屋根裏部屋
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 穴蔵のような船倉への入り口には、急な梯子がかけられていた。血気に逸ったシウ族の若者が二度も転げ落ち、それを笑ったスジニだった。おおげさに眉をしかめて頭を廻したチュムチが、輩下を蹴り飛ばそうとする。すんでのところで逃れた若者は四つ足のまま飛び退り、スジニもタムドクも、改めて声を上げて笑ったのだった。
 タムドクは吸い込まれるように暗がりに消えた。王の背を追うのは習慣で、今も咄嗟に従ったスジニだったが、さきほど駆け込んだタムドクの寝所が、不意に目前に蘇った。
 王にしてはあまりに粗末な、板のような寝台の部屋。うなされ、汗に濡れた首筋。苦しげな呻き。痛いほどすがられて、抱きとめた広い肩。あの人の夢を見ていたのだ。千切れてしまいそうに身を捩らせ、歯を噛み締めて──。
 抱き締めた身体から熱が移り、いっしょに火をくぐったような気がしたことをスジニは忘れていた。ひとり王が身を焼かれていた部屋は、自分には踏み込めない場所として刻まれた。そんな場所があるのだと、ちいさな哀しみが灯った瞬間だった。タムドクを追うのを、スジニは初めて躊躇った。
 滑らかな拍子で梯子を降りていた足が止まっていた。迷うように下ろした片足が、空を踏んでがたりと崩れた。侮るように片手だけで支えていた身体が、背中からあっさりと落ちた。
 「わ・・・!?」
 宙を掻いた二の腕が強い力で掴まれた。背中は、何か固いものにぶつかって止まった。同時に口を塞がれ、スジニの叫び声は半分かき消えていた。
 「みなが起きるぞ」
耳元で囁いた口調も慌てている。掌で口を塞がれたスジニも、腕を回したタムドクも、揃って大きな唸りを聞いた。いくつも重なった鼾が、低く船倉に響いている。得体の知れない地鳴りのような、あるいは聞き慣れぬ虫の声のような。強者どもは夢の中。タムドクが先に笑った。
 「ちょ、ふぁなしてくらふぁい」
もがきながらもごもごと呟く。新たな微笑みを浮かべたタムドクは、抱きとったままのしなやかな身体をそっと床に降ろした。背中から抱いたまま、口を覆った手は緩まない。またスジニがもがいた。頬が火のように熱かった。
 「ふぁなして」
 口を開いたスジニの舌が、ざらりとした掌に触れた。いつものようにじゃれあっている時なら、噛まれる、そう感じるところだろう。ひと掴みにした頬に指が食い込んでいる。掌の中に、半ば開いた柔らかな唇があった。タムドクは急いで手を離し、腕の中の身体を乱暴に回した。
 ──みなが起きる
 同じことを繰り返す声色は、先ほどより格段に低い。急に秘めごとのようになったやりとりに、スジニの鼓動が跳ね上がった。ますます頬が燃える。間近に見下ろすタムドクの瞳が、遠い灯火を映してかすかに光った。
 梯子を下りきった狭い空間で、ふたりは向かい合っていた。ひとつに握られた指先が震えている。すでに口元は自由だったが、見つめられてスジニは声をなくした。
 懐かしい白い顔、あれは・・・スジニだ。
 不意に空気が動いた。抱きすくめられたまま、何か暖かいものが唇を塞いだ。今度はもっと柔らかなものだった。
 「王さ・・・」
 黙って。
 押し付けられた唇が噛むように動いたが、実際には無言だった。スジニの頭の中で、もう一度彼女の王の声がした。
 黙っていろ。頼むから。
 こんなのはずるい。こんな不意打ちは。
 包むように抱かれ、唇を合わせていた。
 息が止まる。強張った頭の芯が次第にぼやけていく。
 再び炎を見たような気がした。締め付けられるような哀しみが、うっすらとよぎった。そこで、ふ、と力が抜け、スジニは縋るように固い胸を掴んだ。
 ゆっくりと唇が離れた。頭まで抱え込まれ、今では熱い体温を感じる。胸を突き破りそうな鼓動がじかに伝わりそうな気がして、スジニはまた身を捩った。押しつぶされた胸が、固く巻いた胸帯の下で否応なく感じられた。いつもは自分でも忘れている柔らかなふくらみ──
 「頼み・・・って・・・王様、ご用なんですか?」
かすれて震える声が、タムドクを我に返した。陽が昇れば戦いに赴き、弓を引いて存分に戦うはずの華奢な腕。おそろしい速さで矢を継ぐスジニの細い手首を、王の手が検分するようにゆっくりと掴んだ。
 「ああ。お前に頼みたい」
顔を合わせないまま、タムドクは後ろ手にスジニを引いていった。はじめての出陣で、陣にこうして愛おしい者がいる。急くように大股になったタムドクの背後で、スジニの心臓はますます飛び跳ねた。暖かく柔らかな唇の感触と、主の囁きが蜜のように全身を覆っていた。

 おれはお前の命をいつか危険に晒すだろう。
 お前は矢面に立つことをまるでいとわないから・・・。
 しかし、おれはそれに慣れる気はない。
 一兵たりとも、無駄に死なせはしない。
 おそらく、王座につくには難しい条件だが
 おれは人の死に慣れる気はないんだ。
 スジニ。
 傷ひとつなく、生きて戻れ。
 もう二度とお前を失うことはできない──

 ・・・二度と?
 かつて負傷したときの、タムドクの狼狽を思い出したスジニだった。咄嗟に出た言葉がどこから来たのか、わからぬままにタムドクは口を噤んだ。

 

 最初の別離は、その哀しみのあまりか、ふたりともの胸の底に、深く深く刻まれたまま眠っていた。

 

(了)

 
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