屋根裏部屋
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軍神

2 太王軍、北へ

 太王がみずから陣頭に立つ時、高句麗軍の士気は恐ろしいほどだった。太王とともに戦うことを誇り、その先に高句麗という国への思いが固まっていく。全てを見通した上で自ら出征しているのではないか?スジニは時々聞いてみたくなった。
 会議は満場一致で派兵を決めた。兵站部が整うと、太王の騎馬隊は一気に走り出した。

 —よもや高句麗が駆けつけるなど、露ほども思っていないのだ。できるだけ早く移動する。騎馬隊を編成しろ。弓を主軸に槍と刀だ。

 何が起きているのか、太王は自分の目で確かめるつもりでいた。大軍を動かす戦ではない。時間に追われた小さな遠征に、すべて騎馬隊での編成が命じられた。出陣する将軍がスジニのほかに二名、会議を重ね、あっというまに軍の骨格ができあがった。
 小軍で兵の補充はない。なるべく兵を失わないように、離れて攻撃をしかける弓隊を主軸に据える。スジニは兵を厳選した。チョロとチュムチからも騎兵を預かる。軍勢の割りには大がかりに見える兵站部が荷を仕立てた。騎馬隊の兵糧は馬の餌までをいう。北部の草原では、まず馬の飢えを案じねばならなかった。

 

 走り通すこと十二日。国内城を出て以来、日ごとに景色が変わっていく。草の丈は低くなり、やがて土が剥き出しになった。土が固められた平坦な道は、十分な幅でまっすぐ契丹へと続いていた。
 スジニは軽やかに手綱を捌きながら荷馬の速さに驚いていた。なるほど、このように道中捗がいくのなら、商路の整備を鮮卑は警戒するだろう。侵略を怖れて動揺し、先手を打ったつもりなのかもしれない。
 太王軍、五千。
 五千騎もの騎馬隊が、一糸乱れず走る。兵站の荷馬が道を走り、騎馬がそれを守るように路傍にも広がった。触れが回った道中で、いくつもの隊商が道を譲っている。そのいちいちに目をやって太王が応じた。将軍たちも、馬上から軽く手を挙げる。黒光りする鎧の軍は急流のように行き過ぎ、みな感嘆と賞賛で見送った。あれがチュシン騎馬隊だと。

 

 ようやく速度を落とした太王の前には、まばらな草むらの平野が広がっている。やがて点在する天幕が忽然と姿を現した。柵で取り囲んだりしない、おおらかな契丹の野営地だ。並足になった軍を追い越して、先触れの近衛兵が駆ける。腰を伸ばして顔をしかめるジンシクを、スジニが振り返って笑った。従軍できる侍従は貴重だ。ジンシクは乗馬にも武術にも長けていた。
 陣の入口では、契丹の騎馬隊が居並んで出迎えた。スジニを従え、太王がゆっくりと駒を進める。ひときわ大きな天幕の前でアティラが待っていた。
 盟友の姿に、太王の顔が輝いた。疲れなどまるでないように、鞍の上で脚を回して滑り降りる。大股に歩み寄った高句麗の太王は、契丹の首領の肩を叩き、続いてがっしりと抱き合った。
 数ある部族を長年束ねる首領の髪は、すっかり白くなっていた。陽に灼けたなめし革のような顔は、皺が深くなった。皺に埋まった目が煌めく。相変わらず獣の皮をまとっているが、武将ともども、肩と胴には高句麗の鍛え上げた鋼が嵌っていた。パソンのところで修行した職人は、今ではあちらこちらに散らばっていた。
 親し気な挨拶の後に畏れが来た。アティラはすっと身を引くと、配下と揃って深々と頭を下げた。
 「この度は御自ら—」
堅苦しさをはね除けてやるように、太王が快活にさえぎった。
 「近ごろ夫餘はどうなっているのかと思って、様子を見に来た。」
髭に白いものも見える太王は、今や男の盛りだ。その姿を頼もしく見ながら、改まっていた首領はまた笑顔になった。結い上げた髪は、まだアティラの目には新しい。金色の紋章が刻まれた豪奢な鎧。その身に帯びた長剣には見覚えがある。彫刻を施した独特の長い柄。それを難なく振り回す長身は逞しく、青年期の線の細さは消えていた。まさしく充実した高句麗そのものだ。
 アティラの視線が太王の背後に流れた。騎馬隊の先頭は、しなやかな細身の鎧姿。胴に施された細かな彫刻が、赤黒い炎のように見える。大きな矢筒と弓を背負い、固く編んだ髪が背中に垂れている。顎を上げ、脚と腰だけで軽く馬を操るスジニに、アティラの目が細められた。
 「初めてだったな。わたしの朱雀だ。」
 わたしの朱雀。耳慣れない王の言葉に、耳元が火照った。顔を覆った土埃に、スジニは感謝した。名高い朱雀将軍。ますます契丹の兵たちが視線を集めた。

 

 天幕に集った人数は多くない。五人の将軍、それに太王とアティラが、小ぶりな円卓を囲んでいた。契丹軍二千。合わせて七千の太王軍となる。これがどういう七千か、アティラは十分に承知していた。太王率いるチュシン騎馬隊が五千騎だ。
 「あまり時間がないな。」
穏やかに口火を切った太王に、アティラが頷いた。
 「夫餘だとて小軍です。そう大きなことを仕掛ける時期ではないと、わかってやっている。」
 「山のこちら側に拠点を作っておくつもりだな。」
太王の言葉に、アティラが満足げに微笑んだ。
 「国境に陣を張っています。おそらく山を越えてきたのは七、八千ではないかと。もっと穏やかな道を選ぶとなると、高句麗側しかない。あやつら、さすがにそれはできなかったようです。」
国境の山は険しい。それを越える道をつけるだけでも、この侵略には意味があったかもしれない。ともかく、夫餘は国境に陣を構え、五千の兵が南西に進軍中とのことだった。
 「あまり進まぬうちに叩いてやろう。」
スジニの背後の弓隊長が天幕を出た。明日にも行軍と察したのだ
 「ところで夫餘の太子はどうなった。」
意外な言葉に、契丹人たちは戸惑った。スジニが紙切れを取り出す。
 「さきほど連絡が来ましたが—」
夫餘に入り込んだコムル人から知らせが来ていた。鳥から外した暗号文のままだ。太王が顎を上げて促す。スジニは解読しながら読み上げた。
 「王に不満を抱く者の気運が高まっている、太子の私兵が集まっている、とだけ。」
 「それはいいな。」
太王が真っすぐ前を見据えて言った。
 「太子を脱獄させてやれ。そう伝えろ。」

 
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