屋根裏部屋
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陶工大恩

 春が浅い頃、高句麗の守備は、百済との国境である南方から順に目覚める。年に数回、騎馬隊の精鋭が小軍を編成して一気に南へと駆け下りた。銀色に輝く鎖の鎧に黒い肩布をなびかせた騎馬軍の往来は、それ自体が周辺を圧した。帯方まで南下した後、国境に沿って東へと走る。かつて百済が築いた山城のほとんどを高句麗が制し、今では何里も下がったところに新しい防塁が建っていた。それらにかつての城塞のような勢いはなく、年々数もまばらに小さくなっていくようだった。
 「補給状況をよく確認して、できる限り敵陣も視察してくれ。それから兵たちに酒をふるまうこと」
 壁一面を覆う大地図の前で、卓を囲んでいた幾人かの将軍たちが、わっと闊達に笑った。座の中心にいる太王は、黒いなめし革の無骨な沓の先を組み替えて背を伸ばし、ゆったりと両腕を組んだまま、居並んだ青龍と白虎の二将を眺めた。
 「青龍将軍、南は久しぶりだな」
 「百済はもっぱらおれだからなあ。そっちは北ばかりだ。次はおれも北へと言いたいが」
 「そろそろ遠出したいのかもしれないけど、お腹の子がちゃんと生まれてからにしないと、兵站部が兵糧を持たしてくれないだろうに」
スジニの軽口に座がどっと湧いた。チュムチは大きな手のひらで頭を撫で回し、まんざらでもなさそうににんまりと笑った。この男が笑うと太王も笑う。いきなり覗いた子沢山な親父の顔に、いささか苦笑気味でもあった。兵站部の長はお腹が空くことがなく、臨月には自邸から指令を飛ばしたが、おかげで記録と報告の統制はおそろしい精度に達していた。
 スジニはいつものように太王の椅子の背に沿うようにして立っていたが、話が途切れるとそわそわとチョロを見た。青みがかった鎧の長駆は腕組みをしてどかりと座っている。相変わらず無口な男は、出陣の命を受けてからこのかた、一言も発していなかった。
 「国境に着いたら、ちょっと頼まれて欲しいんだけど」
いつになく控えめな物言いだ。チョロは伏せていた視線を上げ、頭を振って煩そうに髪を払った。相変わらず結おうとしない髪がさらりと音を立て、露になった端正な眉間は怪しむように顰められていた。
 「そんなに警戒しなくてもいいでしょう。ちょっと人を捜して欲しいんだけど…」
 幾人か将軍たちが残る中、スジニの言葉が柔らかくなっていた。いつもは軍人然とした男言葉だが、頼み事をするという負い目と、相手がチョロだという気安さが混じっている。
 「人を、探す?」
眉間に皺を寄せたまま、チョロはじっとスジニを見据えた。それから頭を廻して王の顔を窺った。
 「いや、命令じゃない。これは…頼みだ」
面白そうに微笑む太王に、わかったともそうかとも応えず、チョロはただ聞く姿勢になっている。スジニは急き込むように尋ね人の詳細を伝えた。
 「年の頃は十五、六で、陶工だ。器の裏に「大」という文字を刻む、腕のいい職人だ。こういうものを——拵える」
 傍らの小卓から取り上げたのは、城下の店から買い取ってきた例の器だった。
 「ほお、こんな器は初めて見るな」
チュムチが珍しそうに伸ばした指先をスジニが弾いた。手元にはこれ一枚しかないのだ。チュムチに扱わせてなるものかと、スジニは器を放さずに裏返した。
 「ほら、大の文字」
 「これはどうやって使うんだ?」
 「真ん中に肉を盛って、まわりに味噌をいろいろ入れていたな。香草も」
のんびりと答える太王に、白虎将軍の眉がぴくりと上がった。
 「へえ。どうやら噂は本当だ。あちこちうろついては最新情報を仕入れているわけですな。結構、結構」
飲み屋にひっかかるのなら俺も護衛に加えろと、チュムチが王の肘を突く。曖昧に笑う太王の傍らで、スジニはチョロに村の場所を告げ、もう一度繰り返した。
 大という文字を刻む陶工だ。デウンと呼ばれているはずだが—

 

 予定通りに帰還した青龍軍を、最も歓迎したのはスジニかもしれなかった。大殿で兵士を出迎え労う間、スジニは扉口に立ってじっとチョロを見つめていた。肩布に埃を積もらせたまま、チョロは軽く口を結んで王の言葉に頷き、ようやくスジニの視線に気がついた。目配せをして深く頷く。近衛隊長の口元にかすかな笑みが浮かんだ。
 自信ありげな様子もむべなるかな、チョロは山ほどの器を持ち帰っていた。そのほとんどが酒器で、小さな杯、細首の瓶や壷があり、精巧な蓋付きのものまである。感心したように手に取ったスジニは、ひとつを裏返して白い歯を零した。大、の文字。
 「どうだった?デウンはどんな様子だった?」
 「デウン?」
チョロの眉根が訝しそうに寄せられた。
 「こんなに立派なものを作るようになったのか」
 「デウンという者が作ったのではない」
 「なに?」
壷の蓋をつまみ上げた手が止まった。太王とスジニは同時に器から顔を上げ、チョロの顔を見つめた。
 「どういうこと?」

 

 久々の南下は進むたびに暖かく晴れた日が多くなり、青龍軍は気分よく疾走した。兵を鼓舞しながら山城を回るような慰問はあまり得意とはいえないが、自軍の活気ある姿を目にするだけで士気は上がるものだ。大地図でスジニが示した場所は確かに陶工の村だった。チョロは数騎を連れて陶工の頭を訪ねたのだという。
 「窯のあるじは三十がらみの男だ。とても痩せていて鼻が赤い。酒がなにより好きなので、酒を入れるものばかり作っていると言っていた。」
 尋ねる間、土の前から立ち上がりもせず応じたのだと副官が言い添える。山のような器を運ばされた気の毒な兵とともに、チョロの背後に控えていた。
 「デウンという名を尋ねたか?」
スジニは言葉少ないチョロを早々に諦めて、副官に向き直った。いきなり直に話しかけられ、兵は必死に記憶を絞り出した。
 「尋ねましたが、首を傾げるばかりでした。その者は何だったか…ええ、違った名であります」
もう行っていいと手を振って、スジニはもう一度壷をひっくり返した。確かに大の文字がある。しかしこれを作ったのは酒飲みの三十男だ。軽装の鎧がため息に揺れ、スジニは上目遣いにチョロを睨んだ。
 軍役の報告は短くとも完璧にするくせに、この男、こういう用事だとどうしてこう食い足りないのだろう。あそこまで行っていながら、もう少しつっこんで調べてはどうなのか。それに何だ、この山のような器は…。店開きでもするつもりなのか。
 小さな暗雲がスジニの眉間に宿ったのを素早く見て取った太王は、にこやかに微笑んだ。
 「ご苦労だった。ゆっくり休んでくれ」
表情を変えぬままチョロが立ち去る。酒器の山とともに残されたふたりは、次第にこみあげる笑いに負けてついに声を上げた。
 「これじゃますます気になって仕方がありません」
嘆くようにスジニが笑い、王は細い注ぎ口の酒瓶を取り上げて、ためつすがめつ眺めた。
 「またすぐに白虎軍が補給の護衛で走る。次はチュムチに頼んでみるか」
 「頼むのではだめです。王様。命じてください」
絞るようなスジニの声に、もう一度王が声を上げて笑った。

 
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