屋根裏部屋
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 「契丹の使者は長逗留だな。」
王は練兵場に出ていた。端の草地で、兵を眺める三騎の中に青年の姿がある。増強した新兵と、こちらも増やしたばかりの馬を見ていた。やはり時々暴れる。先日来、馬を早急にどうにかしろと、王は直に命令を出していた。
 「追ってくる使者をもう一人待っているのだとか。とかく馬となると契丹の者は熱心ですね。」
スジニに並んで、今日は王も騎乗していた。書状を開けてみれば、騎馬の訓練を見せて欲しいとわざわざ一筆あった。それはいいが、あいつは一体何に熱心なのやら。恐れを知らぬ正直な奴だ。
 「新兵の訓練だけで、陣形などは見せませんから。」
王はちらりと草地に目をやった。
 「早駆けと言われたらもっとはやく。それじゃ並足だ。」
スジニの声が飛ぶ。弓がひければ馬も得手とは限りません。スジニがこぼす通り、乗馬の技術を揃えるのはもっとも難しそうだった。みながシウ族というわけじゃありませんから。いつもそう言ってスジニは苦笑する。たしかにこれは大変だと、王は走り回るスジニを目で追った。馬もようやく数を揃えたが、こちらももっと馴らす必要がある。
 早駆けで弓を構えるだけでも大変な技だ。スジニは平然と手綱を離してやってのけるが、いきなりそんなことをすれば当然落馬だ。根気よく何度も繰り返す。脚を締めろ!腰で乗るんだ。馬を回せ!回せ!
 繰り返すうちに、直線を駆ける兵がひとり落ちた。怒濤のような蹄の海を、丸まって転がる。怒声が響いた。踏み殺されるぞ!何やってる!すかさず一騎が走り寄ると、落ちた兵の腕をつかんで引き上げた。自分の鞍に乗せて飛び出す。それをスジニが追った。叢に兵を降ろすと、契丹の青年はスジニに白い歯を見せて笑った。
 「二度も助けてもらってこう言うのもなんだけど。訓練中には隊列に入らないこと。そうでなければ今後練兵場には入れない。アティラの一言がなければそもそもここには入れない。特別待遇だということを忘れないで。」
きりきりとスジニが話すのを、青年は目を白黒させて聞いている。転がるように走る弓兵を急き立ててスジニは馬の群れに戻った。
 呆気にとられて見送る青年は、近づく馬に気がつかなかった。ゆったりと蹄の音がする。はっと気づいた時には、正面に高句麗の太王の姿があった。供を下げ、ただ一騎で悠然と手綱を繰る。
 「やられたか。命の恩人も形なしだな。あれが朱雀将軍だ。」
低い声がよく通る。青年は思わず頭を下げると馬から飛び降りた。そのまま改めて頭を下げる。固く目を瞑り、今度こそ調子に乗って出過ぎた真似をしたことを悟った。

 

 先日の騒ぎで、同行の皆から雷が落ちたばかりだった。よくもまあ無事に済んだな。アティラの使いはため息をもらした。
 「太王の寵妃だ。騎馬弓隊を率いる女将軍。弓の化身のような働きをするそうだ。」
たしかに素晴らしい身のこなしだった。鞍が落ちなければ、あれで収まっていたはずだ。危ない所を抱きとって自分の鞍に乗せただけだと言うと、触れようとしただろうと睨めつけられた。たしかに。すんでのところで頬に触れてしまうところだった。
 「太王はむやみに怒らぬ方だが、一旦怒りに燃えるとそれは恐ろしいぞ。お前も聞き覚えはあるだろう。」
あの気配。柄で押されただけなのにたいそう重かった。

 

頭を下げた青年の前で、太王が馬を降りた。ますます顔が上げられなくなった男は、じっと頭を落としたまま、視界に入ってくる王の軍靴を見た。
 「頭を上げろ、目を合わさねば礼が言えない。」
ようやく青年は顔を上げた。
 「先日はあれをよく助けてくれた。礼を言う。」
じっと目を覗き込んで言うと、太王は身を返して背後の訓練を見やった。礼だって?この恐ろしい圧力は何だ。青年の背を冷たいものが走った。
 「どう思う?」
そう言って振り向く。朱雀将軍のことを?そう聞いているのか?青年は素早く考えを巡らし、必死に言葉を探した。
 「高句麗の馬は素晴らしいと、感嘆いたしました。」
ようやく絞るように言った。太王がにやりと笑う。
 「そうか。あのように暴れるのではじめは手がかかるが、一旦乗りこなせば主には従順だ。」
 「—さようで、ございますか。」
 「主以外が手を出すと蹴るがな。そして主も—高句麗人は自分の馬に手を出されると怒りっぽいものだ。」
青年はたじたじと無言だった。
 「美しいだろう?」
王が続ける。遠く駆けるスジニを見つめていた。
 「どうだ。」
 「は、た、たいへん美しいかと—」
 「馬は高句麗の宝だ。」
 「—は?」
そう言うと、青ざめた男の肩を叩き、馬に飛び乗った。微笑みを絶やさぬまま王が去ると、青年は逞しい背をぐったりと馬に預け、袖口で汗を拭った。ようやく近づいて来たもう二騎が、大きな息を吐いて王の背を見送った。

 

 次に草地を眺めたとき、契丹人の姿は消えていた。スジニは探るように王の横顔を見つめた。視線を受けた王は、正面に兵たちを見たまま微笑んだ。
 「礼を言っておいた。」
さてどんな礼やら。スジニはそのまま馬を廻し、新兵の列を率いて走った。各隊長が威勢のいい声を上げる。スジニが青空を背に跳んだ。高句麗王の溶けるような目が注がれていた。

 

(了)

 
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