スジニだけが、ウルの命綱になっていた。今思えばあの川べりで、手加減できたのではないかという後悔があった。馬に蹴られて肋を折られ、あれ以来馬が恐ろしくて近づけないという少年。きっとあの時、自分が蹄でウルを蹴散らしたのだ。
 「その腕を活かせ。」
 「あのな、お前を殺るためだけに鍛えたんだ。だからこうして活かしてる。」
スジニが哀し気に微笑んだ。ウルは弓を構えたまま、自分だけに向けられた微笑みに見入った。
 「そんな女は高句麗の弓隊長しかいないってさ。親の亡骸から必死で矢を抜く時、山賊どもが何と言ったかわかるか。こいつしっかりしてやがるって、こりゃあ値打ちもんだって笑ったんだぞ。しばらく山賊の飯を食って、ある日矢を盗んで逃げた。言ったろ、弓さえ上手くなれば生きて行けるって思ってた。いつか弓でお前を殺すのが生き甲斐だったんだ。」
 「お前の望みは、残念ながら叶えてやれない。」
背後に王の気配を感じてスジニは言った。死ぬことは許されていないから。
 ウルが笑った。赤い唇の端がつり上がり、美しい弓形の眉の下で煌めく瞳は、もはや何も映していなかった。
 「じゃあせめておれのものになってくれ。」
うっとりと、溶けるような目で少年が言った。みなその妖しさに魅入られたように静止していた。

 

同時だった。目にも留まらぬ速さでウルが射たのと、王の駒が宙を駆けて太刀が閃いたのと。ウルが放った矢の一本は太刀で弾かれて地に落ち、返す刀が少年の細い骨を砕いた。鎧もろとも胸を貫かれた少年は、笑ったままゆっくりと崩れ落ちた。
 その後ろで、馬上のスジニが揺れた。あわや落馬するかというところを、近衛兵が脇から支え、馬を廻らして駆け寄った王が抱きとめた。
 「どうした。どこをやられた。」
ウルが連射したもう一本の矢は、スジニの太腿の内側を射抜き、脈に触れたらしい鮮血が吹いていた。そのままスジニを自分の鞍に移すと、横抱きにして王はスジニの馬の手綱を切った。手早く脚の付け根を縛ると、鞭をあてて王宮へと走り出した。
 みな、なにが起きたのかわからなかった。侍従と近衛兵がようやく王に続いて走り去った後、兵たちはぼんやりとその場に突っ立っていた。やがて一人が叫んだ。こいつ、生きてるぞ。黒い血溜まりで、ウルの指先がじわりと握られて土と血反吐を掻いた。

 
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