屋根裏部屋
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少年は丘を越えて

 揃いの黒い鎧で近衛隊が現れると、弓場の兵士たちはちらちらとそちらを窺った。近衛隊の拵えはスジニで見慣れていたが、こうして城内に一隊で現れるのは珍しい。太王はほんの数人のお付きだけでぶらぶらとどこでも歩き回ることを、新兵もすでに知っていた。
 スジニが急ぎ足で歩み寄る。一行が付き従っているのは太子だった。コリョンの一行に王も加わり、少し離れて弓場を見回していた。兵たちは思わずそちらに気を取られ、手を休めて自然に頭を垂れた。スジニが太子に微笑みかける。母代わりの将軍はつい手をだして、風にもつれる太子の髪を顔から払った。何事か話しかけた王が笑い、太子もスジニも続けて笑った。
 「王様んちはいいよなあ。見てみろよ、絵に描いたようなご一家だ。」
 「太子様はなんで弓場を見に来たのかね。弓はいつも将軍がつきっきりで教えてるのに。」
 「おいくつになられたんだ?ころころよく笑われるなあ。」
 「朱雀の将軍も太子様には甘いらしいぜ。」
人前で一家が揃うことはあまりなく、兵たちは小声で囁き合った。囁く人垣の後ろを小さな影が音もなく通った。

 

 鋭い風切音がして、咄嗟にスジニは太子の胸に腕を回すと力任せに引いた。ぐっと反ったコリョンの頬の高さを矢が掠め、藁束に命中した。
 一瞬の静寂の後、あたりは騒然となった。近衛隊士が王と太子を瞬時にぐるりと囲む。つかつかと歩み寄り、強張った表情で藁束から矢を抜いたスジニは、信じられないものを見た顔で抜いた矢を凝視した。コリョンはいまだ何が起きたのかよくわからないようで、殺気立った近衛兵を見回している。
 「太子様はすぐに宮殿へお戻りください。弓場はまた後日ご覧にいれます。」
スジニは侍従に目配せをして太子の背を叩いた。
 「誤射なのか。」
厳しい顔で王があたりを見回した。普段身内には向けられない声音に、あたりの空気が凍った。
 「今射た者—」
弓場は物音一つなく静まり返った。
 「全員その場を動くな。弓筒を下ろせ。」
スジニはそのまま弓場を一周し、自ら全ての矢を確認した。
 「お話があります。」
王の側に戻るとスジニが囁いた。
 「訓練に戻れ。」
兵に対して短く言うと、将軍の控え室へと王を誘った。完全に人払いをして近衛隊に囲ませると、スジニは一本の矢をことりと置いた。さきほど藁束から抜いたもの、コリョンの頬を掠めたものだった。
 「これがどうした。」
王の問いに、スジニがためらいながら答えた。
 「これはわたしの矢です。」
 「—なに?」
 「しかも今使っているものではありません。昔—お側を離れていた頃の。」
王は卓上に置かれた一本の矢をじっと見た。たしかに、古いものらしく、竹の色は飴色に変わり、矢羽根もぼさぼさと古びて色が抜けている。矢じりの返しは黒く変色していた。これは血だ。拭われ黒く乾いているが、確かにこれは以前に誰かの肉を貫いたものだった。
 それとスジニとを交互に見ながら、王はじっと言葉を待った。スジニは大きく息を吐いた。
 「何者かが、昔のわたしの矢を太子様の鼻先に打ち込んだ、ということのようです。」
 「心当たりは。」
スジニは首を振って苦々しく笑った。逃げ隠れる間に、どれだけ矢を射たかわからない。女子供と見て物盗りに襲われることがしばしばあった。だんだん目立たない暮らしに慣れ、こつをつかんでようやく矢を射ることは減っていった。
 「身を守るために、何本の矢を失ったか覚えがありません。」
 「血が付いている。わざわざこれを使うのだから、何か恨みでもあるのかもしれない。しかし、その頃太子は幼いからな。身分も知れてはいなかった。」
スジニは腕を組んで考え込んだ。
 「とにかく、しばらく太子は外に出すまい。お前も気をつけろ。言いたくないが、お前の軍の者と思う方が妥当だ。」
申し訳ありません、頭を下げるとスジニは唇を噛んだ。本来、外郭といえど、宮殿の弓場には近衛隊しか入れない。今はスジニが弓隊を束ねているので、今日のように兵の訓練に使うことがあった。身元がしっかりした近衛隊士とは違って、軍の兵は何者が混じっているかわからない。
 「今後は中の弓場は使いません。身元の怪しいものがいないか、もう一度調べます。」
そう言うと、頭を上げて目を瞑りまた大きな息を吐いた。民の身元を調べてもそうわかることはないだろうが、それでも自軍が信用できないままでいるよりはましだった。あれほどの思いで守り抜いたアジクが、こんな風に脅かされるとは。
 「大丈夫か。」
労られるほどスジニは辛くなった。王もそんなスジニを知っていたが、構わず手を伸ばし、指の背で頬を撫でた。
 「はい。太子様に二度とこのようなことはさせません。」
そう言ってようやく目に力が入った。王はただ一言、頼んだ、とだけ答えた。

 

 王と供に残っていた近衛隊も足早に去り、スジニは控えの間で爪を噛んで立ち尽くしていた。時々じっと古い矢を見つめる。ウルが足音を忍ばせて入り込み、卓上の矢を見て密かに口の端を上げた。それからスジニを見上げると、機嫌を伺うように口を開いた。
 「あっという間に近衛隊が取り囲んで、凄い殺気だった。太子様は何が起こったか気がついてないようだったけど。だれか忍び込んでいたとしても、あれでは次は射てない。」
スジニは厳しい表情のまま、頷いた。
 「そのためにお側にいるのだから。」
 「もし隊長に当たったらと思うと、どきどきしたなあ。でもそしたらおれが一番にかけつけるんだ」
ウルの言葉は厳しく遮られた。
 「わたしに当たるべきなの。王様でも太子様でもなく。もう行きなさい。」
ウルはちらちらとスジニを窺ったが、何の表情も読み取ることができなかった。所在無げに立ち上がり、数歩行ったところからじっとスジニを見つめた。自分に注がれる暗い瞳にスジニは気がついていなかった。

 
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