屋根裏部屋
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遼東にて

2 ふたりのタムドク-3

 約束の刻限が近づいていた。だだっ広い野の真ん中を、切るように進んでいた隊列が止まった。太王に続いてスジニも一旦絞った手綱を緩め、馬を楽にしてやった。その周りを幾重にも近衛兵が固めた。
 契丹、後燕、高句麗の三国が境を接する辺りだ。ほんの一歩南下すれば遼東に入る。敵の目と鼻の先にたった二百騎で立ち止まり、スジニは油断なくあたりを見回していた。アティラが契丹兵を率いて距離を詰めているはずだが、今はその影も形もない。まだだと重々わかっていたが、もう一度同行のコムル人を振り向いた。その首がまた横に振られるのを見て、苛々と数回鐙を踏みつける。美しい鈍青の絹が革の長靴に踏まれ、小さな悲鳴を上げて裂けた。
 「ああ…」
諦めも混じる侍従の呟きに、将軍は耳聡く難癖をつけた。
 「なに」
そっぽを向いたまま太王が笑った。舌打ちをして鐙に立つと腰を浮かし、裾を跳ね上げる。スジニは不機嫌の絶頂にいた。
 同じ名の男が遼東の王だという。しかもそれは北魏と後燕から、領土をもらった王だというのだから!王様とその者をごっちゃにしている者までいるという。高句麗の太王が、北魏皇帝から領土を「もらう」!?そんなことを言わせておくなんてどうかしてる。だいたい、呼ばれてふたつ返事でのこのこと宴に行くなんて。たったこれだけの手勢でどうやってお守りするというのだ。
 「罵詈雑言を詰め込んだような顔をしてるな。頼むからそのまま胸にしまっていろ」
悪戯っぽく煌めいた目が、上から下へとスジニを眺めまわした。
 「よく似合ってるじゃないか」
もう少しで叫び出すところを、スジニはかろうじて押え込んだ。火でも飲み込んだような顔をしている。身に着けている美しい絹は、その遼東の王から届いたものだった。

 

会見場はそのまま太王軍の陣になった。突厥人は居心地よく「家」を整えるだけでなく、優れた狩人、料理人でもあった。
 「安族の土産話をもってもう一度お戻りください。それを肴にわれわれも宴にしましょう」
通訳の姿はなかったが、太王はユイグルの言葉に笑って頷いた。あれでわかっているのだろうか。スジニの頭が、大振りな椀越しに傾げられた。
 実に美味い肉粥だ。こういう飯は小軍の恩恵でもある。戦ではないから時間もあるし、みながそれぞれ狩りをして、行き渡るだけの新鮮な肉がすぐに手に入った。雑穀を入れて煮込んだ粥は、西域のよく薫る草の葉が効いていた。
 それぞれ椀を抱えて車座になった一同の天幕を、近衛兵が躊躇いがちに覗き込んだ。
 「なんだ?」
汁を流し込みながら、スジニが振り向いた。
 「安族から贈り物です」
 「なに?」
むせ込んで、匙を持ったまま胸を叩く。平たい布包みが差し出された。
 「開けてみろ」
太王の命を待つ間もなく、スジニは包みを開いた。現れた鈍青の絹を持ち上げると、細く腰を締めた丈の長い上着だ。腰下には長い切り込みが入れられて裾がふわりとなびいている。鮮やかな藤色のほうは襞のないぴったりとした裳だった。
 立ち上がって腕を伸ばし、艶やかな絹をかざして固まったスジニは、そのままゆっくりと体を回して太王に向き直った。
 「それは…どう見てもわたし宛じゃないな」
ユイグルが吹き出した。次いでアティラが椀を置いた。笑いを堪える三人の男を睨みながら、手甲をつけたしなやかな腕がゆっくりと下ろされた。乱暴に畳んで元通りに布で包むと、どかりと音をたてて坐り込み、スジニはまた椀を取り上げた。
 「それを着て来いということだな」
 ぐふ、と笑いが漏れた。アティラを睨みながら、スジニは不機嫌そうに椀を掻き回した。
 「わたしを馬鹿にしてるんですか?これを遣わす、着替えて来いと?」
コムル人がちょうどユイグルのところに戻ってきた。場を外していたことを詫びながら、何があったのかと目だけで探っている。なんだと聞かれて、前後がわからぬままに、スジニの言葉を言い換えた。
 「ええ、と、将軍は怒っています、その—
」
わははと剛胆な笑いが起こり、ユイグルはようやく喉元で粥を押さえ込んだ。そのままスジニに向かって発した言葉を、コムル人が笑いを堪えて伝えた。
 「喉元に剣を突きつけられながら、あやつはじっと妃殿を見ておった。朱雀将軍に太王妃として来いと言っておるのだろう。それにしても、御身にぴったりと添いそうな衣だわい」

 

 みなの腹が満ちて天幕が空になった時、太王は自ら包みを解き、絹を広げてしげしげと将軍の身体にかざした。
 「鎧姿で喧嘩を売ったお前に、衣でも誂えたつもりだろう。拒絶するまでもない、なんということもないという顔で、着てみせてやるか」
 「これを着て行けと?王様は正装されて、わたしは衣を下賜されて、それじゃあまるで、呼ばれて参じる—」
 「正装などするものか。わたしはこの格好で行く」
黒づくめの普段のなりで、太王があっさりと応える。突きつけられた衣を不承不承受け取ると、スジニは諦めて背をむけた。王が鎧の紐を解く。胴を抜いたそばから荒っぽい仕草で絹を羽織った。動くと裾が割れ、ぴったりと腰についた袴と膝上まである長靴がのぞく。細腰が強調され、すらりと伸びた脚の線がいつもより艶かしい。
 「ユイグルの言う通り、いやらしいほど身体に沿うな」
卓に肘をついて、呆れたような顔で太王が呟いた。スジニの眉をひそめた横目が卓上の包みを滑り、ふん、と顎を上げた。黒い革の胸当てを取り上げると、絹の上から巻いて具合をみている。
 「ではこれだけ着ます。裳などつけてはなにかあった時に動きがとれません。それに王様の支度と釣り合いが取れて丁度いいでしょう?」

 

ようやくコムル人が頷いた。アティラ率いる契丹軍が、応戦可能な距離に入ったということだ。スジニが手を挙げると近衛兵が隊形を整える。ゆったりと動き出した太王の一行は、すぐに迎えの一騎に出会った。
 薄青の衣の袖を翻した姿に、すわ、あいつかとスジニは気色ばんだが、それは驚くほど容色の似た別人だった。
 「こやつら、みな同じような顔なのか」
呆れたようにスジニが呟く。聞こえるはずもない距離で青年が振り向いた。笑いもまた、同じだった。冷たく、そして妖しい。
 太王は泰然と馬を進め、スジニもおとなしく従った。またもや現れた婉然とした若衆に、近衛隊は出端をくじかれたように止まっていたが、それでもすぐに気をとりなおし、太王と将軍を整然と追い始めた。

 
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