屋根裏部屋
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少年は丘を越えて

 寝間に入ると、タムドクはそのまま寝台に寝そべった。父王に呼ばれて王宮へ行き、話をした後だった。自分が泥になったような気がして、べったりと寝台に貼り付くように身を転がした。
 毒を盛られた父を助けようとしただけだ。でなければ今ごろは父が死んでいた。それを企んだのがよりによって自分の叔母、父の実の妹だ。その叔母がなぜあんなに自分と父を憎み軽んじたのか、それは聞きたくない理由だった。
 —私を叔母と呼ぶな。敵国、燕の血が流れている汚い種のくせに。
根も葉もない思い込みが生んだ風聞、そう思い込んでいる人間が王宮にはたくさんいるという。そう信じたとはいえ、毒殺するほど叔母は実の兄が憎かったのか。ヨン家に傷をつけないように、誰も罪に問われないように、頭を振り絞って考えたのに、結果はどうだ。叔母は服毒し自死してしまった。ホゲのあの目。自分を生涯の敵だと言った。ヨン大兄もこの後黙っていないだろう。父の命を救ったが、その結果、人が死に、ヨン家を敵に回した。
 毒を見破り、解毒してくれたのはキハだったが、その後会うことは叶わない。今こそキハに会いたいのに。コマに会いたいのに。
 —コマに会いたい。やっと一つところに落ち着いてそこへ行けば会えるのに、ずっと会っていない。明日は出かけよう。コマに話せばきっと大丈夫だ。タムドクはまた寝台で転がった。なかなか眠りは訪れなかった

 

***

 

 跳ねるように駆けて、街に入る。久しぶりに髪を乱し息を弾ませ、タムドクは走った。今回くすねた上着は軽く、風が通るごく荒い織だった。コマに会わない間に季節が巡っていた。走るとすぐに汗ばむ。夏にこんな上着は要らないのだと、街に入ってようやくタムドクは気がついた。みな軽い上衣だけで歩いている。上着を脱いで片手に抱くと、コマへの土産を物色した。飯は食わせてもらっているだろうが、菓子なんかはどうかな。あいつは甘いものを口一杯に入れて食うんだから。頬を膨らませた顔を思い出して笑い、杏の菓子をたっぷり買った。それを抱えて塩屋に向かう。入り口に荷が積まれ、あたりは活気があった。そっと覗き込むと男たちが忙しく働いている。
 出て来た男をつかまえて、タムドクは案内を乞うた。しばらく待つと、ホンイが姿を現した。
 「よお、久しぶりじゃないか。二月くらいか?どうしてた。」
ちょっと色々あって、そう言うとタムドクは俯いて笑った。
 「坊主、なんかちょっとかんじが変わったな。ま、いいや。」
 「コマは」「あいつはいねえよ」
問いと答と、言葉が同時に重なった。タムドクの顔から血の気が引くのを見て、ホンイが陽気に笑った。
 「逃げ出したんじゃない。どころか、主人のお供で塩田に行ったよ。大したやつだ。」
ホンイは自分の手柄のように嬉しげに話した。お前さんの見立ては間違ってない。ありゃあいい商人になるだろう。ここへ来てからのあいつはすごかったぜ。夜も寝ずに勉強してたな。読み書きはヘタだが、そんなのはすぐにどうにかなる。
 「お前が来るのを待ってたぜ。」
タムドクがようやく微笑んだ。やっぱり、コマはすごいやつだ。ずっとそう思ってた。
 「それで、いつ戻りますか?」
 「いやあ、わからん。帰ってこないかもしれん。何年になるかもわからん仕事だ。」
西国に新しい塩の産地を見つけたから、そこに拠点を作るんだ。そのためにわざわざ旦那が直に行かれたんだ。コマはそこに置かれるからな。そのうちあいつが仕切るようになるかもしれん。うちの店の扱いが何倍にもなるでかい仕事だ。」
 タムドクは自分の体が洞になったような気がした。帰ってこない。その言葉だけがいつまでも響いていた。
 「おい、ぼおっとして、大丈夫か?そうだ、手紙。」
ちょっと待て、と言い残して、ホンイは店の中に駆け込んだ。帰ってこない。タムドクは店先にそのまま立ち尽くしていた。小さな売りもするらしく、買い物に来た客が不審げにタムドクを避ける。ようやくホンイが戻って来た。息を切らして、小さく畳んだ紙切れをタムドクに渡した。
 「これを頼まれてた。タムがきっと来るから、渡してくれって。ほんと、お前を待ってたぜ。じゃあな、おれはもう行かなきゃ。また来いよ。またいいネタを頼むよ。そんときゃ一割でな。」
肩を叩かれてタムドクはよろけた。握った紙切れがどくどくと脈を打つように感じたが、それは自分の胸の音だった。もどかし気にタムドクは紙を開いた。ごわごわと茶色い、奇妙な風合いの紙。
 まるで金釘で引っ掻いたようだ。初めて見る、コマが筆書きした文字だった。

タムありがとうお前のともだちより コマ

 コマは読み書きがヘタなんだ。なんだこの手紙。読んだそばから涙が盛り上がって、ぱたぱたと落ちた。ごわごわの紙をようやく元通りに畳むと、握りしめてタムドクは走り出した。下を向いて走るので人にぶつかっては怒声を浴び、それでも謝らずに走り続けた。何度目かにひどく転がり、地べたに手紙が飛んだ。必死に這ってそれを捕まえると、しっかりと懐にさしこんだ。
 こんなんじゃない、市場の歩き方はこんなんじゃないんだ。さっさっと人をよけて、荷車もよけて走るんだ。コマみたいに。

 

 走って走っていつの間にか丘に着いた。季節が巡り、一面草がおい茂っている。すっかり雨に均され草に覆われて、どこにサエがいるのかよくわからなくなっていた。ようやくコマが置いた白い石を見つけると、タムドクはサエに言った。
 ごめんなサエ。ずっと来なくて。大変だったんだ。父上が死にかけて、キハと助けた。叔母上が死んで、従兄弟は生涯の敵になった。一生おれを赦さないんだって。コマに聞いてもらおうと思ったのに。おれがしたことを話さなきゃいけないと思ったのに。ずっと居てくれると思ってたのに。サエ。コマが行っちゃった。遠い国へ。サエはやはり何も言わない。ただ笑って見上げている。また、ぱたぱたと涙が落ちた。
 よかれと思ってしたことで、実際コマにとってよいことなのに、寂しさ悲しさが勝って、それを喜んでやれない自分がタムドクは情けなく、堪えようとするといっそう切なかった。きっとコマは大商いをする商人になって、自由に広い世界を飛び回るに違いない。いつからか自分が感じていた通りに。

 コマはきっと、商人になる。

どのくらい座り込んでいたのか、陽が傾いて、サエの石を赤く染めていた。タムドクはもう泣いていなかった。立ち上がって尻をはたくと、胸に手を当てて懐の手紙を確かめた。コソリと鳴る紙を感じると、それからまっすぐに顔を上げ、振り返らずに歩いて行った。

 

 夕暮れ、かろうじて残る陽の中、突然鶏小屋の薮から姿を現した太子に三人の侍従は驚いた。民が着るような粗末な服、膝は土で汚れ、土埃に汚れた顔に目が鋭く光っている。ためらいながら、若い侍従が自分から声をかけた。
 「太子様、お探ししました。」
タムドクははじめて見るような目で侍従たちを見ると、粗末な上着を脱いでいつもするように手渡した。
 「これからも時々出かけるけれど、もう探すな。心配要らないから。」
しかし、と驚いて言葉を継ぎかけた侍従は、タムドクの気配に押されて一歩下がった。
 「これだけはしたいようにさせてもらう。みんなこのことは知らなくていい。だから何があっても誰のせいにもならない。」
そう言うと、塀に沿って歩きだした。行方が知れなくなったみなしごたちを探し、今度こそ何か履かせて字を教える。タムドクはそう決めていた。
 主がもはや少年ではないことを侍従たちは悟った。それからいつものように、おのおの動き出した。湯をお持ちしよう、まずは体をお拭きになるだろう。

 

***

 

 鍛冶屋に憧れたものだった。タムドクはある郷愁をもって、パソンの鍛冶屋を訪れた。ヒョンゴが紹介した大鍛冶は期待以上で、武器より防具をというタムドクの願いを瞬時に理解した。鎖を編んだ鎧を見せられ、これからこの鍛冶場で作られる鎧は最強のものだろうとタムドクは確信していた。素晴らしい仲間を得た。
 近衛隊が両脇で列を作る。即位したばかり、しかも臨時の高句麗王は、着慣れない長い裾の絹衣を翻して鍛冶の作業場を出た。勝手知ったる職人街だ。この先に染め屋の婆の家がある。婆は数年前に亡くなり、子を亡くしていた婆には跡継ぎがいなかった。見知らぬ染め屋が作業場を買い取り、さっそく仕事を始めたばかりだった。桶に落ちたお兄ちゃんだ。記憶の底から呼ぶ声がする。
 ヒョンゴが杖をついて進み出た。
 「王様、パソンには鎧を揃えるよう、急がせてよろしいですね?それから、より遠く飛ぶ矢も。」
タムドクはよく気が回る玄武の守護に笑いかけた。
 「ぜひそのように進めてくれ」
ホゲと王位を争うのは本意ではなかったが、天の意思に従おうという心持ちだった。それでしか、亡くなった父王に報いることはできないのではないか。同じく、始まったばかりのこの王位争いで既に命を落とした者たちにも。
 この服で乗馬は難しいな。タムドクはこっそりコ将軍に耳打ちした。これを着なければならないということもあるまい?笑いを堪えたヒョンゴがさらに言葉をかける。長い年月、城下をうろついていた占い師は、市井の人材に通じていた。
 「名うての傭兵団がおります。シウ族長のチュムチ。それから、珍しい人材が外つ国から帰国したとか。塩を商う大商人の名代が、西国から戻ったそうです。こちらはまたすぐに発ってしまうそうですから、お会いになりますか?」
 ツキっとタムドクの胸が痛んだ。
 「その商人の名は?」
ヒョンゴはぽりぽりと頭を掻いた。
 「ほとんど高句麗に居りませんから—何と言いましたかな、主の養子で。異国の風貌とか。」
 タムドクは走り出した。長い裾をたくし上げ、一番近い路地裏を選んで駆け抜けた。ぎょっとしたコ将軍が追う。わけがわからずヒョンゴも追う。馬を引いた者を従え、一行は息を切らして王を追った。店先には着いたばかりの荷が積まれている。タムドクはあの日のまま、その前に突っ立った。外の異様な気配に、小僧が様子を見て泡を吹いた。豪華な刺繍の絹を着た長身白皙の青年が、息を切らした鎧姿の近衛兵を従えている。タムドクは案内を乞うた。
 「コマはいるかと主に聞いてくれ」
声を聞きつけたらしく、奥がざわめいた。なんだ、だれだと怪しむ声が近づき、店先に出た小僧の背後から、のっそりと顔を出したのは長身の男だ。浅黒い顔に鋭い眼光、鼻筋が通った美丈夫だった。一目見て、タムドクが笑った。
 「よう。おかえり、コマ。もうチビとは呼べないな。」
コマは衣に美しく縫い取られた王家の文様を見た。それからその上によく知っている目を見つけた。やがて口が小さく動いた。ウソだろおい。なんだこりゃ。やがて口の端がにやりと上がった。鳶色の目が煌めく。山犬の笑いだった。
 「—おせえんだよ、このバカ。」
タムドクが声を上げて笑い、そのままコマに抱きついた。バカ、と聞いてコ将軍は一歩出たが、そこに溢れる喜びに、すぐ歩を収めた。あの日の少年たちはようやく腕をほどき互いを小突き合った。

 

(了)

 
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