屋根裏部屋
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満ちる

1 Crescent Moon

 夜明け、明るくなった空に細く三日月が浮かんでいる。太子宮の朝は早い。コリョンは学ぶ楽しみに取り憑かれ、ありとあらゆる分野で教師を質問攻めにする日々を送っていた。夜明けに起き出し、楽しげに書物を開くと、足をぶらぶらさせながら一心に読みふける。そうするうちにスジニがやってきて朝食となるのが常だった。
 コリョンは薄々気がついていた。彼の叔母は朝、起きてくるのではなく戻ってくるのだ。そしておはようと明るく声をかける。コリョンも明るく挨拶を返す。叔母は活き活きと鎧姿で務め、父王はそれをご寵愛だと、いろいろなところから耳に入る。十歳の子にごちょうあいの意味はよくわからなかったが、二人が穏やかに睦まじいのは心地よかった。
 その日はどうも様子が違った。どれだけ読み進んでも叔母は現れず、ついにコリョンは乳母を探そうと、書物を閉じた。
 「ああ、スジニ様、一体どうされました、まあ」
今まで聞いたことがない声で乳母が慌てている。数人ががたがたと動く音がして、そのまま物音は遠くなっていく。イモの部屋だ!コリョンは部屋を飛び出した。
 スジニは両脇を下女に支えられ、ようよう寝台に上ったところだった。顔色が真っ白だ。胸元を緩められるとそのままじっと前屈みに止まってなにかを堪えるように美しい眉を寄せた。
 「イモ!病気なの!?」
スジニは笑顔を作ると、大丈夫、大丈夫と手を振ってみせる。乳母がコリョンの肩に手を置いて、お召し換えなさいますと連れ出した。元気が鎧をつけて歩いている。チュムチがよく言うように、スジニは風邪一つひかずに近衛隊長を務めていた。戦では天幕に寝て、夜通し馬で走ることもある。コリョンにとってスジニは母の代わりであり、英雄でもあった。
 「イモは病気なの?」
ようやく出てきた乳母に、噛み付きそうな勢いでコリョンは尋ねた。あんな顔色のスジニは見たことがない。なのに乳母やはうきうきと楽しげに見える。なぜ心配しない?むっと黙り込んだコリョンの気配を察して、乳母がようやく口を開いた。
 「スジニ様はおめでたです。コリョン様はお兄様になられるのですよ。」
おめでた、とは何なのか。ともかくコリョンはスジニの顔を見なければ居ても立ってもいられなくなった。そのまま身を翻してイモの部屋に駆け込んだ。
 「イモ、大丈夫?」
真っ白な顔色のままだったが、スジニは笑って頷いた。盥と濡れた布が置かれ、下女が首筋を拭っている。手招きされてコリョンは寝台の端にそっと座った。
 「びっくりさせたね。アジク。」
 「病気なの?父上にお願いしてお医者を呼ぶ?」
そこから戻る途中でこうなったのだとも言えず、スジニはただ微笑んだ。
 「イモ、おめでたって何の病気?」
一瞬の間をおいて、下女とスジニは同時に笑った。手振りで下女を下がらせると、スジニはコリョンの心配げな目を覗き込んだ。
 「イモは赤ちゃんを産むのよ。アジクの弟か妹を。コリョン様はお兄ちゃんになるの。」
スジニは今でも、甘やかすときには幼名のアジクという呼び名を使った。王が太子に与えた名を呼ぶ時には、コリョン様、と敬称をつける。時々敬語になることもある。スジニはだんだんに、甥を太子として扱いはじめていた。
 「赤ちゃん?イモの赤ちゃん?」
まだぴんとこないらしいコリョンは、何度も繰り返していたが、ようやく赤子の像を結んだらしく、じわりと笑顔が浮かんできた。
 また外が騒がしくなった。さっきよりよほど大きな足音がばたばたと響く。お休みになっておられます、という声を追い越して、裾を翻して入ってきたのは太王だった。
 王は戸口で立ち止まり、寝台に横たわったスジニを見て大きな息を吐いた。それからようやく歩み寄って、寝台の脇に膝をつくとスジニの額にそっと手を置いた。
 「倒れたというから驚いた。」
白絹の夜着の上に、短い上着を羽織った王の格好を見て、スジニが笑った。王もほっとしたように微笑みを返す。頬を包んだ王の手をとると、スジニはコリョンに囁いた。
 「アジクや。乳母やと朝ご飯を食べていらっしゃい。」
優しく有無を言わさないいつものイモだった。父の姿を見てコリョンは少し安心し、ようやく寝台を離れた。

 

 その日、コリョンの教師たちは来なかった。ようやくスジニの部屋から出てくると、王はすぐにコリョンの部屋を覗き込んだ。そこらじゅうに乱雑に積まれた書物、なにやら書き付けた紙が一杯に広げられ、積まれ、壁には小さな地図が掛けられている。幼子の好奇心をそのまま描いたような部屋の様子に、王は我知らず微笑んだ。
 「少し落ち着いて片付けないと、頭の中まで散らかってしまうぞ。」
紙片を集め、除けながら腰掛けた。教師たちはコリョンの聡明さをこぞって王に報告していた。何をどう教えるか、王はあまり細かに指示をせず、関心が赴くままに任せていた。その結果がこの散らかりようというわけか。
 「学ぶのが楽しくて仕方がないようだな。」
コリョンには答えようのない問いを投げて、王は部屋を見回した。しばらく考え込むような様子で、机についたコリョンを優しげに見つめた。
 「太子に話がある。今日は先生たちはこないから、これから父と一緒に来なさい。」
立ち上がった王には、スジニよりもっと有無を言わさないものがあって、コリョンは素直に書物を置くと後に従った。

 
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