屋根裏部屋
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軍神

4 国境へ

 「あれはかつての夫餘軍ではない。そもそもまともな軍など、鍛えられる国ではなかったのだ。」
アティラは太王の正面で、剣を杖のようにして立っていた。急ごしらえの天幕に、スジニをはじめ将軍が集まっている。戦の後そのままの姿で、天幕には血と汗の匂いが漂う。思いのほか重くなった戦闘に、まだいくぶん高揚し、ぎらついた数組の瞳が太王を凝視していた。
 「千ほど敗走したか。国境はどうなってる。」
書記が紙片を取り出した。ここから山裾までは三日の距離だ。夫餘からは、コムル人がさかんに知らせを寄越していた。今回もスジニが暗号から直に読み上げた。
 「国境の陣に敗残兵が向かっているようです。留守部隊は歩兵が二千あまり。おそらく足して三千余かと。」
粗末な木箱を椅子にしていた太王が、ゆっくりと立ち上がった。
 「国境警備の兵がどれほど居るか、それがこちらへ追ってくるかが問題だな。険しい山だ。隣は兄弟国。日頃さほどの数を置いているとは思えない。調べを進めろ。王都に動きはないんだな?」
 太王が夫餘国内のもめ事に期待しているのは明らかだった。太子が挙兵すれば、王を戴く軍は悠長な隣国攻めどころではなくなる。険しい山道も、本格的な援軍を躊躇させるだろう。とはいえ、その可能性は完全に断ってしまいたいところだ。
 「四千で国境の陣を押さえ、そのまま駐留だ。睨みを利かせていろ。私は本陣に戻り、国内城と結んで夫餘に親書を送る。あまり時間はないが、許す限り、国境に姿を留める。旗をふんだんに立てておけ。出来るだけ派手にな。」
 陣に下がると聞いて、スジニの片眉が上がった。少しは大人におなりだと、揶揄するような目つきになった。王はかすかに微笑んで、それを無視している。
 「国境線を侵した敵を撃退はするが、こちらから侵すことはしない。」
 四千。太王の言葉に、みな続きを待っていた。それではどのように軍を割るのか。
 そこへアティラの言葉が割って入った。
 「朱雀将軍を貸して頂きたい。」
半眼に伏せられていた太王の目が、ぴくりと瞬いて開いた。

 

書記ヒョンドンの従軍日記より

 緒戦圧勝からすぐに、高句麗軍は兵を二分し、太王は本陣へと二日の距離を下がられた。二千の軍を率いた朱雀将軍は、契丹の首領率いる二千の兵とともに、四千の軍となって国境に向かった。
 契丹の首領によれば、契丹軍を主力に高句麗の弓隊を加え、自力で国境を守りたいとの由。太王も同意、契丹の面目も保たれ、弓隊は陣攻めに最も適するとの考えを示された。
 太王は陣に戻られ次第、夫餘に親書を送られるとのこと。冷静に国境を守る姿勢を見せ、恩きせがましく太っ腹な親書を遣わしてやろうと。兄弟である契丹への態度を改め、朝貢すれば、今まで通り夫餘もわが弟であると。
 冬になれば、いずれにしても一旦時間切れだと鷹揚な構えを見せられる。夫餘とその北方については、長期的に捉えよとの仰せ。
 朱雀将軍と首領には、敵が数で勝れば即時撤退せよとお命じになった。そうでなければ叩いてよいが、無駄に殺すなと温情を示される。
 先に矢を射かけ、戦をしかけて大敗した夫餘に、考える機会をやろうと。今度こそ、夫餘の決断が見えるのだと。
 一同、深く考え込まれるも、契丹は気がはやっていちはやく天幕を飛び出し、太王はただ微笑んでそれを見ておられた。

 

***

 

 スジニは髪をほどきながら、苛々と櫛を当てた。腰まで届いた髪は、土埃と血でごわごわに固まっている。鞍に座ると尻で踏んでしまうことに、今日になって気がついた。
 湯に浸した布を絞っては髪を拭く。弓懸けを着けていてもやはり弦を引く指が痛む。小さく舌打ちして顔を顰めた。
 鎧を解いた太王は、薄い上衣だけになり、こちらも手拭を使いながらスジニを振り返った。何を苛ついているのか。どこか怪我でもしたのかと声をかけようとした矢先。
 小刀を取り出したスジニが、その刃を口に咥えた。何をするのかと留まった視線の先で、無造作に髪を束ねて掴んでいる。小刀を持ち替え、ためらわずに刃を当てた。
 「おい」
王の声に遮られてスジニが顔を上げた。不思議そうに手を止めてこちらを見ている。今にもぶっつり、黒髪を断ち切りそうな勢いに、王の所作も荒くなった。大股に歩み寄り、細い手首を掴んで小刀を逸らす。驚いたスジニが目を見開いた。
 「長すぎて、尻に敷いてしまうので」
なぜ自分が言い訳をするのかと、可笑しくなって目が笑った。手首を掴んだ指が緩む。
 「そんな風に扱うな。」
小刀を取り上げ、引き寄せて抱いた。
 今日はここでの野営が決まっていた。明日には二手に分かれて動き出す。スジニは前線へ、太王は本陣へ。戦勝に興奮した兵たちは声高に騒ぎ、あたりは活気に溢れて騒がしかった。獣毛を押し固めた厚い天幕一枚を隔て、数千の兵が荷を下ろし、飯を食い、卑猥な冗談を言っては笑っている。それらを耳に、微笑みながら太王が唇を寄せた。
 「一人で無茶をするなよ。」
 「わかっています。」
 「もし国境警備兵が来て、数で負けたら引き返せ。」
 「そう命じられました。」
 「必要に応じて契丹を抑えろ。あいつら皆殺しにするかもしれん。」
 「いくらなんでも、アティラがついています。—わかりました。」
 「かすり傷ひとつでも負うな。許さんからな。」
かすり傷、スジニが呟いて笑った。察した太王が、傷だらけの指先を持ち上げて吸った。そのまま口づける。深く柔らかく絡んだまま、二人ともしばらく息を止めていた。
 「わかってるな。」
もう一度顎を入れ替えて強く吸い、ようやく離した唇が囁いた。
 「わかっています。」
囁き返して溶けるように笑った。幾度となく繰り返した誓いだ。一兵たりとも無駄に死なせない。みなで王の元に帰る。
 不意にスジニが体を離し、同時に侍従が盥を捧げて入ってきた。拭った血で真っ赤に染まった湯を取り替えると、そのまま隅に控えて鎧を拭き始めた。名残惜しそうに腰を撫で下ろした手が、肩先ですくめられる。スジニはくすくす笑いながら、ようやく櫛が通るようになった髪をまっすぐに梳き下ろした。

 
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