屋根裏部屋
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少年は丘を越えて

 スジニが身を反らし、続けて目にも留まらぬ速さで地を転がった。一本の矢がスジニの胸があった場所を通って、斜め横から的の真ん中を射た。また誤射か!弓場は騒然となった。宮殿のそれとは違って、練兵場の弓場は広く、二方は馬場に向かって完全に開けている。たとえ警戒していても、射られた瞬間の兵の動きを把握することも、外部から放たれたのか確認することも不可能だった。
 「将軍、大丈夫ですか!」
ゆっくりと立ち上がり、スジニは的に向かって歩いた。力を込めて矢を抜く。やはりまた同じだった。昔の自分の矢。
 「ヘタくそなのか上手いのか、これではわからない。とにかく真っすぐ前の的を狙わないと。」
スジニが言うと、兵たちからほっとしたような笑いが漏れた。傍らの隊長に、これは誰にも言うなと首を横に振る。スジニは弓場をゆっくりと見渡した。目が合ったウルがにっこりと笑う。そのまま頭を回そうとしたスジニの視界の端に、赤いものがちらりと映った。はっとして目を戻すと、先ほどとは違う笑顔でウルが笑っている。口の端が弓形につり上がり、同じく弓形の形の良い眉が吊り上がっていた。赤い唇が目につく。
 —してやったりという顔で笑っていたぞ。妙な気配で—
王の言葉が胸をよぎる。スジニの凝視に気がついたウルの顔から、不思議な笑いはあっという間に消え失せ、少女のような整った顔にはにっこりと別の笑いが浮かんだ。突然疑いが起こった。お前なのか。スジニの胸に巣食った根拠のない疑念は、根拠がないまま確信に変わっていった。でもなぜお前なのか?
 太子への誤射事件以降、弓隊は宮殿の弓場に入れなくなった。スジニが訓練に立ち会うこと自体めっきり減っていたが、明日は太王臨席の閲兵だ。自軍だけとはいえまともに行軍させねばならない。そこで久しぶりに調練に来たら、また自分の矢が飛んできた。スジニは常に視界の端にウルを捉えながら弓場を一通り見回した。集まっていた隊長らが、明日の閲兵について声をかける。手短に答えながら振り返ると、ウルの姿が消えていた。
 クソっ!
なおも話しかける隊長らをその場に残し、スジニは馬へ走った。馬の手綱に手がかかろうとしたとき、一本の矢が指先を掠めた。さらにもう一本。鼻先を掠められた馬の息が荒くなる。スジニは矢が飛んできた方向を鋭く睨みつけた。弓を構え、ぴたりと狙いをつけたウルが木陰から姿を現した。

 

 しばらく睨み合う間、ウルは隙を見せなかった。自分が構える間にこいつは五本も射るだろう。少年は狙いをつけたまま、こちらへ来いと頭を巡らして木陰に入っていった。やむなくスジニは従った。聞かねばならないことがあった。
 身振りのままに歩を進め、ついに矢じりが触れそうな距離になった。ウルはうっとりとした微笑みを浮かべて囁いた。そこへ座れ。膝をつくんだ。手を後ろに組め。数本の木立が姿を隠し、ふたりは弓場から完全に見えなくなっていた。
 「すごくいい格好だ。隊長。あ、好きに呼べって言ったよな。」
頭に矢じりが突きつけられていた。
 「高句麗の弓隊長が跪いてる。いい気分だ。」
 「なぜ隊長と呼ぶ?そんなに昔のわたしに用があるの?」
スジニの言葉に、少年はぎくりと動いた。恍惚とした表情が一変して険しくなり、頭に矢を押し付けて怒鳴った。
 「うるさい。喋ってるのはおれだ。黙れ。」
沈黙が襲った。
 「きれいな指を掠っちゃったな。ごめんよ。痛かっただろう?」
頭を動かせずに、スジニは必死に目だけで少年の表情を追おうとした。目の端にうっとりと笑う美貌がある。スジニはぞっと背が冷たくなった。
 「お前は—お前は誰?狙いは太子様なのか?それとも」
くっくっと笑いが漏れた。
 「おれが誰かって、さすがに気になるよなあ。こんなことになったら。」
決して手が届く間合いに入らず、弓だけで脅す度胸にスジニは感嘆すらしていた。あの腕前があればこそだ。それでも縛られているわけではない。一人ではそれはできまい。スジニはじりじりと後ろ手をもみ合わせ、膝をついて固くなってきた足首を回した。
 「太子って、あんなガキ。隊長が勿体ない。ちょっと挨拶してやっただけだ。」
 「大した度胸だね。弓だけでこんなことを。」
正直に賞賛した。ウルは意外そうに、そして満足そうに笑った。
 「弓だけでは触れられないのが珠に傷だけど。ああ、その指、血が出てる。ほんとうならその指を口にいれて舐めてやるのに。」
 想像でもしたように薄赤い唇を舌先が舐める。スジニは少しだけ顔を廻してウルの目線をようやく捉えた。指を口に入れるだと?そのまま舌を引き抜いてやる。スジニの瞳が燃え上がり、煽るように言った。
 「わたしが欲しいと言った、あれは本心なの?」
 「だっていざ見つけたら、隊長すごくきれいで惚れちゃった。なに、もしかして命乞い?」
 「そんなわけが—ないだろう!」
スジニは身体を大きく反らし、そのまま倒れ込んで腰を軸に脚払いをかけた。ウルは数間もふっとび、飛ばされながらも弓を離さず狙った。矢筒が転がっている。連射はない。
 スジニは思い切って木の陰に跳び込んだ。足先を掠めるように、木の幹に矢が突き立った。
 「お前は誰だ!」
 「自分に聞けよ!昔の自分に!」
走り去る足音を追って出たが、すでに少年の姿はなかった。

 

 昔の自分に聞け。
 その夜、王がスジニの指先を口に含んだ時、痛みに小さく呻きながらウルの声が頭に響いた。わたしを見つけた、と言っていた。
 「何があった。」
じっと目を覗き込まれたが、スジニは説明することができなかった。ただ賊を逃がしたとしか。やはりあの少年だったが、問い質す前に逃げられてしまったと言うと、王はゆっくりとスジニの指を離した。
 「あんな子どもがなぜ太子の命を狙う?」
狙いは自分らしいとようやくわかった。そしてあれは蛇だ。スジニは黙って王の肩に凭れた。目の裏で赤い舌がちろちろと動いた。

 
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