屋根裏部屋
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遼東にて

1 虎の皮の使者-1

 風の匂いが変わると、気になって仕方がないらしい。馬を止めたスジニが風上に向かって軽く顎を上げるような仕草をすると、少し離れて馬首を並べた太王の口元に笑みが浮かんだ。
 玄莵城を左手に見ながらかすめるように走り、すでに契丹へ入っていた。遼河とその支流から吹く風が湿り気を運んでくる。山深く育ったスジニには珍しい空気なのか。それとも海へ注ぐ大河と、その向こう岸の敵地を思うのか。王もまたかすかに頭を反らし、流れの先へと目を細めて風を匂いだ。
 馬を休めるのに格好のこじんまりとした木陰だ。真夏、北上してきた一行には爽やかな気候だった。出迎えた契丹人もこれまでに見たことのない軽装で、高句麗兵の談笑の輪に加わっていた。
 もの言いた気な目つきでスジニが馬を引いてくる。並んで止まったところに、太王がちらりと視線を投げて促した。
 「後燕に動きはありません」
 「うん」
 近衛兵が手綱を受け取り、スジニの栗毛を水辺に引いて行った。手持ち無沙汰になって辺りを見回す滑らかな頬に、濃い緑が影を落とした。
 派手な道行きだ。
 漆黒の鎧に深紅の肩布をなびかせた、正装の近衛兵が百騎。銀色に光る鎖の鎧に、黒い肩布の騎馬隊が百騎。合わせて二百の先陣には、鮮やかな紅と黒の太王旗を翻して先触れが走った。
 車は連れず、荷もすべて馬に背負わせている。括りつけられた重々しい金細工の箱には、突厥族に宛てた書状が収められていた。はじめて会う部族へ、礼を尽くした贈り物も携えていたが、嵩張るものは少ない。すべて、身軽さを優先した編成だった
 それきり黙っていたスジニが急に頭を振って笑い出し、手近な枝先を折り取った。
 「何だ?」
 「契丹の仲介ですから、われわれが出向くのはわかります。しかしこんなに煽らなくてもいいのでは?」
 スジニの苦笑もしかり。国内城を出た一行はわざわざ真西へ道をとり、後燕の山城の目前まで姿を見せつけるように迫ると、そこからやおら北へと進路を変えた。斥候は、その速さにあっという間に置いて行かれたことだろう。どころか、すべての山城の楼閣から丸見えのはずだ。
 国内城を出た時から、突厥との会見のことはすべて後燕に筒抜けのはずだ。どこで攻撃を受けてもおかしくない国境を、一行は恐ろしい速さで走り抜けた。そしてそのまま、まるで嘲笑うかのように契丹に入った。
 「やりすぎか?でも面白かっただろう?」
 澄まして子どものような答を返す高句麗の太王は、革の胴衣でまるで狩りにでも行くような軽装だ。敵がこれを見たら、ますます馬鹿にされたと思うに違いない。
 「王様のお考えは到底わかりませんが、後燕を煽るのは遼東を…安族を試しているんですか?」
 俯いた横顔に白い歯が覗いた。水音にいくつもの蹄の音が重なり、短い休息が終わろうとしていた。
 「お前は契丹のその先が知りたくはないか」
 遠く流れに目をやって発せられた言葉は答ではなかった。
 「遊牧の民は生まれたときから馬を乗りこなすそうだ。誇り高く武術にもすぐれるが、徒党を組まず、ぱらぱらと野に散って馬とともに生きるのだと—。そのような一族と兄弟になれるかもしれないのだから、アティラに大きな借りができた。」
 声が届いたのか、音もなく鞍に飛び乗った契丹人が身を捻って微笑んだ。

 

「遼東はまだわかるとしても帯方なんて、あんな飛び地に王として任じるなんて、そんなおかしな話がありますかね?」
 休息の後、一行はゆったりと馬を労る速度で進んでいた。ひとたび安族の名を口にしたスジニは、積もりに積もった疑問と文句を溢し続けていた。
 高句麗の北西、後燕に接する遼東と、百済国境の西端、帯方。西の大国はこれらの地を要衝とし、昔から大守や軍を置いてきた。ことに帯方は、倭が行き来する中継の港となっている。朝貢を促す大国が開いた玄関口だ。その地の王として、北魏皇帝と後燕王に任じられたのが安族の首領だというのだが。
 「倭や百済が勝手に入って来ては揉めるのに、やつらは黙って何もしません。満足な兵も置かないのに税だけは取る。そんな王がありますか?大体、安族って何者です?」
 「さあな、詳しく知る者は少ないようだ。」
太王の脳裏に、困惑顔の王事の顔が浮かんだ。かつて若かりし頃、王はスジニとまったく同じ問いをヒョンゴに投げた。首を傾げた博識の村長は珍しく言い淀んだ。
 ——前秦の頃から遼河やその北に住まっていたようです。実は姿を見た者があまりおりません。数も少ない上、表立った場にまったく現れないのです。皇帝から王に任じられたというのですが、この二国揃ってというのが実に怪しいですな。
 「追っ払ってしまえばいいのに」
 度々鎮圧にかり出される軍を代表するように、スジニの悪態が続く。侍従のジンシクが生真面目な顔で頷いた。
 「後燕の皇帝印を持っているやつに、手荒なこともできないだろう?」
 スジニは穏やかに笑う横顔を見つめた。手荒なことこそしないが、ずっと機会を窺っていたはずだ。
 ——間違いない。王様は近々遼東を取る。
 良質の鉄と遼河の水運。河口には穏やかな港。高句麗と鮮卑族の国とが何度も境界を引き直すうちに、川に沿って城塞が並んだ国境の地。ここ数代、大河のこちら側の山城は後燕に属している。
 先の大戦で大敗した後燕は、いまやすっかり勢いを失くしていた。火天会に唆された北魏に逆らえず、大軍を差し出したのだ。同じ部族の国として、時には互いを攻めながら並び立ってきた大国は、今や共に揺らいでいる。千載一遇の機会を王様が逃すはずはない。

 

 一騎が土煙を上げて傍らを過ぎ、太王の横顔に想念を重ねていたスジニは、目の前の草原に視線を戻した。国内城を出て十日。果てしなく続くまばらな草の間を先触れの契丹兵が駆けて行く。会談の場所は近いらしい。
 安族に、カマをかけているのですか?
 もう一度尋ねても答はないとスジニは知っていた。腹を決めれば明瞭に命じるが、一筋の毛ほどでも確信に満たなければ言葉にしない。そしてその腹の奥底は誰にも知れぬほど深い。太王が答えなかったことが、逆にスジニの確信になっていた。
 それにしてもたった二百騎で出て来たのだ。スジニはため息をついてこっそり横目を使い、風になぶられて乱れた髪の間を窺った。端正な横顔からは何も読み取ることができない。ただいつもの、全てを引き受けたような笑みが薄く浮かんでいた。

 
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