屋根裏部屋
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軍神

5 毒 Day-3

 危険を承知でいったん鎧を解いた。スジニの身体はすっかり空で、もう吐くものがない。苦い汁を吐き出しては口を漱ぐ。水を飲んで胃の腑を洗えと言われたが、すぐに訪れる嘔吐が辛かった。高熱で目も口も乾き、汗が滴り落ちる。とうとう乾きが勝って、瓢一杯の水を一気に飲み干した。
 嘔吐した目が潤んでいる。霞んだ視界で、振り向いた影が白い歯をこぼして笑った。端正な目元が柔らかく崩れた。
 またスジニの肩が震え、首を背けて床へ大きく吐き戻した。しばらく肩で息をしながら、寝床に沈み込む。がたがたと全身が震えていた。やがてそろそろと、膝をついて四つん這いになると、吐き気を押さえ込むように枕に突っ伏した。
 そのまま時が過ぎた。衛兵がそっと天幕を覗き、這うように枕を掴んだスジニにぎょっとした。しなやかに反った背は身動き一つせず、指が白くなるほど枕を握りしめている。衛兵は震えながら声をかけ、舌がもつれた。コムル人が倒れ、本隊からの知らせが受け取れません。
 「鎧をつける。手を貸せ。」
滴るほど汗に濡れた髪が重たく揺れた。

 

 スジニはふらつく身体を槍で支え、ようやく立っていた。ヒョンナムは昨日から嘔吐し、熱に浮かされているという。今では熟知した症状だ。彼には辛い時間が始まったばかりだった。
 昨日に続き、本隊から送られた鳥は、受け手がないまま再び飛び去った。慣れない者に決して捕まらないよう訓練されている。ヒョンナムがせめて意識を取り戻すまで、鳥を使える者がいなくなったということだ。
 スジニは後悔していた。契丹との連合軍で、たかだか三日の距離。書記を一人しか同行していなかった。伝令を走らせるか。馬と兵、それに本隊との距離を考えながら、スジニ自身、残る吐き気と戦っていた。
 「アティラ—首領は」
スジニの問いに、契丹兵が短く答える。まだ嘔吐しているが、馬には乗れると、仰っています。それはどうだろう。自分の状態と引き比べ、スジニは薄く笑った。
 かろうじて床を離れた将軍に続々と報告が入る。スジニは全兵を容態で細かく分けるよう指示した。立ち上がれない者、歩ける者、乗馬できる者。
 我らを討つ余裕が夫餘にあるのか。その一点のみをスジニは考えた。今、自分はかろうじて立っている。陣の中も立ち動く兵が格段に増えた。死さえ免れれば、回復は案外早いのではないか。
 では、問題は時間だ。目の前の懸念から数えよう。
 その一。毒を放った夫餘軍の残党。
 その二。国境の警備軍。
 その三。山向こうの王都からの援軍。
 三については、王都からここまで七日はかかる。本隊から情報を得られず、夫餘の内情がわからない今、それがここを発つ時限となる。
 二については、国境から山を下るのに二日はかかる。その間に我らはさらに回復するだろう。敵が二千に満たなければ勝てる。
 一について。毒を使う連中だ。何をするかわからない。身を潜めた敗残兵は最大の懸念だった。数で劣るので出てこないのだろうが、次は何をする?夜襲をかけ火を放つか?
 スジニは唇を噛んだ。落ち着け。王様ならどうなさる。一兵たりとも無駄に死なせるなと、そう仰るはずだ。

 

 よろめく足音が近づいた。
 「朱雀将軍」
アティラも槍で身体を支え、身を屈めてようやく歩いていた。
 「面目ない格好だ。」
互いに苦笑が漏れた。
 「毒殺など女のすることだ。」
吐き捨てるように言った後、慌てた。
 「まったくその通りだ。」
静かにスジニが応じる。ほっとしたようにアティラが息を吐いた。
 「夫餘軍の残党にこれ以上やられないよう、万全の警戒で回復に専念する。移動可能と判断した時点で、即日出立。最長で四日、ここで野営する。」
淡々としたスジニの言葉は、断固とした響きを持っていた。
 「四日。」
契丹の首領は、青白く色が抜けたような将軍の顔を見つめた。顎が尖り、やつれて濃い蔭が落ちている。
 「コムル人が倒れて鳥が使えない。夫餘の内情が知れない今、王都からの援軍が昨日出たとして六日後に着く。我らの行軍は遅いだろう。四日がここを発つ時限だろうと思う。」
 「本隊はこちらに向けて動いているはずだな。」
 「はず、だが、伝令を出そう。」
 二人は頷きあいながら、早馬を仕立てた。馬を替えずに走れるぎりぎりの距離だ。経過と作戦を口頭で伝える。背負った小旗が土煙の向こうに消えるのを眺めてスジニは呟いた。来るなら来い。いや、やはり来てもらっては困るな。自分の口調が太王のそれになっているのに気がつくと、ゆっくり口の端が持ち上がった。数日ぶりに、スジニは笑っていた。

 

書記ヒョンドンの従軍日記より

 昨日に続き、今日も鳥が戻ってきてしまった。ヒョンナムに何かあったのに違いない。やはり毒に侵されて動けないのだろうか。国境に情報を送れない困った状況になっている。先陣の太王には、間に連なった騎兵から順に伝言ができるが、今ではずいぶん先へ進まれ、それも難しくなってきた。
 軍は急ぎ国境へと移動している。書記は兵站部に同行し、薬草の調合にも関わる。相変わらず夫餘の国内から進展はなし。

 

侍従ジンシクの日記より

 結局陛下はろくにお休みになっていないようだ。何も口に出されないが、さすがにお顔がやつれておられる。それでも水と干し肉しかない。

 薄暗い夜明けに走り出し、昨日とまったく同じ速度でただ距離を刻んでいく。朝には霜が降りている。やはりここは北国だ。
 一直線に国境の陣を目指すため、緒戦の戦場は通らないようだ。実は方角も怪しくなってきている。

 陛下は相変わらず一言も仰らず、皆も口を聞かない。おそろしい緊張が続いている。
 なぜ国境から連絡がないのか。みな毒に倒れてしまったのか。自分などは悪い想像ばかりに走って、寒さばかりでなく時々手が震える。

 
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