屋根裏部屋
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少年は丘を越えて

 市場の喧噪の中を小走りに急ぎながら、タムドクは懐を押さえて物を確かめた。小さな帳面と筆が二本。それを納める筒には墨も入っている。
 街の入り口の草地に、大きな石がある。杭が立てられ、みなが馬をつないだりする場所だった。石のまわりには、何やら字を書いた布切れや革の切れ端が重しをのせて置かれていた。丁寧に打ち付けられた物まである。覗き込むと、たいていは人探しや誰かの消息だ。人が集まる場所だから、いつしか誰かが始めたのだろう。タムドクは石の周りをぐるりと回ったが、目当ての物は見つからない。首を傾げてもう一度ゆっくりと回り始めた。ようやく足をとめて顔を寄せると、まじまじと覗き込んでぷっと吹き出した。何の暗号だバカ。コマの口調を真似て呟くと、一目散に駆け出した。

 

 粥屋の先の路地を入って行くとまた別の飯屋がある。炭火と肉を焼く匂いが漂い、味噌が焦げる匂いもぷ〜んと走った。こんなとこで働くのは辛いんじゃないだろうか?客もそれなりの身なりだ。道に張り出すように置かれた卓では、眉間に皺を寄せた男ふたりが肉をつついて酒を舐めている。コマを探してきょろきょろしているうちに、ふたりの会話がタムドクの耳に入った。
 売り時を逃しちまったな。高く仕入れすぎたから、下手に売ったら割り込んじまう。塩に手ぇ出すのは早すぎたか。でもそろそろ売り抜けなきゃ持ち堪えられん。
 そんなことを言いながらしょんぼりと肩を落としている。
 「塩を売るんですか。」
ついタムドクは口を挟んだ。いきなり会話に飛び込んで来た少年を、ふたりの商人は驚いて見つめた。
 「なんだお前、子どもはひっこんでろ。」
粗末ななりのタムドクを上から下まで眺めると、しっしっと手を振る。犬にするような仕草に、タムドクは呆れたように微笑んだ。
 「タム!おい!ちゃんとわかっただろ!」
不意に店の裏からコマが飛び出してきた。それを認め、手を上げて止めるとタムドクはやさぐれた商人ふたりを見下ろした。
 「もうすぐ軍用品の徴用があるかもしれない。」
少年の言葉に、ふたりの商人は顔を見合わせ、次にぽかんと口を開けてタクドクを見上げた。いつの間にか横に立っていたコマが目を光らせた。
 「百済での戦が長引いているから、もうすぐ援軍が出る。この前第一陣が出る時に徴用したから、市場にはまとまった物資がないし、次に大きな荷が着くまでに二月はある。多分、少し無理をしてでも高く買うのでは?」
商人がタムドクの腕を掴んで自分の横に座らせた。人差し指を立て、声を落とせと屈み込む。
 「それは道理だ。それで徴用はいつ?」
急き立てるように男は言葉を被せる。いつの間にかタムドクの横にコマが立っていた。
 「二割—」
 「五分」
すかさずコマが言う。
 「二割五分だ。」
おい。馬鹿言うな。コマの言葉に男たちは頭を抱えたが、すぐに返した。
 「一割五分がいいところだ。」
 「二割二分。」
 「二割」
う〜ん。コマは頭を掻いて、タムドクを見てにやっと笑う。笑いを堪えてタムドクが口を開いた。
 「二割。いいですよ。最初の伝令が入ったのが七日前、昨日また早馬が来ました。これできっと貴族会議にかかる。そうすると十日もしないうちに徴用が始まる。」
商人はまたぽかんと口を開けてタムドクの説明に聞き入った。
 「でもはじめは出入りの商人にしか口がかかりません。根回しが要ります。でもそれは大人の仕事。」
タムドクが面白そうに笑う。
 「元を割るより売り切ったほうがいいんでしょう?それなら悪くないと思うけど。二割。」
タムドクは酒臭い男たちから逃れようと立ち上がった。
 「名前を聞いてもいいですか?」
 「—パクとホンイだ。」
小太りな方が答える。
 「そのうち回収にいきますから、逃げないでくださいよ。」
タムドクはコマを振り向くと行こうか、と顎をしゃくった。塩商人の目が、歩き出したふたりの背中を穴があくほど見つめていた。

 

 歩き出したタムドクは呆れたように大きなため息をつくと、前に回り込んでコマの足を止めた。さも面白そうににやにや笑っている。
 「なんだ、あの駆け引き。」
 「はじめからそう言や、値切るに決まってら。あっちも値切って満足だろ?」
やるなあ。タムドクに言われてコマはあははと笑った。それにしてもほんとタムはいろんなこと知ってんな。やがて真顔で聞いた。
 「あいつら払うと思うのか。オレはいいだけ上前撥ねられてきたからな、信用できねえ。」
 「まあその時はその時だ。」
 「坊ちゃんは甘えからな。」
実際自分は甘いと思いながら、これはタムドクにとって実験のようなものだった。書物でしか知らなかったことが、ここでは本当に動いている。みんなが知恵を絞って働いて、何か食って生きてる。タムドクは手を上げて空に突き上げ、大きく伸びをした。もし金が手に入ったら、はじめての稼ぎだ。それでまず机の引手を買い戻す。それからみんなに履物を買って、帳面と筆も買おう。
 「ちゃんとわかるようにしとくって、言ったろ?ちゃんとわかったろ?」
コマが言うのは、石に置かれた伝言のことだった。それを思い出して、タムドクはまたぷっと吹き出した。粥の丼と骨がついた肉の絵が、ただ矢印で結ばれている。誰から誰宛ともわからない落書きが、色石で描かれていた。
 探すのが大変だから、居場所を知らせろと提案したタムドクに、コマは頭を掻いた。字が書けないのだと知って、タムドクはまたもや驚いた。しかしよく考えてみると、そう不思議ではなかった。民には字が書けるもののほうが少ないと知ったのは最近のことだが、コマに言われるまでタムドクには実感がなかった。衣食住のみならず、自分がいかに恵まれているか。コマを見ていると痛感する。
 「あれじゃあ暗号だ。それにあんなので書いたら、雨で流れちゃうよ。」
コマは肩をすくめた。
 「だったら毎日書きにいくさ。」
 「ヒマなのか。」
 「ああ、ヒマだ。この時期は仕事がねえ。だからお前と遊んでられるんだぜ。せいぜい粥を運ぶか、肉屋で肉を捌いて運んでる。肉のついた骨を割るんだ。ひとついくらでもねえから、篭一杯でって働きに値をつけた。でもあいつら、オレらがくすねやしないかって、そればっか見てる。あんな仕事やんの、結局オレらしかいねえのに。」
相変わらずのその日暮らしで、自分の口には入らない骨を割っているのか。タムドクはなぜか頭に血が上って、カッカしながら懐をさぐると、勢いよく筆と帳面を取り出した。
 「会えない時に字が要るんだ。教えるから。」
カネの勘定とは違って、コマは心底嫌そうな顔をした。
 「字かよ、何千とあるんだろ。やってらんねえ。」
 「いつも使うのはそんなにはない。百個ぐらいかな?」
ひゃくもあるのか、十が十個もあるのかとコマが大げさに目を回してみせる。
 「十は一が十個だろう。とにかくまず一つ、やってみよう。」
コマがじっとりとタムドクを睨む。タムドクも筆と帳面を押し付けて睨み返す。
 「ヒマなんだろ?字が書ければましな仕事があるぞ。」
諦めたように受け取ると、コマは珍しそうに帳面をバラバラとめくり、筆先を舐めた。粥屋まで来ると、サエが出て来てとびついた。
 「食い物をおごるから、その後字を教えるよ。サエもいっしょにやろう。」
タムドクの言葉に、サエは笑ってかぶりを振るとコマにまとわりついた。そういえばサエの声を聞いたことがなかった。歩きながらコマの顔を窺う。
 「サエは—」
 「しゃべらねえ。前はしゃべってたんだけど。つかそれもあんまり覚えてね。喋り出したと思ったらオモニが死んで、そしたら黙っちまった。」
コマが人の気持ちを先読みするように話すのは、この妹のせいかもしれなかった。話しかけるが返事はない。ただじっと見上げ、真っ白な顔で頷く。
 「サエも字がわかるとすごく助かるよ。きっと。」
タムドクはそう言って、ふたりと歩いて行った。いつものように、泥に汚れた仲間たちが三々五々と集まって、群をつくった。

 

 タムドクが読み上げながら帳面に手本を書いていく。コマもその仲間も息を止めて筆が走るのを見つめる。一文字書き終えると、一斉にはーっと息をついた。コマが筆ほどの小さな棒切れを拾い、手本を見ながら地べたに字を書く。幼い子たちが一斉に真似た。コマとサエのことしか頭になく、筆も帳面も二つきりしか用意しなかったタムドクは自分を恥じた。そうか、筆なんか要らないんだ。仲間が筆を奪い合ったりしないよう、瞬時に気を配るコマはやはりすごい。
 「おい、ところでこれ何だった?」
タムドクの無言の賞賛を視線で感じたように、照れを隠したコマが聞く。わたし、自分のことだよ。タムドクが答える。今言ったばかりじゃないか。みな一斉に笑った。その後はコマ、だ。
そこはみんな自分の名を入れるんだ、と筆をとって、帳面にまずサエの名を書く。
 「これでサエ、だ。」
白い頬に血気が登って目がきらきらと輝く。恥ずかしそうに帳面の文字を見つめると、地面に何度も何度も書いた。サエが一番熱心で、字を書くということが大いに気に入ったようだった。
 粥屋の女が通りかかり、地べたに屈み込んだ子どもらを不審そうに見た。
 「おやまあ、お前たち、字を習ってるのか。驚いた!そんな暇があったら—」
女はタムドクを見て声を落とした。
 「誰だって知ってたほうがいいですよ。」
丁寧なタムドクの言葉に女が俯く。
 「お前様が書いたのかい?」
笑って頷くと、女はサエの帳面を覗き込んでふん、と息を投げた。
 「読み書きできれば手紙を書けるかもしれないけど、もし書いたって戦場の下っ端になんか届きやしない。うちの人は百済の戦に行ってるんだよ。」
とっくに赤ん坊は生まれちまったよ。去り際、手が足りないからと、仲間をふたり連れて行った。塩商人には戦が長引くことをよい知らせとして伝えたが、とうていこの女には言えなかった。商人の戦はカネだが、その戦の裏で粥屋のように兵の家族が待っている。タムドクは筆を置いて女の背中を見送った。

 
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