屋根裏部屋
space
space
 <--TOP PAGE 陶工大恩 <- Back   Next ->  
space space space space
line
space space space space
  1・・2・・3・・4・・5・・6・・7(了)  
space space space
陶工大恩

 ようやく卓上に下ろされた皿は大振りで、肉が山と盛り上げられたそれを、スジニは両手で扱っていた。火の色が土に留まったというような暖かい色。平皿の中心は丸く仕切られ、その周りがさらに放射状に四つに仕切られている。この店ではその意匠を活かしたのだろう、真ん中に焼いた肉、周りのマスに様々な味噌や香草を盛り合わせていた。肉から覗いている小骨を器用な手つきで摘むと、太王はひょいと味噌を掬うようにしてそのまま口に運んだ。
 「この皿は理に叶っているな。われらの国の様々な味噌を楽しむことができて、目にも鮮やかだ。」
 スジニも倣って肉を摘むと、また別の味噌を掬った。
 「あいつがこの器を焼いたんですかねぇ…」
感慨深そうに頭を振りながら、忙しく肉を噛み酒を呷る。相変わらずの健啖ぶりに、王は明るく微笑んだ。
 「まだ幼かったが、物怖じしない不思議なやつだった。そう、デウンだ。たしかお前が名をつけたな?」
 「そういうわけでもありません、あれは…」
宮の奥深く、幾重もの石壁に包まれた王の居室を離れ、壁のないむき出しの土の上で、間近に外つ国の商談の声、遠くからは市場の喧噪が聞こえてくる。差し向かいの太王の寛いだ笑みに、スジニはようやく近衛隊長の顔を手放し、明るく笑って指の背で口元を拭った。

 

 流し込むようにしてあっという間に丼一杯の汁を平らげた少年は、盛大なげっぷを吐きながら仰け反った。並んで座りこんでいたスジニは、顎を支えて膝頭についた肘を揺らして笑った。
 「そんな風に食うと身体に悪い。山賊から逃げ回っていたんだろう?しばらくまともに食わなかったような時は、ゆっくり少しずつ飲み込むんだ」
きょとんと目を丸くした少年は口を利かない。言葉はわかっているらしく、うんうんと頷くと、竃にかかった大鍋を覗き込むように腰を浮かした。傍らの兵が呆れたようにその手から丼を奪ったが、スジニがそれをさらに奪い返し、鍋を探るように掻き回して肉をたっぷり入れてやった。そうしてもう二杯、鼻を鳴らしながら丼が空くのを、スジニは楽しげに見守った。
 流れ者の父親が死んだばかりだ、そう老人が言っていた。
 「お前はよそから来たのか?アボジともども、この村に拾われたというわけか」
 「恩があるから」
突然はっきりと言葉が返ってきた。まだか細く高い少年の声だ。こいつを庇って土にひれ伏した幾人もの村人たち。孤児になったばかりだという子どもは、みなに好かれているらしい。それで恩返しにと、拾った槍と兜で立ち向かってきたというわけか。
 「よりによって、お前が刃を向けたのは高句麗の太王陛下だ。まったく、もう少しでお前を叩き斬るところだった」
腹を満たした少年は、今は背を伸ばしてまっすぐに座り、対面するスジニを見つめている。黒い顔に、小鳥のような黒い目がツヤツヤと光った。
 「恩などとは大した言葉を知っているじゃないか。」
揶揄うような口調にも、背を伸ばしたまま口を結び、賢しげに頷くばかり。スジニは降参したように手を上げ、目についた棒切れを拾い上げた。
 「恩か。村の人によくしてもらっているんだね。そして今日は王様に命を救われた」
 大恩。
 スジニは固い地面を引っ掻いて、心に浮かんだ文字を何気なく書いていた。
 「わたしもお前のような子どもを斬らずに済んでよかったよ」
食い入るように地面の文字を見ていた少年は、突然立ち上がると脱兎のように駆け出した。呆気にとられるスジニを置いて、太王が歩き去った方へとあっという間に見えなくなった。別に科人ではなし、構わないとはいえ—
 「変わったやつだ」
並んで呆然と見送る兵にそう呟いたとき、裸足の踵で土煙を上げて、少年が駆け戻った。
 手にあるのは陶板だった。いや、焼いていないのだから、ただの練った土の板だ。陶工の道具とおぼしき竹を削った細い棒を取り出すと、それをどうやら筆のように構えた。手のひら二つ分ほどの土の板に、少年はスジニが書いた文字を写しはじめた。
 いくども書いては気に入らないのか、指先で埋めるようにして土を均して繰り返す。覗き込んだスジニが口を開いた。
 「デウン。大きな、恩。村人や王様からお前が受けたものだ…恩という字が難しいか?…ははは」
幾度も繰り返すうち、大という一字だけがいくつも書かれた。ぎざぎざと土を抉った不格好な文字を肩越しに見て、スジニは声を上げて笑った。まあ一文字だけでも覚えたのだから、それにこれは簡単だがよい字なのだと、少年の頭を小突くように撫でた。

 

 「名がなかったわけではないでしょうが、たしか、それを見ていた者たちがデウンと呼んだんです」
 スジニがまた手を伸ばし、太王は微笑んで皿を押しやった。自らは手酌で酒を注ぎ、口の端で香草を噛みながらちびりちびりと杯を運んでいる。
 「大恩、ですから。王様が名付けたようなものでは?」
王はかすかに小首を傾げ、肘をついて国境の村を思った。
 山城が陥ち、この村はこれから高句麗だ。これから三年の間税は取らぬ。散り散りになった者を呼び戻し、村を立て直すがいい。
 太王の言葉が伝えられると、村人たちは安堵の声を上げ、早々に焼け跡を片付けにかかった。みながはじめに取りかかったのは太王も視察した作業場で、職人らしい男たちが小山の麓に集まって、埋まりかけた竃をきれいに穿ち始めた。少年はあっという間に村人に混じってしまい、馬上からその姿を見分けるのはすでに難しかった。
 デウン!
 誰かが呼ぶ声が風に乗って届いたような気がして、騎馬隊の先頭に立ったスジニの口元がかすかに綻んだ。細かく舞う白い土煙に眼前の光景が紛れていく。占領した国境線に沿って、高句麗軍は次の山城へと回軍していった。
 「あの頃からずいぶん国境が南下した。今ではあの辺りの村も安定しているだろう」
肉を噛んでいたスジニの顎がゆるゆると止まった。土色に白茶けた人々に埋まるように消えた少年。年が近しい育ての子を国内城に置いて出たはじめての戦だったからか。黒い顔につやつやと瞳を光らせた少年をアジクと重ねたから、このように印象が強いのか。
 少し遠くに据えられた将軍の目の前で、太王が面白そうに香草を振った。目をしばたくようにしてまたすぐ肉を噛み始めたスジニに、笑いが振ってきた。
 「ずいぶん気になるようだな。じきに定例の国境視察を出す。そろそろ青龍の番だから、あいつに村を通るように言おう」
 「わたしから」
勢い込んだので喉が詰まる。げほげほと咳き込みながらスジニは笑った。
 「もう立派な職人でしょう。デウンという陶工を探すように、わたしからチョロに伝えます」
 器の底に大の文字を刻む陶工が居るからと。同時に皿を持ち上げてふたりはもう一度笑い合った。それはあの日と同じ、掻くように彫られた、書き慣れぬ蹟の文字だった。

 
space
 
space
    <- Back   Next ->  
space
line
space space space space
 <--TOP PAGE 1・・2・・3・・4・・5・・6・・7(了)  
 
  space  
line
  space  
  Copyright © kuro-kmd. All Rights Reserved. since 2010.  
  space