屋根裏部屋
space
space
 <--TOP PAGE 陶工大恩 <- Back   Next ->  
space space space space
line
space space space space
  1・・2・・3・・4・・5・・6・・7(了)  
space space space
陶工大恩

 固い鎧で女の顔を隠しているのに加えて、今では母親の顔までしまい込んでいる。国境へ行ってもよいと太王のほうから許したが、いざとなるとスジニは渋った。近衛隊を預かり、弓隊を率いる将軍、幼子の母親がそうそう留守にするわけにもいかない。あまりにも煩雑な留守中の手配を思うと、発つ前から目眩がしそうだ。時期を計っている間に、いとも容易くひと月が過ぎた。
 百済との国境を南に押し下げて数年。北を接する契丹とは友好関係が続き、遼東は河が境と定まって以来、格段に守りやすくなった。広大になった高句麗の国境には堅固な山城が築かれ、地元の民が軍民として働いていた。地方豪族の私兵ではなく高句麗の民だ。かつて国を細かく割っていた私兵の制度を太王は徹底的に廃した。軍民を直に統括するのは豪族や族長ではなく、高句麗の正規軍だった。
 「実に、高句麗人は優れた兵ですな。みな相撲で鍛えているし、馬にも親しんでいる。軍民となると土地への愛着もある。誠に冴えた策です。」
 骨子を作った自分を讃えるように、ヒョンゴは胸を張った。確かにそうでもしなければ、どれだけ軍を増員しても国境警備に手が回らない。常に補給が肝心だが、国内には張り巡らされた路がある。国を南北に貫く商路から蜘蛛の巣のように道が伸び、一定の間隔で馬を乗り継ぐための町が栄えていた。
 「将軍たちはみな、一度国境を見ておくべきだな。」
太王はちらりと背後の気配を窺った。壁一面の大地図の前で、太王は寛いだ様子で浅く掛け、足先と腕とを組んでいた。集まった将軍たちが幾重にも卓を囲んでいる。近衛隊に新兵を入れたばかりで、連日コ将軍と打ち合わせばかりしているスジニは、王の背に隠れるようにして肩口で生あくびをかみ殺していた。
 「朱雀将軍。南を見てこい」
 目の端に涙を滲ませてスジニは目をしばたいた。返事を待たずに太王は続けた。
 「西から東へ走って、くまなく見てこい。いいな」
命を受けた将軍は、目を伏せたまま苦笑した。国境の村—。なかなか腰を上げられずにいるスジニの尻を、王命が叩いたのだった。

 

 たった五騎の供だけで、スジニはひと月も経たずに駆け戻った。すべての山城を回ったとすれば驚異的な早さだ。先触れが着いてすぐ、その辺の遠乗りから戻ったというような顔をして執務室に現れた。久しぶりに向き合った明るい瞳に、溶けるような笑みが太王に浮かぶ。裏腹な短い挨拶をすると、鎧に埃を積もらせたまま、将軍は書記にあれこれと口述を始めた。くるくると目まぐるしい勢いで、見てきた全てを吐き出そうと勢いづいた横顔に、王はもう一度微笑んだ。
 「それで、どうだった」
 鎧を解き、細い袴の普段着になっている。湯桶を使い、子らに会い、王の居室に戻った将軍は、ようやく卓の前に腰を下ろした。二人の間、卓上に置かれた器に目を落としたスジニは小首を傾げて笑った。チュムチが持ち帰ったのと同じ、仕切りのある器と、チョロが持ち帰ったものによく似た蓋付きの瓶だ。これらはスジニが鞍にくくり付けて持ち帰った。
 「これが、デウンです」
細い指が器を裏返す。刻まれた『大』の文字をスジニはそっと撫でた。

 

 チュムチが言った通り、あの辺りは様変わりしていました。あれから十里以上も国境が下がったでしょう?よい土が採れるところも増えて、陶工ばかり集まった村がいくつもあります。
 土を焼くのにはよい薪も要るのだそうです。それで村々はいっそう高句麗の側へ動いていました。竃を築くにも山の腹は都合がいい。むかし訪れたときにもそうでしたね?
 山城の間にある村を通るたび、陶工のことを長に聞きました。デウン、そう呼ばれる年若い陶工が居るはずだと。
 でもだめですね。偉そうに馬に乗って鎧を付けた姿では、みなひれ伏すだけでこちらの声など届きはしない。それではたと思い出して、王様のやり方にしました。まず馬を下りて、それから話すんです。みなが飯に集まる時刻を狙って。腹が満ちると、みな不思議と気安くなるものです—
 そんな陶工はいない。みな声を揃えました。戦の直後で混乱していましたから、そんな時に幼かった者のことなど、誰も覚えていないのかと。そうしたら、いちばん南の山城の側の、ちいさな村で老人に会ったんです。

 

 太王は無言でスジニを見つめていた。口元が軽く綻んでいる。視線を受け流すように、スジニの瞳は手の中で弄ぶ器に落とされた。ジンシクが音もなく歩き、卓上に酒器を並べる。チョロが持ち帰った見事な細工の器だった。無言のまま、太王は侍従から酒器を取り上げた。軽い小さな杯を試すように持ち上げ、ゆっくりと口をつける。飲み干して裏返した杯に『大』の文字を確かめた。

 

 あいつの命乞いをした老人、だと思います。はは、顔など覚えていなかったが、向こうがわたしを見つけた。またわたしに会ったとそう言ったんです。それでデウンの名を出したら、爺さんはたいそう嬉しそうに笑いました。将軍様、デウンはわしらがつくるモノのことで、と。

 

 杯の縁を丸く撫でていた太王の指が止まった。辺境の爺さんの訛を真似たスジニは、可笑しそうに鼻で笑うと器を置いた。細い首の酒器を取り上げて掲げ、確かめるように底を覗く。太王に倣って自分の杯に酒を注ぐと、一息にぐいと呷った。

 

 王様、あの時仰ったでしょう。ひとが喜ぶものを作れと。三年税を免除されても、やはり村の再建は並大抵のことではなかったようです。百済の侵入、山賊の略奪もありました。そんな時、みな何度も言い合ったそうですよ。
 わしらは陶工だ、わしらは人の喜ぶものを作る。太王陛下が仰ったとおりに。粥を振る舞ってくだすって、わしらの土を見て、窯を見て、村を立て直せと言われた、その恩に報いるんだと。あいつが刻んだ陶板をみなが真似たのです。大きな恩、これはいい字だからと、爺さんもいっぱしのことを言ってました。

 

 太王は頬杖をついてスジニを見つめていた。もう一度杯を満たし、一息に干したスジニに、はじめて柔らかな声をかけた。
 「それで、デウンは」
あくまでも少年をデウンと呼ぶ太王に、スジニはくすりと笑った。顔を上げ、かすかに眉間を寄せて微笑んでいる。
 「消えてしまったそうです」
 国境の南へ行ってしまったと老人は肩を落とした。百済の暮らしは厳しい、行くなと止めたが、少年はぽつりと一言だけ漏らした。
 —恩があるから。
そうしておそらく、そちらから来たのであろう、南へ向かって行った。止めることができないと知り、村の窯で陶板を焼いてやった。少年が片時も離さなかった、スジニの文字を写したものだった。
 あいつらしい。スジニは胸の中で呟いた。太王は微笑んだまま酒器を取り上げ、遠い目をした将軍に差し出した。
 夢のように描いていた青年陶工デウンの姿は、南方を巡る間にいつのまにか消えていた。流れ者の親子がどんな恩を受けてきたのか、スジニには知る由もない。戦で線引きした国境をいともあっさりと越えて、少年は行ってしまった。焼け焦げた兜、尖った肩をいからせた姿だけが残った。白っぽく陽に照らされたその姿も、いつしか逆光に吸い込まれるように消えた。
 「はは。実は、顔も覚えていません」
無理に笑ったスジニの脳裏で、黒い顔の黒い瞳がチカリと瞬いた。

 
space
 
space
    <- Back   Next ->  
space
line
space space space space
 <--TOP PAGE 1・・2・・3・・4・・5・・6・・7(了)  
 
  space  
line
  space  
  Copyright © kuro-kmd. All Rights Reserved. since 2010.  
  space