屋根裏部屋
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軍神

1 夫餘

 晩夏。国内城は美しい夕焼けの中にあったが、満座の大殿ではもちろん誰も空など見上げていない。厚い石の壁にただ四角く穿たれた窓から、茜色の光が差し込んでいる。一同が席に着いたときには真昼の光が射していた。会議はずいぶんと長くなっていた。
 「まったく、夫餘はいつの世も鮮卑に泣かされ通しですな。」
軽い揶揄も含んだ王事の声が響いた。
 鮮卑族が夫餘に入り込み、国軍を好きに動かしているという。元々文官の国であり、高句麗に下って久しい夫餘に、今までさほど大きな軍はなかった。
 「強引な徴兵をしたというが、それで一体どれくらいの軍を持ったのだ?」
族長の一人が首を傾げる。
 かつての貴族会議はすっかり姿を変え、各部族の代表と王直属の官僚が、大殿の座をきれいに半分に分けていた。部族長たちもみな名のついた役職を背負っている。部族の合議制から王直属の官僚制へ。国が大きくなるにつれ、高句麗は太王を頂点とした統治を洗練させていた。
 「すべてかき集めても二万に満たないだろうな。」
穏やかな低い声が響く。玉座の足元に腰を凭れかけ、組んだ脚先を見つめていた影が動いた。領土を拡大し続け今では太王と呼ばれる。その装いは地味なものだが、端正な容貌が引き立った。黒ずくめの軽快な軍装で、今にも馬で走って行きそうに見える。戦場を駆け回ってもあまり日に灼けない白い横顔が微笑んだ。
 「王に逆らって太子が幽閉されたというが、こういった軍事に反対したんだろう。」
 「文官の国、ですか。きっと軟弱な太子なのだろう。」
大きなダミ声はフッケ老だ。隣でタルグが苦笑する。真っ白になった髪を振り乱し、怒鳴るとまばらな歯が覗いた。勢い余った杖が石の床を突く。その姿に思わず太王も苦笑して、白い歯がこぼれた。
 「夫餘は穏やかでいてくれねば困る。」
 穏やかな国だからこそ、度々蹂躙されてきたともいえる。常に北から鮮卑族の攻撃を受けてきた。ソスリム王の時代、高句麗に助けを求めた夫餘は、以来臣下に下って朝貢するようになったのだ。

 

 入口に控えたスジニの肩がかすかに揺れた。平時、近衛隊も軽い胴だけの鎧姿で大殿を守っている。それにしても長い会議だ。さすがに少し眠気がさしてくる—
 あやうく下がりかけたスジニの瞼は、ばたばたと走ってくる侍従の足音で見開かれた。手渡された細長い箱、巻き紙の書状だ。会議に飛び込んでくるほど緊急な。土埃が匂うそれを、スジニは足早に王の元へ運んだ。侍従の足音がした時から、すでに座はざわめいている。箱を開け、中を改める。毒虫、なし。そこでようやく紐がかかった巻き紙を取り出した。
 「契丹からの書状です。」
 太王は一見し、たぐりもせずに目を上げた。短い文。黙考しつつ大股に、座の中央へ足を運ぶ。みなが見渡せる位置に、大地図を掛けた巨大な衝立が据えられていた。
 「契丹の首領からだ。」
そこでにやりと笑った。アティラよ、まさしくその話をしていたんだ。太王は改めて巻き紙を開いた。よく通る声がそれを読み上げた。
 「夫餘が国境を侵し五千の兵進軍す。援軍を望む。大兄たる高句麗の姿を望めば、我ら弟同士、再び手を取り合うことができると信ずる」
 一斉にざわめきがわき起こった。今、まさしく懸念していたことではないか。夫餘の軍事化は背後に鮮卑があると。契丹に攻め込んで、夫餘はどうするのだ?
 ひとしきり騒がせておいて、太王は地図を指さした。夫餘と契丹の国境。そこは険しい山脈だ。全員の視線が太王の指先に集まり、ざわめきはぴたりと収まった。ものごとを瞬時に解いてみせる太王の声を、みなが待っている。沈黙の中、ヒョンゴがひょっこり立ち上がってため息をついた。
 「北の地では冬が早い。戦をするには日がないかと存じますが。」
 太王の思考についていけるのは、この飄々とした王事しかいなかった。それでも、何を考えておられるのやら?良くも悪くも太王の考えにしょっちゅう裏切られてきた王事は、すでに警戒の姿勢だった。
 「せいぜいこの秋は、山のこちらへ国境線を動かしておくくらいしかできない。足がかりを作っておいて、雪が溶けたらじりじりと西へ。そう、たとえば後燕と結べば、契丹を挟み討ちにできるな。」
 「そのために夫餘を操ろうというのですか。」
またがやがやと大殿が揺れた。
 「先生、後燕の動きはどうです。」
満座で先生と呼ばれ、ヒョンゴは少し胸を張った。
 「北方がその気でも、後燕は西方で手一杯です。先の大戦からいまだ軍を再建できていない。およそ契丹どころではないでしょう。」
望む答を得て、太王は真っすぐに顔を上げた。
「契丹に行く。夫餘を鮮卑に渡すことはできない。」
あくまでも柔らかなヒョンゴの声が追いかける。
 「援軍派兵に賛同いたします。しかし…」
行く、とおっしゃいましたな。揃って頷く頭越しに、王事はずけずけと尋ねた。
 「やはり…陛下自らお出ましになるのですか。」
丸く目を見開いて、腕組みをしたまま太王が王事を見つめた。がっくりとヒョンゴの肩が落ちる。既に太王の思考は先へ飛び、顎髭を撫でながら呟いていた。
 「同行の書記を増やそう。記録を万全にする。鮮卑の介入はあくまで我らの予測にすぎないからな。」
 「あのあたりはふた月半もすればたいへんな寒さです。寒気に巻き込まれないようにお戻りください。」
諦めたような声に顔を上げ、にやりと笑った。
 「速さが勝負か。—どのような戦になるのか」

 

 スジニは壁際でこっそり笑った。声に出さずにその後を続ける。どのような戦になるか楽しみだ。
 講和を旨としているが、戦上手で武芸に長けている。敵を知るまでは必ず自ら陣頭に立ち、自分の目で確かめた。無用な戦はもちろん避けるが、身内に刃が向けられた時の怒りは、凄まじい報復となった。
 情に厚いが決して流されない。清廉な理想主義者。外交を繰り返すうち、太王その人に魅せられた指導者たちは、敬愛の情を寄せるようになった。こうした絆が生んだゆるやかな統治が、広大な国の端々を支えていた。
 だからアティラが呼べば太王は応じる。スジニは北の大地を思った。荒涼とした平原と、厳しく切り立った岩山の土地が待っている。

 
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