屋根裏部屋
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遼東にて

1 虎の皮の使者-3

 虎の皮を異国の為政者に贈ったのは初めてだと、使者の丸い顔が微笑み、細い目が糸のような皺になった。
 集まってもせいぜい数家族、小さく分かれて流れるように暮らす民は、これまで連合という動きとは無縁だった。長い間大国の動きに翻弄されてきた人々は、自らの地を守るの方策をようやく考え始めたところだった。
 「だんだん戦が大きくなってきました。家族を守るためには、時として束にならねばならないことがある。クニとして、異なる部族がまとまる方法を長たちは探しています。」
躊躇いながらもそのまま言い換えられた異国の言葉に、太王は深く頷いた。通訳についたコムル人がちらりと王を盗み見て、ほっとしたように頭を落とす。真性の遊牧の民と畑を耕す民とでは、クニという言葉の中身が違うのではないか。訳者が抱いた憂慮は、どうやら王には不要らしかった。
 「それぞれの自治を認め、律令を行き渡らせる太王の統治を多くの部族長が讃えております。我らの遣わす者を、どうか高句麗の都で学ばせてくださいますよう。」
挨拶の後は突厥の言葉に戻ったが、使者はまっすぐに太王を見て堂々とした話し振りだった。礼を知り、誇りを携えた人間だ。太王もそれを受けて正面から目を見据え、自国の言葉で返した。間に控えたふたりの通訳が声を低めて瞬時に言い換える。
 書記は三人が並び、おそろしい速さで全てを書き取っていた。こうして言葉が途切れると筆の走る音が聞こえる。自分が引き合わせた両者を交互にちらちら見やりながら、契丹の首領の口元に薄い笑みが浮かんだ。
 ずいぶん静かな会合ではないか。
 初対面の時、自分たちはまるで喧嘩腰であったのに。
 時が経ち、今ではすっかり昔のことのように語られるが、その光景はアティラの脳裏に鮮明に焼き着いて離れない。まだ髭も揃わぬ高句麗の王は、堂々と敵地での呼び出しに応じ、整然と道を説いた。駆け引きを仕掛け、しかるべき脅しと矜持と、それらを自在に駆使して真正面から契丹人と対峙したのだ。
 いったん火がついたときの性根は変わるはずもないが、今では相手に合わせて絹の衣を持ち運ぶ。軍装ではない王を初めて見たアティラは、その豪奢な支度に高句麗の国力を見た思いだった。
 なるほど、このように互いに着飾ることは、礼を示すとともに、ちょっとした示威行為になるものか。
ちょうど太王が優雅な仕草で脚を組み替え、裾が割れて華奢な絹張りの沓がのぞいた。ふん、とアティラの頬がまた少し緩んだ。
 「国内城に滞在されるのがよかろう。政を学ぶ者らは大勢いる。突厥は合議の国となるだろうから、契丹の方が似ているかもしれない」
 スジニは王の背後に、両側には数人の近衛兵がつき、あとの全員が天幕を囲んで整列していた。突厥の一隊は使者同様ゆったりとした衣を着け、彼らが高句麗でいうところの兵士なのかスジニにはよくわからない。身のこなしは明らかに優れた乗り手のものだ。馬を引く様子、ぺたりと低い一枚革の鞍、引っ掛けるだけのように見える簡明なつくりの鐙。馬のことだけでも珍しいものばかりだ。嗎に続いて隊列を変えるらしい控え目な蹄の音がする。いつになくそわそわと外を気にする近衛兵に太王が微笑んだ。
 「みなそちらの馬が気になって仕方がないらしい。後で馬具を交換しよう」

使者も笑い、また一段、場が和んだ。

 

 「ところで安族をご存知か。」

 俯き加減にゆったりと髭を撫でながら、何気なく太王が尋ねた。
 「ずいぶん昔から遼河のあたりに住まうとか。鮮卑族らしいというが」
 頭を上げた時、太王はにやりと笑っていた。使者も不敵な笑みを返した。隠れた本題に入ったのを察したように、膝を進めて丸い身体が屈んだ。
 「いかにも、鮮卑族の一党です。秦の頃からずっとこの辺りで権力者の腰巾着をしている。北魏と後燕の皇帝に恩を売ったことがあるらしく、以来なにかと重用されているようです。」
 「本拠地は遼東城か」

沈黙していたアティラがようやく口を開いた。
 「川に沿って連なる山城、あの中身はどれも後燕軍だ。安族の軍など誰も見たことがない。そもそも人前に現れたと聞いたことがない。本当に遼東城にいるのやら」
ふんふんと使者も同意して首を縦に振る。
 「そう、軍は持たぬらしい」
 「安族とやら、よもや幻ではないのか」

歴戦の古兵のらしからぬ物言いに、太王とスジニはくすりと笑った。
 「ともかく王だか大守だかを置けば、形だけは部族の自治領です。高句麗との緩衝地として具合がいいのでしょうな」
的を得た使者の言葉に太王が頷いた。謎の一族の名が出て、スジニは一言も漏らすまいと身体中を耳にしていた。領地に城を持ち王を名乗るというのに、はっきり姿を見た者がないとは、何とも不思議な話に思える。遼東攻めとなれば、その得体の知れない輩と戦うことになるのだろうか。軍を持たぬというから後燕が出てくるのか。そういえばとんと噂を聞かぬ、最近の後燕軍は一体どうなっているのだろう。
 戦を思い、息を吐いて背筋を伸ばした時、はるか遠くで蹄の駆け寄る音がした。スジニは音をたてずに場を離れ、影のように天幕を滑り出た。

 突厥人とも契丹人とも違う、これまた見慣れぬ風体の騎馬が一騎、近衛兵に先導されてやってくる。小旗を背負ったところを見ると、身元を明らかに示した使者のようだ。あまり天幕に近づけないよう、止まれと手を挙げたスジニは自分から足早に向かっていった。先導の兵だけが急いで駆け寄り、将軍の目の前で鞍から飛び降りた。
 「太王陛下への使いだと言っています」
 「一体どこの者だ」
 「それが、安族の首領からの親書だとか」
 「なに?」

スジニの瞳が丸く見開き、は、とあいまいな息が漏れた。誰も見たことのない一族が向こうからやってきた。これはさすがに王様も予想しなかったのではないか?我知らずスジニの口元が持ち上がり、そのままあやうく声を出して笑い出しそうになった。
 「直にお渡しするよう命じられたと言って、書状を離しません。」
 「——面白くなってきた」
 「は?」

思わず口に出したらしい。怪訝そうな部下に咳払いをしてみせ、スジニはどうにか渋面を作った。
 「遠ざけたまま見張っていろ。身体を改め、武器はすべて取り上げておけ。」
踵を返し、兵を従えて天幕へ向かった。またつい浮かんだ口元の笑みを、細い指先が隠すように押さえた。

 
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