屋根裏部屋
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遼東にて

1 虎の皮の使者-2

 見慣れぬつくりの天幕の中で、スジニはぐるりと頭を巡らして天井を見上げていた。精巧に組まれた木が平べったい円錐の形を成している。それを分厚い濃色の布が覆い、光を通さないために中は薄暗かった。夏の陽を遮って涼しくもある。太王の天幕だけが赤と金色の豪奢な布で覆われ、中には玉座を思わせる大振りな椅子まで据えられていた。柔らかな布がふんだんに掛けられた寝台といい、これは明らかに野戦の陣ではなく家だ。
 「壁を立て、屋根を広げて載せるだけだ。これだけのものがあっという間に建ってしまう。」
 いつ入って来たのか、契丹の首領、アティラも並んで天井を見上げている。先行してやってきた突厥人がこのような大小の「家」を点々と平原に建てていた。万事が異国風の陣に、兵も珍しそうに出入りを繰り返してきょろきょろと落ち着かない。背の高い馬杭にぶらさげた革袋には水が入っているらしかった。
 「明日、日が中天にかかる頃に使者が着くだろう」
相変わらず無愛想なアティラの言葉に、太王がふむと軽く頷く。頑丈な革の長靴の足を投げ出してふたりの強者はのんびりと坐り、スジニはそれを呆れたように眺めた。あんなに疾走してきたのがうそのようだ。
 「ずいぶん悠長な話だ。王様は忙しい方だというのに。」
アティラがなめし革のような頬を緩めて笑い出した。
 「彼らは想像もできぬほど遠い地からやって来る。その道筋を思えば、一日ふつかの狂いで着くのは驚きだ」
異国の品やアティラの言葉は、スジニの中の西域という言葉にはじめて現実の距離を与えはじめていた。それは地図上の大国を実感することでもあった。はるか西の突厥と高句麗が契丹の地で仲良く手を結ぶ。鮮卑族は北と東に壁でもできたような気がするだろう。
 「まったく、国とはまるで樹のようですね。大きくなりすぎて水を吸い尽くせば枝先から枯れてくる。そうかと思えば幹の中心から腐りはじめ、ある日いきなり、前触れもなくどさりと倒れるんです」
 太王は将軍を見つめた。本能的にものごとを解するスジニは、時折こうして太王を驚かせた。
 「根幹に虫が入るか、澱んだ水に腐るか。——そうならないようにするのがわたしの役目だ」
 後燕という大木の枝先にはすでに水が回っていないはずだ。焦れば焦るほど支配地を締め付け、ますます枝先は枯れ込むだろう。すなわち、辺境から順に離反して国土が細る。そうでなければ内部の不満が噴き出して、謀反で王権が倒れる。
 緩衝地として距離を置いた統治を逆手にとり、太王は遼東という大樹のひと枝をゆっくり切り離そうとしていた。水が行き渡らぬように遠く水源を操っているのは高句麗王だ。涼しい顔をしてじわじわと喉元を締め上げ、いつの間にか追い詰めていく。降って湧いたような突厥との講和はあまりに遠方すぎる話で、いつ役に立つのかとみな首を傾げた。しかしこれも負け戦をしない太王の地ならしなのかもしれない。凡人には計り知れぬ遠大な企ての——
 スジニの背がぶるっと震えた。どこかの森で見た、幹だけ枯れ残った大樹の虚ろな姿が浮かぶ。まさか王様は後燕の広大な国土を射程に入れてはいないだろうか—。いや、それは誰にもわからない——


 侍従は太王の髪を結い直し、裾の長い絹を肩に載せたところだった。突厥の寝台は柔らかく寝心地が良かったが、様々な想念に囚われたようになって、スジニは夜中幾度も王の腕の中で寝返りを打った。珍しく野営地で寝過ごしたのはそのせいかもしれず、スジニは仕切りの布の陰から首だけ出して、太王の身支度をばつが悪そうに覗き込んだ。起き抜けの乱れ髪で黙り込んでいる。可笑しそうに笑って王のほうから声をかけた。
 「どうした」
 「いえ…そんな支度をなさるとは…」
 朝から天幕は薄暗い。王家の文様を縫い取った淡色の絹が鈍い光を放っていた。心得たジンシクが朱雀の鎧を置いて音もなく消え、いつものように王が手ずから着せ付ける。背を締めながら俯いたうなじにそっと唇が触れ、首筋をくすぐる髭にスジニが笑った。
 宮殿を出たときの常で、ここしばらく切らない髭が、絹の支度に不似合いに伸びている。小刀を渡されて、スジニは仕方なく太王に向かって屈み込んだ。肌に刃を当てぬよう、櫛で梳きながら用心しいしい削ぐように切る。目が合うと手元が狂うような気がして、顔を背けるような格好になった。
 「ちゃんと見て切れよ」
すでにその声には揶揄うような調子が乗っている。こうして照れるスジニは、王にとってとっておきの玩具のようなものだ。
 「その美しい髪を梳いておけ、朱雀将軍。初めて会う客人だ。綺羅綺羅しくしていろ」
 膝頭に散った髭を揃えた指先が払い落とす。瞳を覗き込み、太王は蜜でも舐めたように笑った。スジニは慌てて両の手のひらで頬を擦り、髪を撫で付けた。



 大振りな椅子の前には分厚い布が敷かれ、謁見場というような設えだ。太王は意外そうな顔をしたが、突厥人はこれでよいのだと譲らない。通訳を介しての穏便な指示は通らず、結局使者は太王から遠く離れて深く頭を垂れ、袖口を合わせて礼をとった。丸い顔立ちは浅黒く、体つきもずんぐりとしている。襞を多く取った艶やかな絹に大きな玉の首飾りが光り、肩布は見事な金細工で留められていた。これは第一級の礼装だ。遠路はるばる、太王に礼を示すためにこれらの身支度を携えてきたのだろう。スジニもようやく合点がいった。礼装で応じた太王は、兵にも正装を命じたのだった。

 ただ一人かと見えた使者の背後には、影のように四人が従っていた。一行は数歩を近づいてまた顔を伏せた。
 「頭を上げて頂きたい。それにもっと近くへ。これでは互いの顔も見えない。」

太王が笑って立ち上がる。苦笑混じりの通訳の言葉に、誘われるように使者も破顔して指先を滑らかに動かした。かすかな合図に応えた従者が、大きな筒のようなものを柔らかく開いた。黄金かと見えたそれは、まるごと一頭の虎の皮だ。腹で開かれた金色と黒の見事な毛並は、薄暗い天幕の中で、乏しい光を集めてつやつやと輝いた。
 使者が腕を広げて誘う。太王が訝しそうに足を踏み出し、もう一歩、誘われて毛皮を踏んだ。金色の雲に乗ったような姿に、使者はことのほか恭しく頭を下げた。
 「虎の毛皮は最高位の贈り物です。支配者の象徴(しるし)でもあります。」
コムル人の小声に重なるように、高句麗の言葉がたどたどしいながらも朗々と響いた。
 「高句麗の太王陛下へ、謹んでご挨拶申し上げる」

 
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