屋根裏部屋
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 声もなく泣いているのは誰だ?
 炎は人に喜びを運ぶものだった。それは暖かさと光を与えるものだったのに。
 紅玉を胸に抱き、灼かれながらも、お前は途方に暮れているように見えた。
 心優しいお前は、哀しんでいただけなのに。
 わたしが与えた火の力が、哀しみを憎しみへと導いた。
 母の憤怒が朱雀を呼んだ。なんと強大な、なんと激しい怒り。
 すべてを焼き尽くす炎、その陰でのたうつどす黒い恨み、妬みに、見て見ぬ振りをしたのはわたしだ。これは人のこころを解さなかった、愚かなわたしへの怒りだ。そしてお前を射殺すことが、わたしに下された刑だ。
 運命の痛みというものがあるのなら、永久に我を苛みたまえ。
 そしてどうか、救いたまえ。
 お前だけは、幾千年の輪廻から──
 空に浮かんだお前は、産褥の血に濡れたまま、最期にはかすかに笑ったのだ。わたしは谷底に落ちる寸前の子を受け止めた。そうだ。そして今回もまた、わたしは子を受け止めた・・・
 深い谷底に放り込まれようとした我が子を、わたしは押し戻した。
 天の血を引く子よ、お前の母の顔を見せてくれ、
 わたしには、それが・・・

 

 咽び泣くように息をしながら、タムドクはスジニの細い背を抱きしめていた。肩に預けた頭が何度も沈み込む。爪を立てられて、スジニは歯を食いしばった。
 抱きしめた身体は炎のようで、まるで抱き合って火をくぐっているようだ。しっかりと頭を抱き、ふいごのような息にあわせているうちに、固く瞑ったスジニの瞳の裏に、真っ赤な炎が舞った。
 暗闇なのに、赤い。禍々しく朱に染まった空を、黒い靄が不気味に漂っている。突然、荒れ狂うように白い雷が走った。拮抗するふたつのものが争っている。欲、怒り、そして全体を覆う哀しみ。
 ──いや、これはそんな生易しいものじゃない。
 ──これは、絶望だ・・・
 身を震わせたスジニは、逃れるように目を見開いた。暗い部屋に重なるように、紅蓮の世界の残像が揺れた。
 「どうしたの、王様!早く目を覚まして!」

 

 蜘蛛の巣のように形を変え、鋭く切り付けるような動きを繰り返すどす黒い瘴気は、こちらも星のように開いた白い光と、真っ向からつかみ合おうとしていた。時々振り溢れるのは涙だ。誰かの絶望の涙だ。白銀のような光に灼かれて、涙は一瞬でちゅっと音を立てて消える。その度に喉が、その奥底が、焼け付くように痛んだ。
 だめだ、消えてしまうな!
 捕まえておかねば、何か大切なものをなくしてしまう。
 焦燥だけが焼けた喉を動かし、ぴり、と唇が裂けた。
 いくつめかの叫びが長く尾を引いて消えた時、血の匂いは消えた。捕まえておかねば、確かにそう思ったはずだったが、タムドクは逆に、自分が何か暖かいものに捕まったことを知った。
 わたしよ。
 暗闇の中、掴み合っていたふたつの力ははるか上空に去っていた。争いを遠く見て、白く輝くものが屈み込んで囁いた。
 「王様。目を覚まして」

 

 長々と息を吐きながら、タムドクの全身から力が抜けていった。スジニの肌に食い込んでいた爪が緩み、撫でるようにだらりと腕が垂れた。瞳の裏に広がった白いものが、次第に像を結ぶ。大きな瞳が覗き込んでいる。そうだ、いつもこうしてわたしを見つめている──わたしの──
 ──セオや・・・
 ぐらりと傾いた身体を、細い手が慌てて支えた。ゆっくりと開けた視界は、淡い蝋燭の光でほんのりと照らされている。
 ああ、よく鎮まった、穏やかな炎だ。
 どこから去来した思いなのか。不思議そうに頭を振ったタムドクは、肩口を支える小さな手にやっと気がついた。そして、心配げに口を開きかけた少女に。
 「風に、あたってくる」
千里も駆けたような気がした。目に滲みる汗を袖口で拭いながら、タムドクは逃げるように立ち上がった。
 おれは・・・軍を率いてじきに百済へ攻め入ろうとしている。
 おれ・・・高句麗王、チュシンの王に、命を預けた兵たちとともに。
 そしてあいつは・・・あいつは・・・

 

 かすかな川風が、ふたりの髪を柔らかくなぶっていた。船団は流れに任せてのっそりと下り続け、いくつかの小さな篝火だけが用心深く灯されていた。
 突然差し出された手拭が、タムドクの想念を破った。甲板の手すりにもたれたまま頭を動かさないタムドクに、とうとうスジニが口を開いた。
 「あの人の夢を?」
すぐにスジニは後悔した。何か禍々しいものだと感じたのは自分の妬みなのだと、そう思った。わかりきったことがあからさまになるのは心が沈むことだった。
 「・・・顔が思い出せない・・・おかしいだろう?」
放心したようなタムドクの答が、ますますスジニを締め付けた。
 王様をあんな風に苦しめるなんて、あのひとはどれほど深くに棲んでいるのか──。
 夢の余韻に捕まっていたタムドクだったが、自分がなにか不穏な種を播いたことにすぐに気がついた。顔も思い出せない。告げたのは事実だった。しかし、キハの夢をみた、そのこと自体がスジニの瞳をうっすらと濡らしているのだ。闇に紛れてわずかな動きで涙を拭う、その仕草が若い王を慌てさせた。
 子鹿のように天真爛漫に見えるこの子が、実は感じやすい少女なのだと、百も承知だった。そして、けっして涙を見せたり、寄りかかったりしないのだと、すでによくわかっていた。
 やさしく、強靭な、弓の使い手。もやもやと夢の残滓が襲ってくる。受け取ったなりの手拭を使わないまま差し出すと、スジニは顔を背けたまま、手だけを伸ばして応じた。
 「誰かが戦っていた。誰かの・・・絶望が・・・とても苦しくて・・・おそらく彼女の・・・?でも、顔が出てこないんだ。思い出せない。もうとても遠い・・・」
 胸の奥からじかに絞り出されるような声だった。わずかに震えている。そこで言葉を止め、タムドクは軽く口を開いたまま宙を見つめた。
 それから?
ゆっくりと振り向けば、逃げるようにスジニが俯く。ざんぎりの髪の下で、細いうなじが白く光った。呼応するように、頭のどこかで白い顔が微笑んだ。
 「お前は・・・いつもそばに居るな──。お前に頼みがある」
眩しいような顔をして、タムドクは立ち上がった。身を翻して船倉へと駆け下りる。いつものように、飛ぶような足取りでスジニが追いかけてくることを知っていた。

 
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