屋根裏部屋
space
space
 <--TOP PAGE 軍神 <- Back  
space space space space
line
space space space space
  1・・2・・3・・4・・5-1・・5-2・・5-3・・5-4・・6・・7・・8R18・・9(了)  
space space space
軍神

9 初雪

 兵を労って三日間野営したが、それが限界だった。毎年早い時期に、冬の始まりを宣告するような寒気が訪れ、雪が舞うことがあるという。野営地を畳む日が来た。
 居並んだ契丹兵が、陣頭にアティラを戴いている。将軍位にあたる武将を三名亡くし、毒の被害は甚大だった。馬上にあって、再び太王と首領は肩を抱き合った。太王軍の軍列は整然と隊列を整え、号令を待っていた。
 そこでスジニが動いた。行軍とは逆に北に駆ける将軍の髪は、腰の上で切り揃えられている。ゆったりと結わえた後ろ姿を数騎が追った。
 地平線に浮かんだ土煙は、すぐに明らかな大きさになった。数百の騎馬か。一直線に、こちらに向かってくる。スジニの肩口に一瞬殺気が走り、それは次第に軍に伝わった。ただ太王だけが気配を変えていなかった。
 顔も見えぬ距離に、それは止まった。鞍を置いた馬だ。先頭に立つ数騎のうち、一騎がゆっくりと駒を進めた。スジニが出る。
 若者だ。髭も揃わぬ若者が、見事な葦毛の手綱を取っている。髪が風に嬲られて乱れ、目元を隠した。
 「夫餘の王家より、高句麗の太王陛下に献上品を」
背後を確かめるまでもなく、そこには太王の姿があった。

 

 青年は頭を下げたままだった。六騎だけの供ははるか後ろに控えている。太王が破顔した。青毛を進め、とうとう顔をつきあわせた。
 「実の父と争うとは、大変だったな。だがこれからはもっと大変だろう。」
青年はようやく顔を上げた。眼前にあるのは漆黒の馬。紋章が刻まれた漆黒の鎧。鋭い眼光と低い声が、まっすぐに胸を刺す。威風堂々たる高句麗の太王その人だ。太王はのんびりと手綱を取り、背後の馬に近づいていった。数頭を眺め、若者を呼ぶ。なにやら尋ねては頷き、次にアティラに手招きした。
 はじめ気がつかずにいた契丹の首領は、スジニに馬を寄せられて慌てて参じた。馬に囲まれ、三者が何やら話している。やがて太王の笑いが響いた。アティラが低頭した若者の肩に手を置くと、今度はスジニが手招かれた。
 「これをくれるそうだ。」
百頭以上はあろうか。すべて鞍を置いた馬を、太王が指した。
 「やはり夫餘の馬は素晴らしいな。」
スジニは慌てて若者を振り返った。夫餘の太子。青年は、圧倒されたように太王軍を見つめていた。いくぶん紅潮した頬、軽い胴着だけで、この寒空にいかにも軽装だ。かろうじてひとつに束ねた髪は乱れ、眉間を覆っていた。厚い胸板、がっしりとした長駆は、文官の国と聞いても武人らしく見える。端正な横顔の線は、誰かに似ていた。
 「雪が溶けたら国内城に来い。話はそれからだ。」
太王の言葉に、異国の太子は深く頭を下げた。それから瞬時に走り去った。
 馬を捌く兵を横目に、アティラがぼやいた。
 「まったく敵わん。これで手を握らねば、契丹は度量の狭い馬鹿者だ。」
太王が笑う。骨のあるヤツではないか。これしか詫びようがないと、直に言ってきた。
 風が舞う。昨日から急に寒くなり、風向きが変わっていた。
 あっ。馬上のスジニが腕を伸ばして顔をしかめた。左肩が絞るように痛む。太王とアティラの目は、柔らかに伸ばされた腕を辿り、細い指の先、天を仰いだ。
 初雪。風に乗って運ばれた雪が舞っていた。
 「冗談じゃない。帰るぞ。」
太王の言葉にアティラが笑った。左様、お急ぎください。この後二十日で川が凍る。スジニが大げさに身を震わせた。

 

 眼を合わせて頷くと、言葉もなく太王は駆け出した。それを見送ったアティラも馬を返す。北西と南に、それぞれが道を分け駆け去っていった。漆黒の馬を駆る太王が、南下する軍の先頭を行く。はるかに騎馬の群が続いた。
 左に半馬身下がって従いながら、スジニがぶつぶつ呟いた。まっすぐ前を見据えた太王は、苦笑しながら耳を傾けていた。
 結局、太子のお手柄ですか?契丹も我々も、鮮卑の汚い戦を見にこんな北まで来て、すっかり寒いし、王様は負傷なさるし、わたしはフラフラだし—
 「北方をこの目で確かめたから充分だ。夫餘の次代の王もな。お前も少し、待ち伏せの研究でもしたらどうだ。」
 「私はあんなセコい戦はやりません。」
ひそひそと話すふたりの後ろで、ジンシクが笑いを堪えた。
 「あの太子は十八だそうですね?誰か様にちょっと似ていました。」
遠い眼をした太王は答えない。微笑んだまま、いつもの調子を取り戻したスジニの繰り言を聞いていた。

 

 行軍十五日。行きよりいくぶん時間をかけて、太王軍は国内城に戻った。当初の計画通り、短い遠征だった。間もなくこの地も雪に閉ざされる。戦の季節は終わりだった。
 先頭で入城する太王を一目見ようと、詰めかけた民からはすでに歓声が上がっている。城門の外で、夫餘の紋章旗を背負った早馬が二騎、軍の通過を待っていた。
 「夫餘からの書状だな。」
太王に直に声をかけられ、異国の兵士は弾かれたように頭を上げた。自分たちはかろうじて先に出たはずだ。このような大軍が、同時に着いたことに驚いていた矢先だった。
 夫餘王即位の書状だろう。百頭の馬を連れた若者の、風に乱れた髪が思い出される。太王は柔らかく微笑んだ。年若き王に幸あれ。訪れる艱難辛苦に鍛えられんことを。
 「東門から通してやれ。」
衛兵に言うと、太王は城門をくぐって降り注ぐ民の歓声に応えた。もう、北の地では川が凍り付いたろうか。あの者らをすぐ帰してやらねばと、王は遠い地を思っていた。

 

(了)

 
space
 
space
    <- Back  
space
line
space space space space
 <--TOP PAGE 1・・2・・3・・4・・5-1・・5-2・・5-3・・5-4・・6・・7・・8R18・・9(了)  
 
  space  
line
  space  
  Copyright © kuro-kmd. All Rights Reserved. since 2010.  
  space