屋根裏部屋
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陶工大恩

 タルビが無事に男の子を産み落としてひと月後、兵站隊長である当の夫人に諭されて、チュムチはいやいや百済へ向かう準備を始めた。なんやかんやと理由をつけてまとわりついていた母子の部屋、乳色に煙るような世界から軍馬の群れに戻ってきた大男は、ヤケクソのように猛然と荷を改め、自軍を叱り飛ばしては部下の尻を蹴り上げた。
 ここまで虫の居所が悪いチュムチに頼み事ができるのは、朱雀将軍くらいなものだろう。それでもさすがに、スジニは太王の御前でチュムチに声をかけることにした。チョロの反応を思い返すと、王命にしてもらわねば埒があきそうにない。
 長く混乱が続いた国境線をようやく引き直したのが、あの親征だった。太王みずからが占領した山城を回り、小さな部族の族長や豪族の長に直に言葉をかけたのだ。それ以来、荒れに荒れていた一帯の山城も民心も高句麗の側に大きく傾き、ようやく百済との境がはっきり定まった。
 あいつは王様に命を拾い上げられたようなものだ。スジニはがつがつと汁椀に食いつきそうな痩せた肩を思い返した。王様はいつだって小さなものにまで心をかけられ、けっして無駄に命を奪わない。少年は無事生き延びて今ではものを作っている、ああいうやつを活かせる世になったと、城下でふたりは顔を見合わせて笑ったのだ。いつしかスジニの脳裏には、デウンと呼ばれて土を捏ねる年若い陶工の姿が浮かぶようになっていた。
 「チュムチ、人を捜してもらいたい」
 ぼんやり視線を落としたスジニの傍らで、太王の朗らかな声が響いた。はっと我に返ると、チュムチが鎧の腰を捻るように揺すりながら、唸るような同意の声を上げていた。
 「ああ?また人探しですか?それはもう、御命とあらば何でもやりますが。一体誰を探すんです」
 「デウンという陶工を探してくれ。年の頃は十五、六で、作ったものに『大』という文字を刻む。元々流れ者らしいから、いくつか村をあたってほしい。以前にいた村は再編されているだろうな。兵に書き付けを持たせておいてくれ。心当たりに出くわしたら尋ねられるように」
 なるほど、ここまで言わねば初めて聞いた者にはわからぬだろう。スジニはチョロへの馴れに頼った自分を思い返して天を仰ぎ、チュムチは思い当たったというように、にたりと口元を緩ませた。
 「スジニが頼んでいたあれか。はは、あいつは探し損なったというわけですか。前回のは慌ただしい行軍だ、あまり手間がかけられなかったろうな。スジニ、確かにあいつはこういうことには不向きだが、大目に見てやるんだな」
 珍しくチョロを庇うと、チュムチは鷹揚に笑って胸を叩いてみせた。
 「じゃあ今度はおれが行って、そいつを探してきてやろう。それで、見つけたらどうする。引っ張ってくるのか?」
 そこまで考えていなかったスジニは言葉に詰まった。手紙を書いてもあれ以上の文字を覚えたとはとうてい思えないし、そもそも一体何を書けばいい?では金品を持たせるかといえば、名分もなく何か呉れてやるようなことは違うような気がした。要するに、無事が知りたいだけだ。あのような器を作る、一人前の職人になったのだと確かめれば十分だった。
 「いや、ただその—よろしく伝えてくれればそれでいい。国内城にもお前の器が届いていると、王様がたいそう気に入られたと。」
 なんだ、それだけかとチュムチが呆れる横で、滑らかに細やかな指示を下した太王が苦笑した。それからすぐ、チュムチは大掛かりな荷を率いて南下して行った。毎年初荷をこうして送り届けるのが白虎軍の恒例になっていた。

 

 荷のおかげで行きはずいぶん日にちを食うが、空荷になった帰りは、白虎軍は思い切り馬を走らせた。赤子のところに戻りたいチュムチの勢いは格別で、それが文字通り行軍に拍車をかける。競うように都を目指した軍の先頭は当然のように白虎将軍、部下をはるかに引き離し、まるで開戦の伝令のような勢いで城門を駆け抜けた。今帰ったぞ!と兵站隊長に向けて叫んだかどうか定かではないが、馬上のチュムチは満面の笑みを浮かべ、確かに何かを宙に叫んだ。
 「すぐ行かせてやるから、もう少し落ち着いて」
 駆けつけたスジニは呆れて首を傾げた。将軍がひとりで城門を駆け抜けて帰還したと聞いて、笑いを堪えている。そわそわと落ち着かないチュムチが不器用な手つきで懐を探ると、ぱらりと赤い粉がこぼれ落ちた。
 「やあ、これは参った」
掻き出すようにして取り出したのは、粉々に割れた器だった。どうしたらそんなものが鎧の中に収まるのか、なぜそんな壊れやすいものを入れようと思うのか、そんなことよりデウンは見つかったのか。何から聞けばいいのかと、口を開きかけて止まったスジニにまるで気づかないまま、チュムチは大慌てで跳ねるように器のかけらをかき集め、すぐに得意げに一片を突き出した。
 「ほれ!」
 刻まれた『大』の文字。スジニの顔がぱっと明るくなった。
 「それで、デウンはどんな様子だった?」
太王の声に、声を合わせていた笑いが止まる。チュムチの顔からきょとんと笑みが引いて行った。
 「あー、これを作ったのはデウンという奴じゃないんです」
スジニの顔からも笑みが消えた。
 「また?でもこの器、あれにそっくりなんだけど」
チュムチの鎧から溢れ出した破片を手で寄せてみる。同心円上に区切られ、さらにその外側に放射状の仕切り。だいぶ小振りだが、焼き色といい、城下で見つけたものにそっくりだ。
 「お言い付け通り、いくつか村を回りました。書記が記録してますが、一度地図を整理しなきゃいけない。あのへんは似たような村ばっかりです。石を投げれば陶工に当たるというくらい、とにかく職人がうじゃうじゃしてやがる。これを作ったのはいちばん大きな窯の主だが、名はなんと言ったか、まるまると太った男だ。四十は越えているように見えたがな」
 その男、食べることが大好きなので、食事の器ばかりを作っているのだという。美味いものを入れる器、われらは人が喜ぶものをつくる—
 「そう言ったの?毒や敵将の首ではなく、美味いものを入れる器。人が喜ぶものを作ると?」
 スジニは太王の言葉を一言漏らさず覚えていた。それは王が少年の命を拾い上げたときにかけた言葉だった。
 「ああ?そうだ、確かにそう言っていた。おれの調べはそれで全部だ。では、王様。失礼します」
いきなり太王に向き直り、チュムチは唐突に辞した。妻と赤子のところに飛んで行く大男を王は止めなかった。どすどすと蹴立てるような足音が遠ざかる。スジニは手にした破片に刻まれた文字を見つめた。今までに見たものはすべて蹟が違うようにも思えるが、土を引っ掻いた文字では判然としない。
 くすり、と小さな笑いが沈黙を割った。スジニが向き直ると、片肘をついた太王が笑っている。
 「言わなくてもいいぞ。次は自分で行ってこい」
間を置いてスジニも笑い出した。デウンに少し近づいたような気がしたが、謎もまた、明らかに深くなっていた。

 
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