屋根裏部屋
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少年は丘を越えて

 久しぶりに新羅の公使が到着した。一応は友好国である新羅だが、海を挟んだ倭との関係にいつも悩まされ、複雑な外交策を敷いている。常に関係は不安定で、公使の到着と聞いて王事の眉が曇った。ことに今回出向いてきたのは辣腕の宰相だ。この初老の政治家に、高句麗はいつも悩まされていた。この男が出てくる時は、新羅は何がしかの無理難題を抱えているということだった。
 「今度はまた、何を言ってくるのやら。この前は援軍要請を倍にして帰りましたが。」
王事のヒョンゴが大げさに肩をすくめてみせた。
 書記が早口で書面を読み上げるのに小さく二度頷くと、掛けた腰を浅く滑らせて机に頬杖をつく、長身の後ろ姿がある。足首に届く滑らかな絹の上着の裾を割って鷹揚に脚を組むと、嘆く王事に頭を向けた。
 「今のところ倭とは落ち着いているだろう。それでは残るは伽耶だ。」
太王の即答に、ヒョンゴはため息をついて繰り返した。わかっております。わかっております。
 「それから」
ヒョンゴはちらりと辺りに目を配ると、つい、と歩を進めて王の耳元に囁いた。
 「また来ておりますぞ。」
鋭い目元がきょとんと丸くなり、王は軽く応じる。来ているとは?ヒョンゴは手を振り下ろして声を落としてくれるようにと慌てた。合点がいかぬまま、王は仕方なく王事につきあって囁いた。
 「何が来ているんです。」
 「あの姫です。」
ぱっと目が開かれ、次いで面白そうに細められた。
 「嫁いだ娘がなぜ父に帯同する?」
 「それはわかりません。」
むっつりとした王事は、巻き紙を読み返しながら王に近づいてくる書記を手振りで止めた。
 「王様—。」
なおもあたりを伺いながら囁く。
 「よもや面倒なことになってはいないでしょうな。」
 「面倒?なぜそんなにあの娘のことを気にする?」
気にせず話す王の声につられて、だんだんと王事の声も元通りに高くなっていた。
 「はっきり伺いますと、その、お手をつけられてはいないのですね?」
は!目を見開いて身を反らす。にやにやと面白そうに笑いながら、頬杖を外して身を起こした。聞き耳を立てていた部屋中の者が、そそくさと仕事に戻る振りをする。王はさも面白そうに王事を見つめた。
 「そういう心配だったんですか。宰相に弱みを握られるようなことはしないと言ったでしょう。」
 「いや、その、それならばなぜまた来るのです。あれだけあからさまに陛下に執心していた」
唐突に言葉が切れた。ヒョンゴはくるりと身を翻してその場から逃げ出した。
 「誰が誰に、何ですって?」
近衛隊の拵えで、スジニが立っていた。

 

***

 

 スジニは王の椅子の後ろに控えて立ち、夜半の珍客をまじまじと見つめていた。いつもの通り、王より先に居室に戻ると、侍従の助けを借りて鎧を脱ぐかというところだった。小鳥がさえずるような声がしたかと思うと、小柄な女が部屋に入ってきた。侍従が焦るのを意に介さず、それではお戻りまでお待ちしますと、勝手を知ったように座る。スジニはどういうことかと呆気にとられながらも、鎧姿を幸いに護衛で通し、なりゆきを見守ることにした。
 王はなかなか戻らない。新羅からもたらされた書簡に手間取っているのだろう。スジニはそっと正面の女を窺ってみる。真っ白な肌に溢れそうな瞳の美女は、手持ち無沙汰に細い指を撫で合わせては、異国風の結髪に手をやったり、どこか落ち着かな気だ。それにしても、女の目から見ても美しい。直立して入り口に佇むスジニの心がだんだんと波立ってきた。
 やがて遠くに大股のいかにも長身な足音が鳴り、入り口で侍従と小声で話しているらしい気配がすると、女はそわそわしはじめた。王が姿を見せた瞬間、立ち上がって文字通り飛びついた。仰天しながらかろうじて女を受け止め、弾かれたように床に下ろす。
 「あー、新羅の宰相の息女で、ミヒ殿だ。」
 「まあ、はじめて名を呼んで頂きました。」
なぜ自分が護衛の兵に名を通されるのかと、ミヒは機嫌良く微笑みながら、まじまじとスジニを見つめた。細い腰にぴったりとした漆黒の鎧姿。固く結わえた髪を背中にまっすぐ垂らしている。やや伏せた目をミヒに据えたが、気配は変わらず、もちろん護衛として黙っていた。
 ミヒはとても人妻には見えない。それでも嫁いで何年になるのか、女になった娘は、頬の丸みが落ちて顎が細く尖り、大きな瞳がますます際立っていた。夫人らしくやや濃く差した紅が、真っ白な卵のような肌に映えている。
 女をひきはがして王が掛けると、いつもより間を詰めて、スジニが背後にぴたりと控えた。ミヒはにこにこと茶碗をとり上げた。
 「嫁いで妻となった方が、この度はまたどうして父御に同行された?」
 「それは陛下にお会いしたいからに決まっております。」
屈託のない笑いに、背後でぴくりとスジニが動く。王は自分の背に暗雲が立ちこめるのを感じていた。
 「そういう冗談は—」
 「あら、陛下とわたくしの仲でございましょう?」
王はむっつりと押し黙り、背中を反らせて背後の気を伺った。スジニがわずかに動いて王の頭を避ける。さらに肩を回して身体を斜めに、後ろを気にする。ミヒの大きな瞳はその動きを不思議そうに追いかけていたが、やがて諦めたように小首を傾げて切り出した。
 「陛下が仰ったのはウソでしたわね。」
愛らしく眉を寄せて唇を尖らせる。
 「夫に抱かれれば忘れると仰ったのに、そうはなりませんでした。」
言葉の途中で大きな音が被さった。バタン!小卓が倒れ、同時に王は脇に一撃を感じて息が詰まった。いっ。スジニの剣の柄。
 「申し訳ありません。粗相をいたしました。」
鎧姿から出た女の声に、呆気にとられたミヒの口元がやがてくす、と笑った。スジニは口の端を上げたまま、倒れた小卓を起こし、床に飛んだ木彫りの鉢を拾い上げると、侍従には渡さずに自分で持って出て行った。

 

 王は憮然として脇腹を擦っている。ミヒが肩を震わせて笑い出した。
 「あの方が朱雀の将軍…」
くすくすと笑いが止まらない。王はますます憮然として、深く椅子に沈み込んだ。
 「そんなに笑うものではない。」
 「申し訳ありません。だって…気がつかなかったんですもの。ずいぶん美しい護衛兵とは思いましたけれど、将軍は男のかたとしていらしたので…。わたくし、その、まずうございましたね。」
困った顔をしながらも、渋面で脇を押さえる王を見ると笑いが勝って、ミヒの肩の震えはなかなか納まらなかった。笑われながら、王がぐったりと椅子にめりこむように座る。胸元を抑えて、ミヒがようやく口を開いた。
 「追いかけてお話しになる前に、泣き言の続きを申しましてよ。陛下、夫は人柄も姿もよく人望もありますが、それと房事は別でしたわ。夫はほんとうにあちらがヘタクソなんですもの。」
 「それでわざわざ文句を言いに来たわけか。」
 「さあ。面白い陛下を見せて頂きましたから、どうでも良くなりました。わたくし父のところに戻るかもしれません。」
そう言って、美味そうに砂糖菓子を舌に乗せた。
 「美しくて強くて聡いというのがあの方ね。本当に聡い方。だって」
またくすくすと笑う。
 「わたくしにでなく、陛下に当たるなんて。とても強くていらっしゃるのね。」
高句麗の太王に背後から一撃お見舞いしたのかと思うと、堪えきれずにまた笑いが漏れた。どうぞお行きになってとミヒが続けたが、王は椅子にめり込んだままため息をついた。
 「今すぐでないほうがいいかな。きっとあいつは—今すぐではなあ。」
それを聞いたミヒがまた笑った。天下の太王がずいぶん臆病でいらっしゃる。涙ぐむほど笑って、珍しく早々に辞した。

 
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