屋根裏部屋
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満ちる

3 Half Moon

 春の夕闇に、眠たげな半月がぽっかり浮かんでいる。王の居室には、ごく簡単な夕餉の支度があった。王もスジニも戻るのが遅くて不規則だ。なるべく構わなくていいと、給仕もつかなかった。
 スジニが戻った時、王の姿はなかった。這うように寝台に掛けると、足先から腰へと揉みほぐした。丸く目立ってきた腹をかばって妙な立ち方をしているのか、腰痛に悩まされている。鎧も胴着もつけられないので、胴に革を使った上着と、男物の細身の袴を穿いていた。腰を労るのをやめるとそのまま後ろに倒れ、いつの間にか寝息を立て始めた。
 抱かれて背を撫でられている。目を覚ますと太王の腕の中だった。
 「何か食べろ。そのまま寝ただろう?暖いものを作らせるか?」
食卓を指す。食べられない時期が過ぎると、以前にも増してスジニは健啖になり、二人分だと言ってよく食べた。背を支えてゆっくり起こし、軽く口づけた。
 「今日コリョン様に、後宮に引っ越す話をしたんですが」
炙った肉に齧りついて、間があいた。王はスジニが食べるのを見ているのが好きだった。活き活きとして、命そのものだ。悪阻の時期、食べられないでいるスジニを見ているのは辛いものがあった。げっそりと青くなり、このままどうにかなってしまうのではないかと、料理人を呼びつけてあれこれと工夫させたが大した効果はなかった。やがてタルビや乳母の言う通りに、けろりと倍も食べるようになった。
 「産室もじきにできますから、後宮に越すと言ったんです。淋しいだろうけど、もうすぐ兄になるのだからと。そうしたらアジク—コリョン様、毎日お見舞いに行きますよ、ですって。」
生意気な口調を真似ながらスジニは肉を振り、そのまま口に運んだ。もぐもぐと口を動かしながら、王の様子を窺う。なんだ、と目で聞くとようやく呑み込んだ。
 「父上もいいと仰ったから、と。」
急に大人びてきましたと、スジニは続けた。王はただ微笑んで聞いていた。
 冬の日にスジニが倒れ、駆けつけた。凍えるような夜明けで、スジニが育ての子の元へ戻った直後だった。あんなに慌てたことはない。侍従の耳打ちを受けて走り、気がついたら太子宮にいた。血の色がない真っ白なスジニの顔、その後の微笑み、寝台に座った太子。
 太子を部屋から出すと、スジニは目を閉じて笑った。王は寝台の横に跪いて、その耳に囁いたのだ。
 「笑っているな。その顔は、病ではないんだな。」
ふたりとも覚えがあった。月の障りのときも抱き合って眠るのだ。懐妊の兆しを察したのは王のほうが先だった。
 「なにしろこんな調子ははじめてですから、おそらく。」
もう十日ほど、軽い吐き気と腰の重さに悩まされていた。今朝のそれは、思わず屈み込むような猛烈な嘔吐だった。ここしばらくの体調に、突然答えが出たような気がした。
 「脈を診てもらえ。」
王の声が耳元で掠れた。
 それからスジニは言ったのだ。コリョン様のことをよろしくお願いします。今までは一人と一人で、母代わりでよかったけれど、わたしが子を持ったら、あの子はいろいろ考えてしまうでしょう。
 「太子はわたしの息子だ。お前の子と同じ、わたしの子だ。心配するな。」

 

 「コリョン様と話してくださったんですね?」
王はただ微笑んだ。男と男の話だ。スジニは合点がいったように頷いた。
 「男同士の話をし始めると、男の子はあっという間に大人になってしまいますね。」
 「淋しいか?」
 「淋しくないと言えば嘘ですが、父と息子というのはきっとそういうものなんでしょう?私も子離れしなくては。」
スジニが団子を頬張るのを王はにこやかに見ていた。父と息子だけで育った自分には、子どもらしさがあまりなかったのかもしれない。太子の屈託のない闊達さは、スジニという母が与えたものなのだろう。
 「後宮に移ったら、軍人は休業だぞ。」
念を押すように言う。腹が目立つようになってきて、腰痛がひどいとこぼすくせに休もうとしない。民は産み月まで畑を耕すのだ、動いていた方がお産は軽いのだというが、それにしても最近は動きにくそうにしている。
 「わかったな?」
 「わかっていますが、動ける限りは。」
 「それが危ないんだ。自分がその気でも、その腹を抱えてでは動けまい。なにかあったらどうする。」
いつも言われる小言に戻ってしまった。精一杯聞いている顔をして、スジニはようやく膳を離れた。

 

 大殿に入っていく影がある。こんな時間に誰なのかと、不審に思ったスジニは静かに後に尾いた。黄昏時で、灯りのない大殿の中は薄暗い。将軍、と暗がりから小さな声がかかる。王の侍従だった。手で示される先を見ると、王とコリョンが玉座の下に座り込んでいた。コリョンは脚をぶらぶらさせながらさかんに手振りを交えて話し、王はにこやかに時々口を挟む。スジニは父と子をじっと見つめた。こんな二人を見るのは初めてだった。
 やがて陽が落ち、侍従が灯りを届けた。
 「イモ!」
侍従が来た先に、目ざとくスジニを見つけたコリョンの声が響く。手を振りながらスジニは大殿へ入ろうとした。
 「イモ!そこに階段があるから」
大声で叫んで、飛び降りて走り寄ろうとする。何を慌てているのか、勝手知ったる大殿だ。構わず入ると、泣きそうな顔で駆け寄った。
 「暗いのに、転んだらどうするの。」
一人前に怒っている。
 「お腹にわたしのきょうだいがいるのに、転んだら大変でしょう。暗い時にこういう場所を歩かないで。」
 「転んだりしませんよ。」
軽く返したが、むっとして黙り込んだ。どうやら本気で怒っているらしい。王がにやりと笑った。
 「同意見だ。危ないから入るな。ここは石段だらけだ。」
男同士が結託して、やりにくいことこの上ない。
 「はいはいわかりました。こんな危ないところは歩きませんから。」
こうして息子に意見されるようになるのだ。苦笑いで大殿を出た時には、明日から休暇にしようと決めていた。

 
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