屋根裏部屋
space
space
 <--TOP PAGE 少年は丘をこえて <- Back   Next ->  
space space space space
line
space space space space
  1・・2・・3・・4・・5・・6・・7(了)  
space space space
少年は丘を越えて

 外に出たとして、戻る時にはどうするか。その答を見つけられないまま、タムドクは塀に沿って歩いていた。かといってこんな機会を諦めることはできない。実際に見て考えようと部屋を出て来たが、角を曲がったとたん、あれからさんざん練習した木登りは一瞬で無駄になった。若木は無惨に根元から伐られ、辺りには葉が散らばっている。がっかりして足を止めたタムドクの前を、一番若い侍従が通りかかった。太子に向かってきっかりと頭を下げると、伴った下男を使って葉を掃き集め、大きな篭に入れた。
 「伐ってしまったのか」
落胆した太子の声に、侍従は不思議そうに顔を上げた。
 「このように塀の際にありますと、賊が侵入する足がかりになりますので。コ将軍のお言い付けです。」
無念そうに小さな切り株を眺め、タムドクは辺りの塀を撫でんばかりだった。内側なんだから、むしろ脱出の足がかりになるんだ、と声に出さずに呟いた。塀の高さは大人の背丈の倍以上ある。キハのように壁でも走れなければ越えられそうにない。怪しまれるほど言い募ることもできず、タムドクはぼんやりとそのまま塀に沿って歩いて行った。その前を、篭を背負った下男が行く。炊屋の側に小さな門があり、衛兵がふたり見えた。

 

 結局、木登りも壁を走ることもせず、タムドクは離宮を囲む塀の外に立っていた。太子の白い絹の衣は、藍が褪めた荒い織の上着に変わっている。
 あれから門を見ていると、野菜や穀物を納める商人や農夫が頻繁に訪れた。自分と同い年くらいの子どもが荷を担いで働いている。ぼうっと立っている自分が恥ずかしくなって建物の蔭に入ると、下女の洗濯物が目に留まった。ふいに考えが閃いて頭の中を駆け巡った。実行は素早かった。目についた男物の上着を失敬し、脱いだ衣をぶかぶかの上着の下に丸め込むと、泥を掬って頬に擦り付けた。それから衛兵の目を盗んで門に近づき、塀の内側にただぼんやり立っていたのである。
 「こら、何をしている。用が済んだらさっさと出て行け。」
衛兵は泥だらけの主を門から送り出してくれた。タムドクの顔など知らないのだ。わたしもお前を知らないから、あいこだな。そう呟いてにんまり笑うと、タムドクは外の世界を歩き始めた。

 

***

 

 荷車が行き交い、罵声が飛ぶ。危ない!よけろ!そっちこそだ!市場の辺りまで来ると急に人通りが増え、街には人が溢れていた。大声で商う男たち、客引きの女の甲高い声、そこらじゅうが匂った。食べ物、饐えたもの、馬糞。麦わらに薬草、こぼれた酒。路地を覗き込むと賭博場らしい。数字が叫ばれ、歓声が湧く。不意に足下を小さな子どもが駆け抜け、タムドクは裸足の足に踏まれた。目の前を荷車が掠める。塩だ。書物でしか知らなかった経済がここで動いている。平時の国内城は民の活気に溢れていた。圧倒されて立ち止まる鼻先をまた荷車が掠め、タムドクは何者かにぐっと肩を引かれて危うく避けた。
 「お前な、どこの坊ちゃんか知らないが、歩き方も知らないのか。そんなんじゃ荷馬車に引っ掛けられて、その後はあっという間に有り金全部、着てるものまで身ぐるみ剥がれちまうのがオチだ。」
向き合ったとたん、まくしたてるような早口に、タムドクは目を丸くするだけで口を挟むことができない。浅黒い顔に目だけが光っている。ちびだが威勢がいい。噛み付くような勢いで喋るので、タムドクはだんだん背が反り、ついに一歩後ろに下がった。
 「下がんな!後ろに下がったら負けてるってことだ。舐められっぞ。噛み付かれても一歩も退くなバカ。」
タムドクは口が悪いこのちびがだんだん面白くなってきた。うすぼんやりしたヤツ、と言いながら、ちびもこっちを気にし始めているようだった。
 「このへんの歩き方を教えてやる。ついて来な。」
タムドクは肩を怒らせて歩く継ぎの当てられた背中を追った。
 「坊ちゃんって、どうして」
人ごみをすいすいとかき分けて歩くちびを懸命に追いながら、タムドクは叫ぶように聞いた。ちびは少しだけ歩を緩めると、振り向いて心底おかしそうに指差した。
 「借り着の下は絹だろ?そんな変な格好、逃げ出した貴族の坊ちゃん丸出しだ。ほんとバカ。」
ぶかぶかの上着を掻き合わせ、タムドクは居心地悪そうに周りを見回した。次はもう少し改良しよう、周りの身なりをきょろきょろ追っていると、あっという間にちびが視界から消えた。おい、口に出したとたん、左の腰を小突かれた。
 「ほんっとにぼおっとしてんな。ぐずぐずしてっと置いてくぞ。」
そう言って市場の外れから職人の住む通りへと入って行った。
 鍛冶屋だ。タムドクの足が止まった。奥から熱気が吹き出している。鎚音が響き、大声で何やら言い合う声がする。
 「今日はそっちじゃねえよ。」
ちびはタムドクの尻をひっぱたくと、気が急いたように通りを奥へ奥へと走って行く。やがてぱっと視界が開け、うわ、思わずタムドクが声を上げた。赤に緑、紫がかった藍、青空に色とりどりの反物がはためいている。ざっと風が舞い、ばたばたと布が鳴る。夢のような光景だった。
 「ハルモニ、錆鉄を拾ってきた。」
ちびが家の中に声をかけると老婆が顔を出したが、無言で頷きそのまま引っ込んでしまった。そこらじゅうに人が入れるような大きさの桶があり、黒っぽい汁が溜まっている。大きな竃に鍋がかかり、中には布が浸かっているものもある。どうやらここからあの美しい色が生まれるらしかった。一番大きな桶を感心して見つめ、腰を曲げて顔を突っ込むと、タムドクは底に貼り付くように残った黒い汁の匂いを嗅いだ。
 「よもぎ?」
呟いたとき、ぐらりと身体が傾いだ。桶の縁で危なげに均衡をとっていた身体が、そのまま一回転して中へ落ち込んだ。うわあ!という声を残して、タムドクの姿が消えた。変な匂い。体中、黒っぽい汁にまみれて尻餅をついていると、ぞろぞろと小さな顔が覗き込んだ。次の瞬間、一斉に笑いが起きた。ちびも笑っていた。それでもすかさず手を伸ばす。続けて伸ばされるたくさんの小さな手がタムドクを引っぱり、草の上に座り込んだ様子をじろじろと眺めた。
 「お前、、、まあまあ足は速いのに、ほんっとドンくせえ。なんだ、どろどろじゃねえか。あはは」
ちびは笑いが止まらない。転げ回って涙を流している。どこから現れたのか、小さな子どもたちが揃って真似をした。
 「何をやってるんだまったく。手伝いになりゃしないじゃないか。」
腰の曲がった老婆が、家の中から呆れた声を出した。
 「サエ、洗っておやり。しかしそれは落ちないよ。コマ、お前、笑い過ぎだよ。煩い子だねまったく。」
しゃがれ声の老婆は愛想がないが、それなりに子どもらには気を配っているようだった。タムドクは結局下着以外を全て脱ぎ、そこらにあった布を体にぐるぐる巻き付けると、サエと呼ばれた女の子について井戸の水をくみ上げた。女の子がごしごしと馴れた様子で洗うので、タムドクは布にくるまって、草の上で膝を抱えているしかない。そもそも洗濯など山里にいた時さえやったことがない。
 「お前、ほんとに全部絹を着てんだな。こりゃ驚いた。こんなにしちまって、オモニにどやされるぞ。」
気安い言葉に、ごく自然に言葉が出た。
 「叱られないよ。オモニはいない。死んだんだ。」
ちびは尻をついたまま草をむしると、それを放り投げながら天を仰いだ。
 「なんだ、じゃあおれたちと同じか。」
タムドクはちびの顔をじっと見た。浅黒い肌で瞳は鳶色だ。鼻筋が通り、異国の風貌が混じっていた。おれたち?タムドクが目で聞くと、勘所よく答えた。
 「サエは妹だ。」
顎で示す。こちらは真っ白な肌をして、まだ幼いながら一見してつくりが違う。
 「似てないけどきょうだいだぜ。」
笑わずにちびが言う。タムドクはただうん、と頷いた。どこからか現れた子どもたちは、水を汲んだり煮炊きをしたりとそれぞれ働いている。みな一様に継ぎ当てだらけのきものに裸足だった。
 「お前のハルモニなのか?みんなここで働いてるのか。」
タムドクの問いに、ちびはにやっと歯を剥いて笑った。薄い色の目が煌めいて、まるで狼か山犬のようだ。
 「おれんちなわけないだろ。働いてるっていうか、まあ、メシを食わしてくれる。ここだけじゃないぜ。鍛冶屋や飯屋にも、日替わりで行くんだ。」
逞しい。タムドクは眩しそうに浅黒い顔を見つめた。心なしか、髪の色もうす赤かった。
 「おれはコマだ。お前は」
コマ。そのまんまじゃないか。ちびだってさ。タムドクが吹き出してもコマは澄ましている。きっと慣れっこなのだろう。
 「おれは—ええと、タムでいいや。」
とっさに「徳」という字を外したのを、後になってタムドクは面白く思い出した。徳がないほうがぴったりだ。誰かに諱で呼ばれる機会だったのに、やはり名を伏せてしまって、タムドクはちょっと残念な気がした。それにしても、と首を廻して天を仰ぐ。だいぶ陽が回ってしまった。こいつは面白くて仕方がないが、あまり長居をするとまずい。
 「おれ、そろそろ行かないと」
衣類はまだずぶ濡れだったが、タムドクはまとわりつくそれをなんとか着込んだ。たしかに黒褐色のまだらに染まっている。コマが、送ってやるよと立ち上がった。
 「いや、いいんだ。ひとりで行けるから。お前たちは仕事中だし。」
コマがまたあの山犬の笑いを浮かべた。
 「こっそり来てこっそり帰るんだな。まあいいや。おおかた水でも伝って抜け出してきたんだろ。」
 「水?」
 「違うのか。でかい屋敷はたいがい水が引き込んであるから、昔よく炊屋に忍び込んだもんさ。飯をちょこっと頂くのに都合がよくてさ。バカ、今はやんねえよ。」
サエは黙って笑っている。
 「恩に着る!」
戻る方法を伝授されて、タムドクは勢いよく駆け出した。
 「今度はいいもん持ってこい。お坊ちゃん。」
投げかけられる声に手を振ると、そのまま来た道を戻った。コマだって。そのまんまじゃないか。チビめ。あはは、まだら色に濡れた衣をばたばた鳴らし、声を上げて笑いながら、タムドクは市場の喧噪を駆け抜けた。

 
space
 
space
    <- Back   Next ->  
space
line
space space space space
 <--TOP PAGE 1・・2・・3・・4・・5・・6・・7(了)  
 
  space  
line
  space  
  Copyright © kuro-kmd. All Rights Reserved. since 2010.  
  space