屋根裏部屋
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満ちる

6 Motherhood

 —スジニよ、戦ならばお前は全勝の将軍だろう。早く帰ってこい。いつものように早駆けで先頭を切って、一直線にわたしの懐に戻ってこい。

 

 「父上、ここは何ですか。」
黙り込んだ王に、コリョンはおそるおそる尋ねた。石の壁に囲まれたひんやりと薄暗い場所に子どもは怯えたようだった。
 「ああ、コリョン。ここは霊廟というんだ。わたしたちの祖先の魂を祀るところだ。」
そして父王が命を落としたところ。あれ以来、太王は霊廟を封印し、決して訪れることはなかった。王とその息子は壁際の石段に座り込んでいた。れいびょう、耳慣れない響きをコリョンは噛むように復唱した。
 「お祈りしているのですか。」
 「そうだ。お前も祈ってくれるか。ご先祖様に。お前のお祖父様に。」
そして、天に—
 「イモのことを」
 「そうだ。」
 「イモは死にませんよね?」
 「ああ、お前のイモは死なない。スジニは、強いんだ。お前も知っているだろう?誰よりも近くで高句麗の太王を守る朱雀将軍だ。千里を駆け、万軍を射る。わたしのスジニは死なない。」
胸の中で繰り返した。スジニは死なない。母のようなことにはならない。
 どれくらい時間が経ったのか。ふたりはそのまま黙って座り込んでいた。こうして待つことしか出来ない。これはスジニの戦で、代わってやることはできない。
 駆けつける足音を聞いた時、コリョンは王の膝の間で眠っていた。石の扉の内側で、王は息を止めた。
 「出血が止まって落ち着かれました。間もなく産室からお戻りになります。」

 ありがとうございます。

 震える手で顔を覆うと、王は大きく息を吐き出した。涙がひとつ、コリョンの髪に落ちた。自分が何に礼を言ったのか、王自身にもよくわからなかった。

 

***

 

 いきんで。スジニ様、もう一度だけ、いきんでください!スジニは苦しげに手を伸ばし、触れた手を握りしめた。大きな、よく知っている手。手の甲に、暖かいものが押し付けられるのを感じた。
 ぱちりと開いた目に、王の顔が映った。痛いほど握りしめた指が緩むと、王はそっとスジニの手を下ろしてやった。布を絞りスジニの額を拭う。スジニは確かめるように腹に手をやり、それを見た王は静かに微笑んだ。
 「一度にふたりも抱えていたとは、欲張りすぎて大変な目に遭ったな。」
ふたり。ふたごですか、ご覧になりましたかと、スジニは思わず身を起こそうとしてすぐに倒れ込んだ。慌てて王が抱きかかえて横たえる。
 「起きてはいかん。ずいぶん血を失ったそうだから。子らは無事だ。乳母と医女がついているから心配するな。」
こんな難産は初めてだ、母子ともよく無事であったと、産婆は魂が抜けたように座り込んでいた。後宮には緊張が残っていたが、こうしてスジニが目覚めたことで、なにもかもがようやく息をつくようだった。またすぐ汗ばんだ額をもう一度拭う。ふたご、と呟くスジニに、双子の女の子だ、と王が言葉を重ね、ようやく弱々しい微笑が浮かんだ。
 「ゆっくり休むんだ。もう少し元気にならないと子は抱けないぞ。」
いつになくスジニは神妙に目を閉じた。目の下の翳りが濃く、軽く開いた唇には、噛み締めて切ったらしい傷が血を残して乾いている。水に浸した布で丹念に唇を湿らせてやりながら、王は身震いした。失うところだった。かすかな震えを感じ取ったように、スジニは王の手をとってその甲に口づけた。王がいつもスジニにする仕草だった。
 「ご心配を、おかけしました。」
夜明けの薄明かりに灯りがぼやける。ゆっくりと屈み込む姿が影になった。王は蒼ざめた頬に口づけを返した。擦り付けるように、もう片頬に自分の頬を寄せ、低く囁いた。
 「よくやった。本当に、よく戻ってくれた。」

 

***

 

 王と太子は、連れ立って後宮に向かっていた。ようやく母子ともに落ち着いて、はじめて会えるというので、コリョンは興奮して先へ先へと歩いた。
 「父上、赤子は十月も母のお腹にいるのだそうです。それからようやく出てくるんだ。」
どうやら目下の関心事は生命誕生らしかった。それでは次の問いは決まっているなと構えたら、案の定聞いてきた。
 「父上、赤子はどこからお腹にやってくるのですか?」
王はコリョンの顔をじっと見た。
 「本当に知らないのか。」
こくこくとかぶりを振る。
 「男女がお互いに愛しいと思ったら天からやってくる。」
 「ほんとうですか?」
 「本当だ。」
そのままじっと父を見ている。
 「もう少し続きがあるが、この先はまだ教えてやれないな。」
 「やっぱり。」
なに、と振り向くと、コリョンは先に駆けていった。侍従が笑いを堪えている。
 「厄介な年頃だ。」
頭を振りながら、今日は静かに務めている近衛隊の礼を受けた。

 そっと扉を開けた王は、声をかけることができなかった。部屋一杯に光が溢れている。乳を含ませたところだろうか。白絹をまとったスジニが寝台の上に身を起こし、両の腕に赤子を抱いていた。ふくよかな乳房が少し覗き、胸元は白く輝いている。胸を抱くようにして衿をかき合わせ、顔を上げたスジニが微笑んだ。夏の陽を浴びて輝く野の花のようだ。眩しさに王は目を細めた。
 「たしかに欲張りすぎました。一方に乳をやると、かならずもう一方が泣きます。困ったな。」
父上に名をつけて頂かなければね。コリョン様のように。かつて胸の中で何万回も言った言葉を、王は繰り返した。それが今日はそのまま口をついて出た。
 「きれいだ。お前はきれいだな。」
両腕に子を抱いて、スジニは花のように笑った。イモ、わたしもいもうとたちを抱っこしたい。それはまだだめと、スジニは笑いながら順に赤子を寝かせた。抱っこより先にご挨拶をしてあげて。
 「わたしがおまえたちの兄だよ。」
コリョンは大まじめな顔をしてスジニの両脇を交互に覗き込み、こわごわと産着の衿を撫でた。王も娘たちを覗き込み、ちいさな手に自分の指を握らせた。
 「お前たち、母をあまり困らせるな。」

 

(了)

 
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