屋根裏部屋
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少年は丘を越えて

 抜け出すのにすっかり慣れて、それから数回、タムドクは街に出かけてはコマと会っていた。そろそろ季節は夏に向かい始め、また別の上着を洗濯場で物色しながら、タムドクはいつものように水路を抜けた。
 キハと話すのとは違って、コマはもっと気安い。キハと同じようにコマも自分より優れたすごいやつだが、コマには自分がしてやれることがある。それがタムドクは嬉しかった。何より、コマは自分が太子だと知らない。もし知っても、きっとタイシって何だ、と言うだろう。想像したタムドクは、歩きながら一人歯を見せて笑った。コマはようやく字を覚え、街の入り口の石にはへたくそな文字が書かれるようになった。一文字だけで「粥」などと書く。知らない文字だと刀の絵になったりするので、次は「鍛冶」と教えよう。
 その日は少し様子が違った。石のそばにコマが立っていて、タムドクの姿を認めると苛々と急ぎ足で近づいた。
 「なんだ、仕事は?」
 「なんか騒ぎがあるらしくて仕事になんねえ。」
 「騒ぎって、なに?」
懐から菓子の包みを出して渡しながら、タムドクもコマの勢いに巻き込まれていた。警戒するような中に興奮が混じっている。宮中の干菓子を口一杯に詰め込むと、コマは手招きをして街に入って行った。
 「昨日の夜からへんな連中がうろついてたんだ。」
ようやく菓子を飲み込むと、コマは口元を拭いながらげっぷを吐いた。
 「へんって、どう変なんだ。」
ふたりはいつもたむろしている飲食街には行かず、職人街の入り口あたりで止まった。
 「人を拐う奴らだってさ。」
 「なんだそれ」
怪しげな者たちが人を拐って売るのだという。農村に働き手として売られたり、色を売る宿に売られたり。いずれにしても一生日陰の奴隷だ。
 「それは国が禁じてる。」
眉を顰めてタムドクが答える。この国の法について、調べている真っ最中だった。
 「奴隷にしていいのは戦の捕虜だけだ。高句麗の民は許されない。」
 「だから捕り物があるんじゃないかって噂だ。悪党は気づいてないが、タレの店って知ってっか?」
 「知らない」
 「女が酒を飲ませるとこだ。そこに昨日の夜シケこんでまだつぶれてる。そこを兵隊が取り囲んで捕まえるらしい。オレは今朝のうちに酒を運ぶはずだったんだ。」
シケこむ?今度は自分がコマに言葉を教わらなければならない。タムドクは目を白黒させながらコマの言葉を反芻した。
 「みんなは?」
 「今日も粥だ。それしか仕事がねえ。タレの店とは離れてるから、あっちは仕事になってる。」
捕り手たちは宮殿からくるのか、それとも門から入ってくるのかとコマは気にしている。なんだかんだ言って、捕り物が見たいらしい。こういうことを収めるのはどこだろう?タムドクも一緒に考える。民の治安のことだから、外郭を警備する衛兵でも使って誰かが指揮をとるのだろうか。
 「お前剣を使うとこ、見たことあるか?」
 「いや、真剣はない」
 「前一回見た捕り手はすっげえ鎧を着てた。黒いやつ。」
ああ、それはきっと近衛隊だ。そう答えながら、きっと王宮に関わることだったのだろうとタムドクは考える。
 「くるっと回って、そのままばさっと…いや、そん時は斬ってはなかった。捕まえて連れてったな。」
コマは立ち上がって剣を振り回す真似事をはじめた。タムドクもつい立ち上がり、ちょっと剣術をやってみせた。その身のこなしにコマは驚き、坊ちゃんはやっぱすげえなと呟いた。
 「勉強のほかにそんな練習もすんのか。お前寝る暇あんのか。」
半分ふざけてコマは聞いたのだが、タムドクは苦笑して黙った。夜中にもしょっちゅうゴソゴソ動き回っている。子どもにしては寝る時間が少なかった。ただでさえ時間はたっぷりあるというのに。
 「おれは時間があるから。その、お前らみたいに働かずに済むし。」
ほかにすることないし。タムドクは声に出さずに続けた。
 「こういうのもそのうち教えてやるよ。」
コマの目が輝いた。
 そうするうちに、市場が騒がしくなっていた。物見高く人が走っていく。コマはタムドクを振り返り、行こうぜと頭で指した。タムドクが頷くと、ふたりはおとなに混じってタレの店に向かって走った。

 

 捕り手はやはり国内城の衛兵に見える。胴だけの鎧という軽装で、すでに剣を抜いている者もいた。タレの店は赤や青の灯籠が軒先に下がった異国風の二階屋で、ちょうどふたりが着いた時、大きく開いた二階の張り出し窓から人が降ってきた。野次馬がどよめき、騒然となる中を落ちた男が這って逃げ、それを追う衛兵が人を散らす。コマに引きずられてタムドクはようやく崩れた人垣を逃れた。さらに男がふたり、店から飛び出すと猛然と人ごみに突っ込み、押し倒された人々を踏みつけて逃げた。その後を追手がどやどやと走った。後ろ手に縛られた男が引っ立てられて出てくる。それらを見送るように、店の入り口で妖艶な女が咥えていた煙管を半分離して言った。
 「まったくいい迷惑なんですよ。うちにとっちゃただの客だもの。他所でやっとくれな。」
 今起きたばかりとでもいうように、衣をひっかけてそれを手で掻き合わせて押さえている。掠れた声でそれだけ言うと、くるりと身を返して消えた。
 「あれが多分タレだ。」
タムドクに囁きながら、コマは厳しい顔で騒ぎを追って走った。男たちに逃げられて、捕り物は拡大していた。
 ごちゃごちゃと入り組んだ飲食街を狙って男がふたり逃げ込み、そこらじゅうをひっくり返して衛兵が追っていた。取り巻いていた野次馬も蹴散らされ、それが騒ぎに拍車をかける。タムドクは仲間を探して走りながら何度もサエを呼んだ。こんな時にもサエは応えないのだろうか。コマは無言で辺りを探しまわった。座り込んで泣く女に目を留め、タムドクの心が痛む。商売がめちゃくちゃだ!よそでやっておくれ!泣きながら女が叫ぶ。
 ようやく粥屋に着くとここも例外ではなく、大鍋も卓も地面に転がっていた。背後で悲鳴があがる。追われていた男が斬りつけられたらしい。初めて嗅ぐそれが血の匂いだと、なぜかタムドクにはわかった。
 「殺すな!生かして聞き出すことがある。」
後ろ手に縛り上げた男をふたり、衛兵が引っ立てると、あっという間に辺りから人がひいた。
 静まった空気をコマの叫びが引き裂いた。
 サエ!と叫んだ後、ヒィーというような甲高い声。タムドクの背が冷たくなった。
 「コマ!どこだ!どうした!」
答はない。声がした方におそるおそる近づくと、店の前でコマが地べたにぺったりと座り込んでいた。転がった卓と大鍋の間にサエが横たわっている。盆と丼が横に転がり、地面はまだ暖かく濡れていた。タムドクは喉が詰まって声が出なかった。ようやく近づくと、やっと事態を飲み込んでサエに飛びついた。
 「サエ!」
肩を抱いて起こすが、サエは応えない。小さな白い身体はぐったりと力がなかった。タムドクは呆然とサエを抱いた。どこにも血は流れていないのに、サエの左頬は大きく歪み、体中が踏まれた跡で泥だらけだ。まだ暖かいのに、サエは息をしていなかった。
 ようやくコマが動いた。タムドクからサエを奪い取ると、狂ったように名を呼びながらサエの体を揺する。揺すった拍子にサエの口が小さく開いた。
 「サエ!」
コマの目に一瞬輝いた希望は、次の瞬間奈落へと消えた。サエの口から血の塊が流れ出てコマの手を濡らした。それっきり、サエを抱えたコマも動かなくなった。

 

 人が戻り、周り中で騒ぎを毒づく声や泣き声がしていたが、薄汚れて座り込んだ少年たちに声をかける者はなかった。粥屋の女が悪態を吐きながら鍋を拾い上げ、タムドクとコマ、そして腕に抱かれたサエの血を見て、ひいっと声を上げた。少年はふたりとも泣いていなかった。ただ粥がぶちまけられた地面を見つめていた。
 「お、お前たち、その子は?」
女の声はふたりに届かなかった。サエは最後に助けを呼んだのだろうか。それとも声を出さないまま、いることにも気がつかれず、挙げ句にこんなことになったのだろうか。 無言で座り込んで動かないふたりに、さらに女がふたり近づいた。
 「かわいそうに、死んじまったのかい。親はどこだい。」
こいつらにそんなもん、いない。怒りに震えてタムドクが答えた。どうしてサエの死はこんなに軽い?どうして誰も踏みつけられる子どもに気がつかない?
 「親がなくても、死んじまったもんは弔ってやらなきゃならないさねぇ。お前たち、ともかくこっちにおいで。」
肩にかけられた女の手を、コマが振り払った。
 「さわるな。オレにさわんなバカ。」
コマの全身から、炎が吹き出していた。怒りと悲しみがいっしょくたになって燃えている。女が後ずさると、タムドクは静かにコマの肩に手をかけた。
 「オレが連れてればよかったんだ。」
 「コマ」
 「オレはバカだ。」
 「コマ—」
すぐ側を人が掃き、散らかった物を拾い始めても、コマは地べたに座り込んでサエを抱いていた。気がついた者がびくっと避けてはおそるおそる遠ざかる。みな死を畏れ死を避ける。コマが顔を上げずに言った。
 「どっかの戸をかっぱらってこい」
タムドクは必死で走り回り、店の入り口から半分落ちた戸をひきはがして逃げた。おい、こら泥棒だ!声だけが追ってくるのを振り切って走る。背丈を越える戸が肩に食い込み、はあはあと自分の呼吸が頭に響いた。
 タムドクが戸板を降ろすと、コマが頷いてようやくサエを離した。白い顔はますます白く、踏まれた頬は色が変わりつつある。タムドクは上着を脱いでサエに着せかけた。そっと顔を傾け、歪んだ頬を下に隠す。ふたりは前後に並んで戸板を持ち上げると歩き出した。こうすると小さなサエは驚くほど軽く、何も載せていないかのようだ。
 崩れた野次馬の残りがちらちらと覗き込む。
 「おやまあかわいそうに。子どもが巻き込まれて死んだよ。」
 「衛兵のせいだろう?タレの店から逃がしやがった。おかげで店がこんなだ。」
 「わかってんのかい?城内に墓はないんだよ、お役人に言って門を出て—」
見知らぬ女の声を無視して、ふたりは無言でサエを運んだ。

 
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