屋根裏部屋
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少年は丘を越えて

 いくつかの足音が近づき、がやがやと話す声、わっと高い笑いが起きる。ああ、近衛隊の女隊士か。スジニが笑顔のまま自室に飛び込んできた。
 「お前は女ともだちが多いな。」
肘をついて寝台に寝そべった王が、口から酒瓶を離しながら言った。
 「呼んだのならいてくれよ。」
 「お待たせして申し訳ありません。」
気怠く横たわる王を珍しそうに眺めてスジニは剣を置いた。見るからに女の調度の部屋で、鎧姿の女主が浮いている。侍女が食事を運び込み、それからスジニの背に回って鎧を解くのを王は珍しそうに寝転んだまま見ていた。肩にふわりと夜着を掛ける。ぱらりと足下に落とした上衣を拾い上げて控える。スジニが湯に浸した手拭をうなじに当て、肩を回しながら伸びをした。だんだん女主然としていくしなやかな動きを王の目が追い、甘く笑った。
 視線を感じて、スジニはどぎまぎと手早く帯を結び、侍女に促されて長椅子に座る。屈み込んだ女が足を拭き、スジニは髪をほどく。豊かな黒髪が広がり、椅子の背からまっすぐに流れ落ちると、そこへ笛の音が重なった。
 豪奢な女物の寝台に寝そべって、王が笛を吹いている。女の身支度を待って、さも手持ち無沙汰な情人とでもいうように。哀切な旋律が窓から照らす月光と絡み合った。侍女はこの幸運を引き延ばそうとスジニの足を湯に浸し、丹念に拭っていた。まるで女王にするようだと苦笑し、自分はここでは妃であったかとようやく思い出す。笛の音が月に溶けて消えてゆき、いつの間にか侍女も下がり、スジニはゆったりと椅子の背に頭を預けて余韻に浸っていた。
 「これはいい酒だぞ。味も香りも申し分ない。」
笛を懐に納め酒をぶら下げて、王が向かいの椅子に腰を下ろした。酒の瓶をとり上げながら正面から目が合うと、昨日の口づけが気恥ずかしく思い出される。王の方でも、どう過ごしたものかと考えあぐねて、笛など持ってきたのかもしれないと、目を伏せて杯を満たす。それから自分の杯にも注いだ。
 「そういえばいつからこうして先に注いでくれるようになった?」
むかしは全部飲まれてしまっていたなあ、そんなことはありませんと、ふたりは向かい合って大人しく杯を空けた。
 「哀しい節回しですね」
肉をつつきながらぽつりとスジニが言う。久しぶりに聴く笛の音だった。旋律の印象でか、肘をついてなにやらしんみりとしている。
 王はミヒを抱かなかったが、それでも安らぎを得ていた。それでは自分は?触れてはならないが通って来いというわがままは、夜毎の求めに応じなくても自分は王にとって価値あるものかと、スジニが自覚していない胸の底にある疑問を映してもいた。実のところでは、王と自分の間になかったことをミヒがなしていた、そのことに対する羨みが気持ちの表面に浮かんでいたのだが。今となっては王がなにをしたかというよりも、女としてのミヒの存在が、身体を通さずに王の気持ちを明るく軽くしていたという、その一点にスジニは妬いていた。
 突然王が立ち上がると、酒瓶を取り上げた。もう片手でスジニの手を取る。行きかけて思い出したように大きな肉の塊をスジニの口にくわえさせ、楽し気に戸外へと歩き出した。

 

 時は春。すべての生き物が放つ精気にむせるような夜、沓を通して土のぬくもりが伝わるようだ。裾が翻るのも構わず王に合わせて大股に歩きながら、スジニは満天の星に向かって肉の塊を齧った。それを王が横取りして口に入れる。それから酒を奪い合った。とうてい後宮の庭先とは思えない光景を侍従が離れて追う。やがてふたりは小さな東屋の軒先に座り込んだ。
 「こちらがこんな庭になっているとは知りませんでした。」
足をぶらぶらと揺すりながら、スジニは夜気に小さく身震いした。自分の上着を脱いで細い肩に着せかけるとしっかりと巻き付けて抱く。侍従が着るものを取りに戻りかけるのを、ごくわずかに頭を振って止めた。
 「そういえばこんなことばかりしていたな。」
 「こんなこと?」
スジニが酒瓶を受け取りながら首を傾げる。お前と酒を奪い合って、一緒に走り回って、ずいぶん遠くにも行った。出会ったときのお前はまるで少年みたいだったな。はは、街のスリでしたね。スジニが小さく笑った。
 「コムル村はあんなですから、私は野山を走り回って、女の人を知らずに育ったんです。」
 「それでお前はそんなに自由なんだな。弓や馬はどうやって覚えた。」
 「コムルにもいろいろ居ます。ほとんどは学問の民ですが、術を使う中にはもちろん腕のたつ人も。」
 村で唯一の女として、また朱雀に関わる者として、コムルの術者はスジニに身の守りを教えた。それは学問と並んで厳しい修行だったが、幼い少女はそれに耐えた。
 「親がないからだろうか、なんて、どうしてこんなに辛い目にと思いましたが、結局それが身を助けています。」
肩をすくめて淡々と語る。今まで聞いたことがないのは不思議な気がしたが、お互い昔のことをあまり話さない。沈黙で終わる話題に行き着くことを互いに避けているようでもあるし、言わずともわかっていると暗黙のうちに察してもいる。それでなくても日々に紛れ、今のことで忙殺されている。それが今日になって少し変わったような気がした。昔の話は辛いことの方が多いが、一緒に荷を負っている人が居ると、お互いそう思うだけで少しなりと軽くなる。
 「王様だって小さな頃から鍛錬なさったんでしょう?馬などなかなかです。」
なかなか、と言われて王が吹き出す。それはどうも、光栄だ。スジニがもぞもぞと衿を掻き合わせた。
 「やはりこれでは寒いか」
気遣って肩を抱き直そうとした時、ぱっとスジニが軒先を飛び降りた。身を反らして夜気を吸い込む。子どものような仕草に王が笑った。こちらを振り向いた後、ふわふわとそこらを歩いている。笛の音が重なった。
 空気がしっとりと湿り気を帯びたものに変わり、いつの間にか月が暈をかぶっている。もうひとつ向こうの角を見渡したスジニが、急に歩を早めて視界から消えた。そのまま音を切らさずに、王も後を追った。
 暗闇に絢爛と繁る黄金色の花の前で、スジニが立ち尽くしていた。ついて来た笛の音が止まる。
 「ケナリ—」
春を告げる花。スジニがゆっくりと振り向いて笑った。金色の花は幾株も連なって、圧倒的な色彩で闇を凌駕していた。そこにだけ昼間の光が留まったようだ。引き寄せられるように王も近づく。ぶかぶかの上着の衿を合わせて掴んだスジニを背後から抱いた。しばらくそうして、ふたりは黄金色の闇に酔っていた。
 やがて耳元に口づけが降る。唇を離して腕の中の身体を回すと、悪戯っぽく瞳を覗き込む。王の望みが瞬時に伝わり、スジニは赤面した。ためらう腕がおずおずと回される。首にぶら下がるようにして自分から唇を寄せた。
 
 王がスジニの腰を支えた。送って行く。そう言って地に落ちた上着を拾い上げ、細い身体をまた包む。花を一枝折ると、腰を抱いてゆっくりと歩き出した。たった数歩で立ち止まって今度は自分から唇を寄せたが、うっとりと脱力したままのスジニに、ただ笑みがこぼれた。両腕を開いて抱き直すと、その髪に花枝を挿して顔を埋めた。

 
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