屋根裏部屋
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 「スジニ、今日のデータもコピーしておいてくれ。サーバに残すなよ。
それが終わったら今日はもうやめだ」。
 スジニは思わずスクリーンから目を離して振り返った。
 「終わりですか?エスプレッソの撮影、絵コンテ仕上げないんですか? ジンシクが照明のセッティングでまた手間取りそうなのに。」
 「あいつだってわかってるさ。」
 は、そうかなと、細い手を振って、また画面に見入っている。クリック音が、スタジオとつながった広い天井に響いた。
 「CANDY行くけど、どう?」
 「あ〜、よいですねぇ。」
 「じゃ、後で。」

 —え?先に行っちゃうんだ?データのコピーだよ?すぐ終わるのに—

 置いていかれるカンジは好きじゃない。
 慌てて振り返ったところに大きな手があった。片手ですっぽりと頭を包まれて、ひと呼吸して笑いが起きた。NBAの選手が片手でボールを掴んでるような、そんなかんじになっていた。

 ごめん。

 どうしてこんな近くに手があるかなあ。セクハラ未遂とか?

そのまま撫でるように手を離して行ってしまった。無造作に結わえた艶のある髪、ビンテージジーンズの長い脚が、広いストライドで消えていく。口を尖らせて、スジニは猛然とキーを叩き、データの残量ゲージを恨めしそうに眺めた。

 

 照明を絞った地下の店は、覗き込むと薄暗い。それでもよく見ると、週末の混み合った店内は活気もピークで、ほどよく音量を上げたジャズは絶妙なバランスで喧噪を飲みこんでいる。そんな中の、まるで光ってるような一角。指定席はカウンターの右端だ。しわしわの白シャツの肩に、ほどいた髪が載っていた。一日スタジオに籠っていたせいだけじゃない。アイロンをかけたシャツが嫌いなのだ。

 ぴしりとスーツを着た姿も最高なのに。
 キマりすぎるって、自分でもわかってたりして。

 スジニは黙って隣のスツールに這い上がった。大振りなトールグラスに、ライムが引っかかっている。長い指がそれを無造作に絞って沈めた。
 「あたしもハバナの7年、ソーダで。レモンもライムも、いらない。」
オーダーの最後のところで、なじみのバーテンダーは声を合わせ、ふたりは同時に小さく笑った。
 「待っててくれてもいいじゃないですか?もう終わるところだったのに。」
 「敬語になってる。」
 覗き込むように言われても、スジニは正面を向いたままだ。タイミングよく滑り込んだグラスを取り上げると、何も言わず一気に流し込んだ。
 「同い年なんだから、仕事場を出たら敬語はやめろって言ったのに。」
 「だってそんなに器用にいきません。ほんのさっきまで仕事してたんだから。」
スタジオは角を曲がってすぐ、目と鼻の先だ。
 「友達になったのが先なのに?」
 「友達ぃ?」
スジニがおかしそうにスツールの上でバタつく。はじめは単に酒場の顔見知りだ。好きなラムの銘柄がかぶって、ある日在庫の一本を取り合いになった。それから話すようになり、数ヶ月前からは雇われている。
 「ボスにタメ口なんかきけません。」
 「オーホ。そのボスっていうの、やめなさいよ。君は案外しつけがいいんだなあ。名前でいいんだ。タムドク、ほら簡単。」
 「簡単じゃないですってば。」
 「また敬語だ。これは罰にもらっとく。」
小皿に盛られたピスタチオを、優雅な仕草でひとつ、ふたつとかすめ取る。
 「それもちょっと味見させて。どうしていつも柑橘類入れないの?」
 「どうして何度も味見をするの—と、ちょっと!」
庇ったグラスを肩越しに手を伸ばしてむんずと掴んだ。まるで肩を組んだような、片腕で抱き込まれたような格好で、一日の終わりのくったりとしたシャツが、スジニの何もつけない頬を包んだ。
 遠慮なくぐいっと飲む。スジニは思わず腕をつかんで自分のグラスをたぐり寄せた。
 「ちょっと、そこまで!そこまで!」
 「ああ、いい気分。人の酒って最高。」
 「人の酒狙うなんてサイテー。」
ようやく取り戻したグラスに口をつけて啜ると、肘をついてじっと見ている。ほそいオーバルのシルバーフレームの奥で、瞳が柔らかく微笑んでいた。
 「変なこと言っていい?」
 「イヤだと言っても言うんでしょ?」
 「おれたちどこかで会ってないか?すごく昔かもしれないけど。」
スジニが大げさに目を見開き、その後すぐに吹き出した。
 「それってもしかして、口説いてる?よくそんなすり切れたようなくどき文句でまあ、あたしも甘く見られたもんだなあ。」
 「いや、それがマジメな話なんだ。スジニのこと、ずっと知ってた気がする。」
なるほど、フレームの奥の瞳から、少しの間笑いが消えていた。スジニの視線が外れ、グラスへと俯いた。
 「レモンもライムも入れないのはね—。このラムは十分、そういう香りがするから。しかももっと複雑な樽の香り。これを消しちゃうものは入れないの。」
黙って肘をついたまま、穴があくほど横顔を見ている。それがわかっているから、スジニはますますそっぽを向いた。
 グラスを置くと、いきなり手が伸びて、口に何か押し込まれた。ピスタチオ。呆気にとられてさすがに目が合った。ポリ、ポリとゆっくり噛み砕く。
 「こっちを見て話せ。」
カチっと固い音がして、またひとつ殻を割っている。
 「はい…」
子どものような返事に、タムドクが吹き出した。オレンジ色の灯りの中、白い歯がこぼれた。凄腕のフォトグラファーが、溶けるように笑み崩れている。
 さっきのシャツの感覚が、スジニの頬に残っていた。思いのほか逞しい、固い身体を感じた。すっかり身体に馴染んだ何かの香りも。
 不意に、なにかめまぐるしい想いが駆け抜けて、スジニの体がスツールの上でよろめいた。
 「まだ一杯目なのに、ヘンなこと言うから、酔ったかな。」

 ヘンなこと。
 それに応えて、自分もヘンなことを言おうとしている。笑いが納まっても視線を捉えられたまま、スジニもタムドクを見つめていた。

 あたしもあなたを知ってた気がする。

 

(了)

 
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