屋根裏部屋
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少年は丘を越えて

 侍従たちが気づくのではないかと心配だったが、タムドクは腹を括って今日に決めた。離宮の書庫は小さくて、めぼしいものは大方読んでしまったが、そこに籠っていることを装って抜け出した。気が乗ると半日いることもあったから、きっとそう思ってくれるだろう。
 十日前、水路を伝って離宮と外が繋がった。コマにもっと詳しく聞けばよかったのだが、当然水路にもそれなりの柵はあった。脆くなったそれを先日の帰り道に苦労して蹴破り、石が積まれた溝の脇を通り抜けられるようになっていた。沓を履き替え、腹這いになってくぐる。キハのように跳べるようになって、そのうち塀を越えてやる。そう思いながらタムドクは外の世界に出た。こちらの壁から出ればすぐに宮殿の外郭で、そこは低い石の境界だけがある草地だった。街までは遠いが、林に沿って歩けば隠れるところが沢山ある。

 

 あいつ、居るかな。服を集めたりいつもの勉強をしながら様子をみているうちに、十日も経ってしまった。タムドクは気が急いて走り出した。ごわごわしたきものが心地よく風を通す。下女たちには悪いが、隙をみては洗濯物を失敬していた。これでもう変な格好だなんて言われないだろう。風が具合よくタムドクの髪を乱す。駆け続けて街に入った時には、額に汗を浮かべて明るく目を輝かせていた。
 市場を駆け抜けて職人街へ向かう。うろ覚えだが道は正しかった。コマのように人をよけ、荷車をよけて跳ぶように走った。やがて鍛冶屋を過ぎると、この間と同じく通りの奥でぱっと空が開けた。しかしはためく反物も、人の姿もない。染め物屋の仕事場はがらんと人気がなかった。誰もいない。タムドクは積まれた桶の横でぼんやりと立ち尽くした。
 「なんだ、またお前かい。」
聞き覚えのあるしゃがれ声がする。しんと静まった家から、老婆が半身を出していた。タムドクはほっとして歩み寄った。
 「こんにちは。ハルモニ。今日はみんなは—今日は染め物はしないんですか。」
礼儀正しい口調に、老婆は驚いてタムドクを見つめた。絹物づくしだったとコマから聞いていたが、一体どういう家の子どもだろう。コマといい、変わった子ばかりだ。
 「ふん、年中染めると思うかい。ここらで一度、春の染め物はおわりだ。草木が相手だからね。」
なるほど、タムドクは感心して頷いた。
 「それでみんないないんですね。どこに行ったら会えますか。」
さあねえ、老婆は気のない様子で頭を掻いた。みんなみなしごで、ねぐらも決まってないようだから。
 「今時分は染め物も草刈りもないからね。市場で荷運びか水汲みでもやってるんじゃないか。」
探してみます、そう言って跳ねるように向きを変えると、老婆の声が被さった。
 「お前、こないだのきものはだめになったろう。」
 「乾いたら黒い褐色になってしまいました。調べたらよもぎで染めるとそうなるって」
老婆は驚き、骨ばった顔に久しぶりの笑みが浮かんだ。それを隠すように手を振ってもう行けと促す。タムドクは一礼すると、兎のように走り出した。

 

 染め屋の婆は一言で市場と言ったが、子どもの足には広すぎる。あまり時間がないタムドクは通りをじっと観察した。大きな店が並ぶ通りは人も少なく、塩や麦が並んでいる。きっと大きな売り買いをする店だろう。店構えは立派で、あんなところがコマたちを雇うとは思えない。それとは逆の方向は食べ物屋が多いらしく、雑多な匂いや煙が流れてくる。賭博場もそちらにあった。きっとそっちだ。歩き出したタムドクの脚になにかがぶつかり、熱い汁がはねた。
 「あつっ、おい、熱いよ。」
脚を払って飛び上がると、小さな子が盆に乗せた粥を運んでいる。目があった。
 「お兄ちゃん!桶に落ちたお兄ちゃんだ」
苦笑しながらよく見たが、みな同じような年格好だったのでよくわからない。この子が居たと言われればそんな気がする。
 「やあ、コマはどこ?」
振り返り様に後ろを指差すと、そのまま小走りに盆を捧げ持って行ってしまった。
 「なんだ、みんないつも忙しそうだな…」
それでも指差した方へ行こうと向きを変えると、目の間でにんまりと浅黒い顔が笑った。
 「お坊ちゃんじゃねえんだから。オレたちはいつだって飯のためにうろうろ働いてんだよ。」
コマ!タムドクの脇腹をコマがふざけてなぐった。
 「このバカほんとにまた来やがった。今日はちっとはまともな格好だ。」
二人は並んで道ばたに腰を下ろした。コマは元気そうだ。浅黒い顔に目が光っている。
 「さっきの子、粥を運んでた。」
タムドクが脚をさすりながら言うと、コマは得意げにタムドクを見つめて説明を始めた。
 「粥が冷める前に届けるんだ。冷めたら駄賃は貰えないって約束だが、それでいつもより多く貰える。おれたちは細い路地まで知ってるからな。ここは商いで忙しいやつばっかだから、うろうろしてると粥をもってこいって注文もとれる。結構仕事になるんだぜ。」
タムドクは心底感心した。お前はすごいよ。コマ。
 「それでいくら貰えるんだ?」
好奇心から聞いてみた。経済の書物は読むが、タムドクは暮らしの中での金を知らなかった
 「いくらって、カネじゃなくて麦粉やらすいとんで貰うんだ。」
 「なんで?金も要るだろうに。履物やらきものは駄賃では貰えないだろう?」
コマはいかにも面倒臭いというようにひらひらと手を振った。
 「勘定ができねえからすぐ騙そうとしやがるんだ。騙されるよりすぐ食えるほうが先ってことさ。」
こんなに賢いやつが勘定ができないなんてうそだ。街で暮らしてるのに。誰も教えないだけだ。タムドクは道ばたの石を並べて、コマに計算を教え始めた。足し算、引き算はできるが、歩合と貨幣の姿を知らないから騙される。タムドクは十個の石を使って全体の割合を見せてやった。
 「めんどくせえけど、そうやっていちいち考えりゃいいんだな。それならオレにもできそうだ。」
 「できるに決まってる。コマはきっとすごい商人になる。」
子どもらの采配や、次々に仕事を見つける手腕にタムドクはすっかり一目置いていた。ほんとうは政にこそ向いていると思った。頬を紅潮させて言い募るタムドクに、コマはちょっと照れたようだった。黙りこんだところで間合いよくタムドクの腹が鳴り、二人はそれだけで笑い転げた。
 「なんか食うならあっちに店がいっぱいある。」
コマが指差すと、タムドクが恥ずかしそうに笑った。
 「金のことは知ってるけど、実は自分で使ったことがない。」
どころか金を持ったことがないというと、今度はコマが不審げに見つめた。
 「使わないくせに知ってんのか。」
またタムドクの腹が鳴る。
 「金はないんだけど」
懐から包みを取り出した。そっと布を開くと、美しい金が嵌った、家具の引き手が出て来た。コマは初めて見た道具とその金色に腰を抜かしそうに驚いた。
「なんだ、ものすげえ、きれいだ。一体何だ?」
タムドクも説明に困った。自分が嫌っている太子の居間の、重々しい文机の引き出しからこっそり外した取っ手だった。次に来るときはいい物を。どうしても金目のものが入り用だったが、そんなものは見当たらないし思いつかない。少しぐらついていた取っ手は、少なくとも金細工が金になりそうに見えた。こじるとすぐにぽろりと外れてしまった。ごめんなさい、いつか返します。小さく呟いてそっと懐に入れたのだった。
 「机の引き出しの取っ手。これって金になる?」
机も取っ手もコマは知らなかったが、質問には答えられた。タムドクの手の中を覗き込みながら、古い道具が並ぶ一軒の店に連れて行った。それからもう一軒。やがてふたりは小さな革の袋を持って出て来た。その袋が、タムドクの最初の買い物になった。



 「こんなに沢山のカネ、はじめて見た。」
コマはおそるおそる貨幣をひとつ摘んで掌に乗せる。そこにある数字を読み上げると、街で見聞きする物の値段とようやく繋がった。また別の貨幣を出す。
 「これが十個でこれと同じだ。」
タムドクが教える。同じ大きさなのに、そんなのはおかしいとコマが言うと、思いがけない反応にタムドクは口ごもった。
 「だって沢山になって重いじゃないか。袋が沢山要るだろう。だからそう決めて、みんながそうすればうまくいく。」
タムドクはいつの間にか、コマを相手に貨幣の仕組みを説いていた。
 「これ、やるよ。」
立ち上がったタムドクが袋を差し出すと、コマは驚いて目を見開いた。
 「いらねえ」
 「なんで?みんなに履物が買えるじゃないか。」
いいもん持ってこいって言ったのに。コマの眉間に皺が寄った。
 「盗んだって思われて、巻き上げられるのがオチだ。坊ちゃんのいいもんは良すぎんだよ。それはお前が自分で使え。坊ちゃんならカネもってておかしくねえからな。まあおかげでカネのことがちょっと分かったし、これからはちゃんとカネを稼ぐことにする。」
タムドクは誇らしげにコマを見た。ほんとうに凄いやつだ。こんなにちびで汚いのにさ。思わず白い歯がこぼれた。
 「何笑ってんだ。気味悪いだろバカ。さしあたって、そいつの上手な使い方があんだけど。」
通りの向こうを盆を下げた仲間が通る。コマが手を上げて合図をすると、すぐに数人が駆け寄った。
 「お前がオレらに腹一杯おごれ」
にやりと山犬が笑った。茶色い目が煌めく。タムドクは弾けるように笑った。あはは、そうだな。おれもものすごく腹が減ったよ。そのかわり、ここでは何をどうやって食うのか教えてくれよ。歩きながら、仲間がどんどん戻って来て、子どもの群れは十人を超えた。サエも戻って嬉しそうにタムドクに笑いかけ、コマの腰に取りすがって歩いた。囲まれて歩きながら、コマは覚えたての勘定について話した。一割じゃあ仕事なんて来ねえな。十に割った一つも寄越せなんて。その半分がせいぜいだ。五分、とタムドクが教える。粥屋には五分って言えよ。カネがわかると話がはええなあ。コマは感嘆の声を上げた。
 「お前なら誰にも騙されずに金を扱えるようになるよ。そうしたらこいつらみんなが助かる。」
 カネを持って散った仲間が、食べ物を手に嬉しそうに戻ってくる。少し歩いて、広いとこに座って食おう。コマの声でまた皆歩き出した。カネもお前もほんと気に入った。コマの声にまたタムドクは声をあげて笑った。

 
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