屋根裏部屋
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軍神

5 毒 Day-2

書記ヒョンナムの従軍日記より

 一晩にて二百の兵を失う。ようやく朝日の差した陣は中毒者で溢れ、饐えた匂いに混沌とした有様。先に汲み置いた水に頼った兵は体調万全、これが約半数、二千。

 死者 二百余
 重傷者 五百、高熱にて寝たきりに転がり、吐くものが尽きても苦い汁を吐く。ただ水を欲す。
 軽症者 千三百、吐き戻すも寝込まず、杖にすがって歩く

 将軍の毒について私見。朱雀将軍と契丹首領は、兵に混じり粥を食したため無事。将軍らは天幕にて食した後に死亡。椀または匙に直接毒物を混入と思われる。
 馬の被害甚大。およそ百を失う。横たわった馬の半数以上は回復の見込みあり。人と同じくさかんに水を欲しがる。
 独断にて私見を含め早朝本陣に連絡。書記本人も嘔吐はじまる。

 朝のうち、陣の外にて怪しい男を一名捕らえる。朱雀将軍はようやく起き上がるも顔面蒼白。槍に取り縋って歩く。アティラ首領も同様。
 男は粗末な農民のなりにて、不敵に笑い、毒は教えぬが死に様は見せるという。抑える間もなく、あらかじめ口に含んだ丸薬を噛み砕きこと切れた。
 すさまじき猛毒。すぐさま仰向けに倒れ、口より出血。息が詰まり、喉元を掻きむしってひいひいとおそろしい喘鳴。そのまま絶命する。

 朱雀将軍の命により、見張りを増員、改めて全員の点呼。本日追撃のはずであった敗残兵は野放しのまま。自死した男はその兵であり、毒の効果を見届けに戻ったと。周辺に潜むかもしれず。

 

***

 

 夜明けとともに届いた知らせに、卓上に置かれた太王の白い指が震えた。
 「夫餘の動きは。」
毒に倒れた軍は、火でも放てば赤子の手を捻るように壊滅するだろう。いかに国内が揉めていようと、戦況を覆す絶好の機会だ。最悪の事態に備えるのが兵法。太王の指は握られ、拳はいっそう白くなった。
 —猛烈に吐き戻し、兵二百が死亡。別種の猛毒にて将軍三名が死亡。朱雀将軍、契丹首領ともに病床にあり。
 国境の軍が絶対に攻撃されない状況、それには現王が太子に追い落とされることだ。今となっては太王はそこまで望んでいた。
 指が苛々と円卓を打った。凍ったような沈黙が、太王を中心に、三千の野営地を支配していた。
 「夫餘の内情を問い合わせろ。」
言い捨てて足早に天幕を出た。
 湿った草地を、太王はぐんぐんと歩いてゆく。わかっています、そう言って笑ったのだ。こんな戦があるか。
 馬の吐く息が白い。契丹式の野営地では、馬を繋ぐ杭が不規則に散らばり、それがまっすぐに歩く太王を何度も遮った。
 とうとう足が止まる。ウアッ!太王が虚空に叫んだ。
 馬が驚いて小さく嘶いた。それが次々に伝わり、広大な野営地が少しだけ震えた。 侍従の足が竦んだ。
 太王の背に立ち昇る青白い炎。怒りだ。太王の全身を満たした怒りが、溢れ出し燃えている。普段の温和な声音からは想像もつかない激しさ。拳を握った腕が震え、俯いて数歩、踏み出した。
 その時、太王は足下に滑るような感覚を得た。初霜だ。軍靴で踏みしめた霜を見て、その頭脳は一気に冷静さを取り戻した。寒気に合わぬよう戻れと言った、ヒョンゴの口調。頭の中で暦が音を立てて回り出した。
 踵を返し、大股で戻りはじめた太王を、侍従が懸命に追う。侍従はその変化についていけずにいた。

 

書記ヒョンドンの従軍日記より

 国境から毒物混入の知らせがあり、太王は将軍らを集められた。ハク将軍と兵二百が死亡、馬の被害も甚大という。たいへんな内容に一時は騒然となった。夫餘からの派兵を懸念、さかんに夫餘の内情を気になさる。
 未だ太子のその後は知らせがなく、それにはたいそうご不満な様子を珍しく露にされ、ついには苛々と天幕を飛び出された。
 (侍従によれば、猛然と歩き回り、大きな声を出された)
 その後戻られると、ひとこと初霜だと仰った。その後地図を睨みながら次々に御命を下された。

全騎馬隊は最速で前線に移動。
兵站部の三分の一も、荷を作り後を追うこと。
残る兵站部と守備兵は、契丹軍と協力して帰路の備えを万全に整えよ。
天候に関する情報を集め、詳細に記録し、全て前線にも知らせること。
医術者は毒の分析を始め、こちらも詳細に記録せよ。

 

***

 

 筆が間に合わず、ヒョンドンはもう一人書記を呼んだ。ふたりがかりで太王の矢継ぎ早の命令を記録する。
 「去年の初雪はいつだ?」
その問いには契丹の武将が応じた。答を書記に引き継ぐと、太王は近衛兵を招き寄せ、歩きながら口早に言った。
 「わたしについてこられる者を三百。二百でもいい。」
言い残して天幕を出た。すぐに飛ぶように走り出し、ジンシクが抑えた青毛の手綱を取った。脚がひらりと高く舞い、瞬時に馬上の人となる。続々と駆け集まる早馬部隊を見やり、慌てて鞍に飛び乗った侍従に声をかけた。
 「遅れたら置いていく。その場で後続を待て。」
目だけで頷いた返事を待たず、陣を駆け抜け、そのまま早駆けで出て行った。同じ勢いで騎馬隊が続く。
 残された軍は一斉に動き出した。後に続く騎馬隊が馬首を並べ、兵站部は荷を改めに走り回った。

 

侍従ジンシクの日記より

 陛下は恐ろしい勢いだ。速すぎる。尻が割れないようにほとんど浮かしているのが脚に堪える。

 これでは馬がつぶれる。そう思ったところで速度が落ちた。
 先頭の陛下が、一定の距離で馬を休めておられるのだ。やはり人間業ではない。この速度で走りながら、きちんと距離を計り、後続を確かめておられる。
 干し肉を食い、水を飲む間、全くお言葉がない。全軍が完全に沈黙。あとどれほどの距離なのか、おそろしくて誰にも聞けない。行軍の倍以上の速さで走っているのには間違いない。

 陽が落ちるとあっさり止まり、肩布を巻いて地面で寝る。馬上で眠る者もあるというが、馬を休めるためそれは禁じられた。
 肩布だけでは寒く、緊張のせいかなかなか眠れない。寝ては覚めるのを繰り返していると、夜明け前、陛下が起きていらっしゃるのに気がついた。あまり御休みにならないと将軍が仰っていたが…。じっと焚き火をご覧になっている。
 こちらからの連絡に、先陣からの応答がない。一体国境はどうなっているのか。ご心配は無理もない。
 明日も夜明けとともに走り出す。

 
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