屋根裏部屋
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遼東にて

2 ふたりのタムドク-1

 書記が差し出した書状を、ユイグルは丸い肩を屈めて恭しく受け取った。丁寧に文字を追う頭がゆっくりと動いている。『ユイグル』—ようやく聞き取った使者の名を反芻しながら、太王の脳裏にも書状の文面がさらさらと流れていた。
 ——友好に基づき共栄を計ること。もし事あらばその時は、団結をもって共闘することを誓う——
 賛同する部族長たちが書状に名を記して返す。そこに高句麗王の紋章印を贈ることになっていた。有事の際にはその印で国境が開く。間に契丹を挟むとはいえ、遠く離れた友の存在は心強かった。なにより商いの道を伸ばす約定ができた。契丹をはるかに越えた西国へと道は広がり、人や物がますますさかんに行き交うだろう。あからさまな共同軍事より、こうした緊密なつきあいは他国をじっくり牽制する。今の繁栄に至る多くの経験から、高句麗が学んだことだった。
 頷いて頭を上げた使者の手から書状を受け取り、侍従のジンシクが丁寧に巻いた。木箱に収めたそれをさらに絹で包んで紐を掛ける。器用に花形に結び終えた時、スジニが天幕をくぐった。
 肩布を翻して歩くしなやかな姿は視線を集め、近衛隊長はぴんと伸ばした背を倒して太王の耳元に唇を寄せた。
 噂の一族から、使いです。
 さらに二言三言、何事か囁く。王が顔を背けて苦笑した。笑みを残したまま頷く。それを受けたスジニも口元を上げて頷き、ついて来た近衛兵がまた足早に出て行った。
 「失礼した。安族の使いが来ているそうだ。」
通訳がまだ言葉を終えないうちに、ユイグルの満月のような顔の中で小さな瞳がいっぱいに開いた。それからすぐに、にやりと口の端がめくれ上がった。まるで獲物を仕留めた大猫のようだ。その向いではアティラが髭を捻って唸った。
 「太王陛下御自ら、鼻先をうろうろした甲斐があったのでは?だがしかし、まさかこうして出てくるとは。それにあまりにも早い」
 「後燕は?」
 「少しでも動けばとっくに伝わっている」
 「では安族は…」
 「この速さは独断でしょうな」
こうして即座に敵が動くのを見て、スジニは改めて王の大胆さに肝を冷やした。自軍はたかだか二百騎。契丹は百騎に満たない。しかしこの編成ならばどのように追われても楽々と振り切ることが出来る。
 それにしても。国を率い、あるいは代表する三人の男は、それぞれ頭のなかで思惑を掻き回しているのだろう、黙り込んで薄ら笑いを浮かべている。いささか不気味な光景に、スジニは半ば苦笑しながら天幕に近づく足音を聞いた。

 

 戸惑ったような近衛兵の顔が覗いた。続いてもう一人が天幕をくぐる。従う者の姿に、天幕の中の目という目が釘付けになった。
 小旗を背負って笠を被り、遠目にはいかにも埃っぽい伝令のなりに見えたが、馬を下りた男は足元を解いたのか、白絹の裾を翻して音もなく歩いていた。つるりと白くなめらかな顔に墨を掃いたような眉がくっきり浮かび、伏せられた目元は切れ長な蔭を作っている。細く通った鼻梁の下で、軽く結ばれた薄い唇はかすかな血の色。薄青の上衣の袖も裾も長く垂れ、それを引き合わせて手元を隠し、深紅の細い絹包みを胸に抱いていた。細腰がしなやかに動くと、うなじをあらわに高く結わえた長い黒髪が艶やかに揺れる。絹紐の蒼い毛房が髪に混じって一緒に揺れていた。見目麗しい若衆の姿に、薄暗い天幕は少し明るくなったようだった。
 呆気にとられながらも、スジニは無遠慮な視線をぶつけて痩身の優男をじろじろと検分した。まるで王宮の小姓のような身なりだが、兵に従う動きには隙がない。武人とはまた違う妙に肝が据わった様子で歩み出ると、青年は虎の毛皮の手前で止まった。
 太王はゆったりと椅子の背に凭れ、この一風変わった使者を眺めていた。こういう時の常で、口元にはすでに好奇心が笑みになって浮かんでいる。この状況を楽しみ始めているに違いない。突厥のユイグル、契丹のアティラ、両雄はその御前で左右に分かれて座り、惚けたように言葉を失っていた。あまりにも意外な使者の姿に視線を奪われたまま固まっている。とうとう太王が苦笑して小さく顎を上げ、スジニはしぶしぶ検分をやめて声をかけた。
 「お前が直接お渡しするわけにはいかない方だ。」
使者は不服そうに美しい眉を顰めたが、すぐに花のように微笑んだ。優雅な手つきで絹布の包みを差し出す。中を改めるスジニを待つ間、ようやく我に返ったらしいアティラが訝し気に使者を睨めつけた。
 「どこをいつ発ったのだ。どのように走って着いた。ここは曲がりなりにも契丹人の地だが」
道中止められることもなく、なぜこのようにすんなり使者が着いたのか。古兵の割れてしゃがれた声にも臆せず、大きな鈴のような落ち着き払った声が答えた。
 「毎年この季節には、こちらにほど近い山城に避暑に来ております。」
 「避暑だと?」
まるで皇帝のような答に、契丹人はあんぐりと口を開けて言葉を呑み込んだ。すぐ近くで様子を伺い、会談に合わせるようにそこを発って来たのだ。話を追いながら手早く木箱を開いたスジニは、さらに書状の紐を解いた。いつもするように巻き紙を開いてざっと文面を確かめる。麗々しい修辞で長い文を苛々と手繰っていた手がはたと止まった。文に目を落としたまま動かない。
 「どうした」
 「いや、その」

太王に声をかけられても、いつになくたいそう歯切れが悪い。こうして改め、礼を失している場合にはスジニから突き返すこともある。しかしそれとも違う反応に、太王が手を伸ばした。
 常人離れした早さで読み進んだ王はあっというまに文末に達すると、困ったような面白がるような、何とも言えぬ表情を浮かべた。さきほどのスジニ同様、手を止めて書状を見つめている。アティラとユイグルは、何事かと、将軍と太王とを交互に見た。
 「誰がこれを寄越したと?お前の主、安族の首領の名を言ってみろ」
すぐに困惑は消え、好奇心だけが残ったようだった。太王はにやにやと人の悪い笑みを浮かべていた。
 「王様、いけません、それは—」
スジニが言いかけるのを手を上げて制する。それが使者を促した。
 青年は物怖じせずに頭を上げ、それまで伏せられていた瞳が煌めいた。太王はいまや破顔して言葉を待っている。スジニは目を閉じ、息を止めた。
 「安族の首領、安談徳より書状をお持ちしました。」
使者の青年はゆったりと袖を掲げ、このうえなく優雅な礼をみせた。

 
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