屋根裏部屋
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少年は丘を越えて

 よくも噛んだな。
 押さえ付けた親指が今噛んだ歯に当たり、ぐいと押し上げられた。顎が上がって長身の王とまっすぐ目が合う。
 「その話をわたしから聞く気は?」
大きな掌に顔の半分を乱暴に包まれて、スジニは首を捻ってもがいた。
 「あの方を抱かなかったそうですね。」
 「そうだ。」
 「何度おすがりしてもだめだったと。」
 「そうだ。」
ようやくスジニの肩をつかまえると自分の胸に抱き込んだ。髪を上げてあらわになった首筋に頬を寄せる。髭を擦りつけるようにしながら腕を回すと、その腕をスジニが掴んだ。思い切り外側に捻る。不意をつかれて王が唸った。
 「おい、いたたたた」
その腕を放り出して、スジニは一歩飛び退いてそっぽを向いた。

 

***

 

 「陛下におすがりして、こっぴどくやられましたの。情けなどやらん、そこへ跪いて口を開けろと。」
 「えっ、それは…その…」
スジニが口ごもると、ミヒは可笑しそうにくすくす笑った。
 「そりゃあ恐ろしい口調で嘲るようにそう仰って。陛下はお怒りになると恐ろしゅうございますね。炎が見えるようでした。わたくしもほんの小娘でございましたから、恐いもの知らずで。でもそれで余計にぐっときてしまって。懲りずに押し掛けるようになってしまいましたの。陛下はただ話を聞いて、うんうんとあやしてくださるだけでしたわ。嫁ぐと決まって、わたくし心を決めて最後の突撃をかけました。もしお心にどなたかあるのなら、その方と思って代わりにって。」
スジニの手がぴくりと動いた。
 妃のために整えられた部屋は、長椅子と小卓をいくつも配した寛ぎやすい調度で、続きの間には薄衣を巡らした豪奢な寝台が据えられていた。フッケから贈られた絹の裳が、荷を解かれたまま気のない様子で寝台に載っている。向かい合った長椅子の端と端に座って、スジニは天真爛漫な美女を見つめていた。
 「とってもお怒りになりましたわ。自尊心を売るようなことをするな、あいつはあいつだ、って。」
ミヒは溶けそうな目でスジニをしげしげと見た。
 「あいつ、って。そうおっしゃいますのね。朱雀の将軍。国にも聞こえていますわ。お会いしてよくわかりました。陛下のお心にずっと将軍があったのなら、わたくしなんてアウトオブ眼中で当たり前。」
 「アウトオブ??」
 「あら失礼、国の言葉で、目端にもかからぬことですわ。」
スジニは苦笑して白い歯を見せた。
 「あなたは可愛らしい方ですね。ほんとうに」
だから王は癒しを求めたのだ。
 「見た目しか能がありませんの。」
そう言って笑うと、ミヒは白い指で隣室の寝台の上にかかった絹を指した。
 「あのような装いも?」
いいえ、いいえ。スジニがまた苦笑して寝間を振り返る。
 「親代わりの爺様が送って寄越しますが、申し訳ないけれど着る機会もその気もありません。わたしは軍人ですから。それしか能がありません。」
真似たような語尾が茶化したように聞こえたのか、小さく肩を落とし、懐から細長い布包みを取り出すとふたりの間にそっと置いた。
 「まさか将軍がここまで全て軍装の方だとは思わなくて。」
スジニの普段着は王とよく似て、革をあしらった黒い胴着にぴったりとした短い黒袴だった。その下には膝まである軍靴を履いている。押し掛けられた今日も、鎧を脱ぐなりいつものそんな格好だ。スジニの目に促されて、ミヒが包みを開く。見事な紅い玉をはめ込んだ、美しい金細工の笄。
 「太王陛下の紅玉。将軍をそう呼ぶ者もおります。陛下からお渡し頂こうと思ったのですけれど、まさかお部屋にいらっしゃるとは思いませんでした。あんなことになってしまって」
しょんぼりと俯いてまた包もうとする。
 「いいえ、その、ありがたく頂戴します!あまり結ったことはないけれど、きっと誰か—侍女に頼むのかな、そういうのは」
慌てるスジニに、ミヒはくるりと表情を変え、にっこりと微笑んだ。それからスジニの黒髪をうっとりと見つめた。
 「わたくし、結ってさしあげてもよろしいですか?」

 

***

 

 そっぽを向いて黙って立っているスジニは、自分が何に怒っているのかわかっていた。だからこそ黙っているのだが、スジニの王様は必ずそれを聞いてくる。
 「くそ、噛んだり捻ったり、痛いじゃないか。ちゃんと口で言え。」
今度は自分が腕を掴まれて、それを払おうとスジニが振り向いた。ぽろりと涙がひとつこぼれ、美しい絹に黒い点を残した。
 「—思っていることは口に出せ。頼む。」
腕を掴まれたままで、ようやくスジニが口を開いた。
 「きれいで可愛らしい方で、だから王様は癒されたんですね。」
 「スジニ—」
 「寂しがったり下品で乱暴なことおっしゃったり、わたしはそんな王様知りません。わたしがそこに居たかった。言っても詮無いことだけど。だってわたしが自分から離れたんですから。」
 ああもう、堂々巡りでいやんなる!スジニは苛々と言い、掴まれた腕を振り払って王を睨んだ。
 「それに王様、ひどいです。」
もっとあるのかと、王は大人しく長椅子に座り込むとスジニを見上げた。
 「あの人にしたこと—」

 

***

 

 髪を結うならばと寝台に乗せられた裳をつけ、それに合う上衣を着ましょうと、ミヒはスジニの引き出しをひっくり返した。そうやって世話を焼くミヒは本当に活き活きと嬉しそうだ。取っ替え引っ替え衣を当てられながら、たしかに男のなりであの笄は可笑しかろうと、スジニは苦笑して立っていた。とりとめもなく話しながらミヒは衣を選び、スジニは仕方なしに胴着を脱ぐ。
 「夫はあちらがまったくだめなんですの。」
急に何の話かと目を見開く。夫に抱かれれば忘れると—どうやらミヒは話を戻したらしかった。
 「見目もよく人望もあるのに、閨ときたら—」
細腰にうっとりと見惚れながら帯を締め上げるミヒを、ためらいながらスジニが促した。
 「それで王—陛下とは…忘れるとか忘れないとかいうのは…」
ころころと鈴のようにミヒが笑った。きゅっと帯を結ぶと屈み込んだまま、上目遣いにスジニを見上げて言葉を探した。
 「全部知りたいんです」
若い人妻は、美しい将軍を見上げ、なんとも言えない顔をした。何か堪えるような困ったような、羨望が混じったようでもある。それはミヒが見せた最も複雑な顔だったが、それでも最後には笑っていた。
 「きものを着たまま、口づけもされず、指だけでイカされましたの。」

 

***

 

 「何もしないほうがマシです!ほんとデリカシーがないんだから」
 「デリカシー??」
 「新羅の言葉で、心配りのことです!それも、繊細な、です。」
女同士、そんなことまで話すのかと、王は半ば呆れてスジニを窺った。
 「…それにしても、昔のことだぞ。」
 「わたしが知ったのは昨日ですから!それにあの方の中でも終わっていませんよ。」
スジニが言いにくそうに目を逸らして赤くなった。
 「…達したのはあれが最初で最後だと」
王の目が丸く見開き、すぐに笑みが湧き上がる。それから赤くなって突っ立ったスジニを見つめた。女の装いは数回しか見たことがないが、見るたびに驚かされる。華奢な身体に男のなりをして、軽やかに動く姿を王は最も好んだが、このように腰の線を露にした姿は、また別の魅力があった。初めて女の装いを見た時は髪が短かったっけ。ちょっと引っ掛けたような着方で、それでも腰の線にびっくりしたっけ。お前は自分の姿を気にしてた。
 「赤もいいが、そういう色もよく似合う。きれいだ。」
そう言って自分の横をとんとんと叩いた。
 「ここへ座ってくれ。お願いだから。」

 
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