屋根裏部屋
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少年は丘を越えて

 うららかによく晴れて、遠く霞んだ山々はうっすらと白い花の化粧をしている。明るく陽が差し込む離宮の軒先で、タムドクは小さな欠伸をして背を伸ばした。昨晩からぶっ通しで読んでいる本は、十やそこらの少年にしては分厚い。それを閉じて小首を傾げると、何冊も危なっかしく重ねた書物の山の上にさらに積んだ。
 部屋でもなく通路でもない、回廊の端に四角く張り出した場所はタムドクのお気に入りで、太子の居間と定められた重厚な部屋には居たためしがない。父が王として即位するまで、タムドクは山里でのんびり育った。そのせいか風が吹き抜け陽が差す場所を好み、気に入りの書物を書庫から引っ張り出してはこの場所に寝転んで楽しんだ。見かねた侍従が椅子と卓を据えたので、今では読書はここでと決まっている。雨が降れば折り戸を半分閉めて、雨音を近くに聞きながら書に没頭した。
 遊び盛り、友だち同士で転げ回っているような年頃のはずだが、タムドクは分別臭い顔つきでもう一冊書物を抜き取り、手早く頁を繰っては指で行をなぞる。幼さの少ない整った顔立ちのせいか、学者のような仕草がよく似合う。先ほど閉じた書物を開いて読み比べると、納得した顔でまた両方を閉じた。離宮での暮らしには言葉が少ない。侍従は主が呼ぶまでじっと控えているし、身辺を護衛する近衛隊の将軍はおよそ無駄口をきく類いではなかった。
 「コ将軍を」
タムドクの声に、侍従が動いた。間もなく廊下で鎧が鳴り、足音が近づいた。太子の「部屋」の前で、将軍は歩を止めると年若い主の言葉を静かに待った。
 「今日は剣術をやってもいいかな。」
遠慮がちに問われた将軍は、口髭の端を上げて小さく微笑んだ。タムドクが文武両道を好むのが武人には嬉しく、熱心に教えを請う小さな生徒が可愛かった。すさまじい集中力でめきめき上達する様は末恐ろしくさえある。
 「本日は演武場が空いておりますから、お相手いたします。」
タムドクが椅子から飛び上がると、ゆらゆらと揺れていた書物の山がついにどさりと崩れた。あっと振り返ったが、すかさず侍従が「部屋」に滑り込んで束ねはじめた。
 「順番を変えないでくれ。わからなくなってしまうから。」
タムドクが白い歯を見せて悪戯っぽく笑った。賢しげに瞳が煌めいて、やっと年相応に見える。侍従もつられてつい笑みを浮かべ、注意深く書物を重ねていった。

 

 先に到着した近衛隊が、演武場を囲んでいた。まるで忍び込むようにその人垣を通り抜ける。人目を憚るのにタムドクもすっかり慣れた。近衛兵の助けで胴だけの小さな鎧を着ると、嬉々として自分の木剣を取り出した。それを見たコ将軍は、微笑んで壁際の棚から一本取った。
 「太子様。今日からこちらをお使いください。」
 「軍隊の?」
 「もう充分お使いになれます。」
少年の真っ白な頬に少し赤みが差した。将軍から木剣を受け取ると構えて振ってみる。頭上から斜めに斬り下げると返しながら受け、擦り上げて右脇から突く。腰の据わった見事な剣術の型だった。夢中になって、習い覚えた型を立て続けに行う。将軍は初めて演武場を使った時のことを思い出した。

 

 「槍の練習をするだけなのに、どうしてこんなに護衛が多い?」
演武場を囲む近衛隊に困惑して、タムドクはコ将軍を振り返った。
 「陛下のご指示です。」
予想した通りの答えに、タムドクは少し苛立ったように見えた。自分の武芸の鍛錬は隠さなければならないことなのだ。棒を固く握り、一二度地面を突いた。
 いつもの父王の言葉がタムドクの頭を巡っていた。
(お前が賢く、敏捷なことを誰にも知られてはならない。弱くて何もできないと皆に信じ込ませるのだ。皆がお前のことを忘れるように。そうすればお前は安全に過ごせる)
王の言葉はタムドクを一人ぼっちで隔離した。優れた教師が学問を教え、近衛隊長が武芸を鍛えたが、太子はいつも一人だった。タムドクは従兄弟のホゲのことを思った。チュシンの星が輝く夜に生まれたと言われる従兄弟は武芸に秀で、軍と遠征までしている。誰かが自分に害をなすことを父は恐れているようだが、ホゲは身を案じないのか。王の居室でそう尋ねると、父王は厳しい表情で穏やかに答えた。
 「聡いお前にはわかっているだろうが、わたしは後ろ盾のない王だ。お前を十全に守ってやれないかもしれない。お前は王になるまで、生き延びねばならないのだ。」
自分が王位につく、それは父王の逝去ということだ。嫌だ。そんなこと想像もできない。ホゲのヨン家は強大な権力を誇り、叔母を筆頭にあからさまに王を軽んじる。貴族会議に集う各部族の長は一筋縄ではいかない。その中の誰かが、自分に何かするとでもいうのだろうか。タムドクの考えはいつも堂々巡りで結論には行き着かなかった。考える材料が足りないからだ。きっと子どもの自分には、知りえないことが多すぎるのだ。だからって、何もできないふりをしてろだって!ひとりっきりで!学問で鍛えられた合理的な頭と、叶わないことの多い暮らしが生んだ諦めのよさで、下降する思いの渦から必死で浮き上がる。答が出ないことを考えるより、せめて身を守ることを覚えよう。
 そうしてタムドクは護衛の将軍に武芸の手ほどきを請うたのだが、それは将軍の知るところではない。槍でも剣でも。とにかく何でも学びたい。できれば素手でも。少年の申し出は将軍を驚かせた。王は武芸の修練に渋い顔をしたが、タムドクの運動の能力はすばらしかった。理由を考えて動くので覚えが早い。今では実戦の武芸のほかに、請われるまま兵法も教えていた。砂地が水を吸うように、少年はすべてを貪欲に吸い取った。本人にしてみれば、他にすることもなく、体でも動かしていなければおかしくなりそうだったのだが。

 

 「コ将軍」
固められた赤土の上で、タムドクが木剣を構えていた。数カ所の櫓に囲まれた土の広場の真ん中に立ち、静かに手合わせを待っている。将軍は頭を下げて主を待たせた非礼を詫び、槍で応じようと急いで棒を取り上げた。また背が伸びて、少年はひょろりと華奢にさえ見える。ハアッと気合いを発し、タムドクの剣が突き出された。やおら互いに打ち付ける。タムドクは無心で打ち、薙ぎ払い、また突いた。

 

***

 

 演武場から戻ると、タムドクは塀に沿って歩いた。出歩くことは許されないが、離宮の中は自由だった。どこかしらに侍従の目はあったが、住み始めて以来、タムドクはあらゆるところを歩き回った。今では炊屋の裏手で剣の練習をしたりする。
 高く巡らされた塀は、タムドクの孤独の象徴だった。タムドクはよくその内側に沿ってぐるりと歩いた。何かを確かめるように、塀に軽く手を触れながらぶらぶら歩く。夜を徹して本を読み、その上剣術の修練をしてさすがにくたびれていた。欠伸をかみ殺しながら読んでいた法律について考える。民に種まきの穀物を貸すんだって。面白い。
 その時指先が石ではないものに触れ、次に顔から樹に突っ込んだ。塀に沿って若木が枝を伸ばしている。まだしなやかな枝は少年の肌を傷つけなかったが、うわっ、という叫びでどこからか侍従がとんできた。
 「お怪我はございませんか。申し訳ございません。すぐに伐らせます。」
タムドクはつやつやと茂る葉を弄びながら樹を見上げた。枝先がわずかに塀の瓦を越えている。
 「いや、伐るな。かわいそうじゃないか。」
そう言ってその場を離れた。にやっと持ち上がる口元を片手で覆うと、侍従をやりすごして「部屋」に戻った。

 

***

 

 「それがまたいい具合に、宮の裏手なんだ。」
何にいい具合なのか、タムドクは楽しげに謎をかけたまま、塀に生える若木の話を締めくくった。暗闇の中のキハは笑っていない。書物を胸に抱いて炊屋の裏手の草地にしゃがみ込み、瓶の蓋を拾い集めている。地面に並べた木の丸い蓋を踏みながら、キハはタムドクに請われて柔術の足さばきを教えていた。春の夜の湿った空気の中を、踏みつけた草が香った。
 「何かまたよからぬことをお考えですね?」
キハはため息まじりにタムドクを振り向いた。長い髪が風に揺れている。
 「またとはなんだ。」
大げさな顔で抗議してみせると、嬉しそうに微笑んだ。見習い神官のキハは聡明で、もの静かな聞き手だった。一方で夜中にこうして出歩く大胆さもある。久しぶりにキハに会えたので、タムドクは饒舌になっていた。
 「わたしはお考えになっていることは手伝いませんよ。」
そう言われてもやはりタムドクは笑顔だった。
 「そう?」
それだけ言って、男のなりをした美しい少女を見つめた。ある夜中に王宮の書庫で出会って以来、タムドクはありとあらゆることをこの年上の少女と共有したかった。見習い神官がなぜ武術に長けているのか、なぜ夜中に王宮をうろつくのか、キハには謎が多かったが、タムドクはそれらの疑問に無意識に蓋をしていた。
 タムドクの視線に負けたように、キハは微笑んで首を振った。
 「抜け出してはダメです、太子様。」
 「城下はそんなに危ないのか。」
ますます興味をそそられたようにタムドクの瞳が輝く。キハは思わず失笑した。
 「塀を越えるには」
タムドクは立ち上がって辺りを見回すと、短くなった蝋燭の向こうに手頃な樹を見つけた。
 「こう、樹があるとするだろう。その向こうが塀だ。」
ぶつぶつと一人で呟きながら、腕組みをしている。その後ろからキハが走り、地を蹴って高く跳ぶと枝を掴んで宙に舞った。さらに高い枝に手をかけ、するすると登る。
 「太子様にはまだ越えられません。」
そう言うと、樹の向こうの闇に飛び降りた。ようやく来てくれたと思ったのに、キハとの時間は一方的に終わってしまった。いつもそうだ。こっそり現れて、またこっそり消えてしまう。一人残されたタムドクはキハが消えた闇を見つめ、相変わらずの身軽さに舌を巻いた。ああはいかないが、自分もなんとかやってみようと考えを巡らし始めた。

 
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