屋根裏部屋
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軍神

3 緒戦

 三日の行軍で、太王軍は夫餘を捉えた。乾いた音をたてる草地と、固く締まった赤茶けた砂地がまだらになった大地。斥候が戻ると、そのまま夜を待つ。契丹軍二千に加え、高句麗軍四千。半月が登るまで、六千の兵はじっと岩陰に潜んでいた。
 南方の国境のような山城もなく、ただ険しい山の背がその地を分けている。そうやって明らかに線引きされた大地の、尾根のこちら側に大きく進軍した夫餘の軍勢は、広漠とした平原にちんまりと固まっていた。
 月明かりの中、アティラの腕が動いた。三隊に分けられた軍は、音もなく動き始めた。左右に展開した兵が、夫餘軍の死角に潜む。アティラの頭には、完璧な地形と布陣があった。
 太王は正面に陣取り、時を待っていた。夫餘軍五千。固定した軍を持たず、戦の度に部族が兵を出し合う契丹には十分な兵力だ。対して六千の太王軍。数でも勝るが、一騎当千の騎馬隊に、王は万全の信頼を寄せていた。右翼に展開したスジニのほうを遠く眺める。
 愛馬の栗毛で駆け去る前、スジニは拳で二度、胸を叩いてみせた。いつものスジニだ。珍しく盾を持ち、それをうるさそうにして手綱を捌いた。
 「おい、わかってるな」
 「生きて戻ります。一人の兵も無駄に死なせません。」
ごく簡単に、いつも言われることを繰り返す。歯切れのいい口調に、太王が笑った。よし。頷くとスジニが馬首を返す。頭を巡らし、輝く瞳も闇に消えた。そのまま弓隊の先頭に立ち、一軍を率いて音もなく駆け去った。

 

 地平線が真っ赤に燃える。草原の荒々しい日の出。それを合図に、太王が小さく頷いた。ゆっくりと馬を進め、やがて駆け出す。その背後に二千騎が続いた。砂地に吸い込まれる蹄の音は、不気味な地鳴りとなった。真っ赤な朝焼けの中、数百の太王旗を掲げた軍勢は、夫餘の野営地の真正面に押し寄せていた。
 強い風が舞い、旗はばたばたと、巨大な鳥が羽ばたくような音をたてる。それを支えた旗手は微動だにせず、切り分けたように並んだ漆黒の軍勢の前に、太王とアティラが駒を並べた。
 供もなく、ただ一騎、悠然と歩を進める。鎧が深紅の光を弾いて金色に輝く。夫餘の陣営の正面に漆黒の青毛を留め、太王の声が響いた。
 「夫餘も契丹も、同じ高句麗の弟だ。わたしの思い違いか?」
低いがよく通る声は、風に掻き消えることもない。そのまま太王は待った。寝静まったように見える夫餘の陣は、朝焼けの中、忽然と現れた高句麗軍に慌てふためいているはずだ。
 やがて。陣から騎馬が流れ出た。ただ相対して静観する太王の眼前で、必死に陣形をつくろう。すでに朝日が昇り始めていた。太王の問いかけに答えぬまま、夫餘の騎馬隊が溢れ続けていた。
 その時。堪えきれぬように、一本の矢が放たれた。勢いのない矢は、それでも一直線に太王に迫る。長剣が光を弾いた。目にもとまらぬ早さで太王は矢を払い落とし、そのまま剣を掲げた。
 夫餘が太王に射かけた。
 反逆軍だ。
 背後から、騎馬隊が雄叫びを上げて駆け抜けた。

 

 両翼に身を潜めていた軍は、一気にその距離を詰め、信じ難い距離から矢を射込みはじめた。凄まじい速さで疾走し、雨のように矢が降り注ぐ。にわか作りのふたつの高楼から同時に兵が落ちた。そのまま背後に回り込む。太王軍は、瞬く間に夫餘陣の三方を囲もうとしていた。
 アティラは感嘆して弓隊の動きを見つめた。交代で射ながら、その間まったく速度は落ちない。騎馬集団はみっしりと間を詰めたまま、ぱらぱらと射返される矢を堅牢な盾で弾いた。
 先頭にスジニの姿がある。腰だけで馬を操りながら、自在に射た。矢が尽きると、兵が素早く矢を突っ込んでいく。一旦狙うと立て続けに五人ほどが地に転がる。空になった馬が脚を蹴り上げて嘶いた。
 小隊を従えて正面に居残った太王は、剣を納めてじっと戦況を見つめていた。敵は明らかによく訓練された軍隊だ。夫餘に入り込んだ鮮卑の存在を、太王は実感し始めていた。
 次第に両軍が入り乱れる。夫餘軍は統率が乱れ、手近なところに闇雲に斬りかかった。いかにも実戦経験が少ないらしい。スジニは槍兵を前面に出し、剣先が届く前に敵を馬から引きずり降ろした。弓での戦いとはうって変わり、たちまち辺りに血の匂いが満ちた。
 槍を逃れた敵を後ろで狙い撃ちにしていたが、それも次第に増えていく。苛立ったように弓を背に納め、スジニが剣を抜いた。どこに身につけていたのか、ススキの葉のような独特の細さ。華奢だが鍛え抜いた鋼は、重い刀の一撃を受け止めて刃こぼれ一つしない。スジニは改めてパソンの腕に感嘆した。軽い。
 お前のための剣だよ。力は要らない。ただ急所を突くんだ。パソンの言葉を思い出し、スジニは薙ぎ払っては鋭く突いて、背後に屍の山を築いた。敵の鎧を認めた瞬間に体が反応する。血飛沫が宙を舞い、一瞬の間を得た。スジニはようやく額に貼り付いた髪を払うと、頭を巡らせて戦況を見渡した。

 

 殲滅の必要はなかった。まずは太王軍の姿を見せ、どう出るのか探る。抑えられればそのまま抑える。しかし夫餘の攻撃は予想外だった。このように捨て身でかかる戦ではない。兵を軽んじているのか、はたまた戦に不慣れなだけか。無闇に自軍を殺す敵の司令官に、太王は憤りさえ感じ始めた。
 それでも降り掛かる火の粉は払わねばならない。
 遠く見渡していた太王の目が細められた。走り出た数騎が真っすぐ向かってくる。
 すぐさま矢が降り注ぐ。もんどりうって投げ出される兵の後ろで、馬が棒立ちになっている。崩れる馬から放り出される者。矢を受けてなお、一直線に太王を狙って疾走する者。
 王の青毛が跳んだ。片腕で斬り捨てる。どさりと落馬する重い音に、アティラは首筋の毛が逆立つのを感じた。逆光を浴びて、まるで燃え立つように光に縁取られた太王の姿があった。
 剣を振って血を払うと、そのまま真っすぐ腕を伸ばし、遠く正面を指した。敗走をはじめる夫餘軍の姿があった。深追いするなと釘を刺して来い。いつもと同じ、穏やかな太王の言葉に近衛兵が駆け出す。日が中天に達しないうちに、勝敗は決まっていた。

 
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