屋根裏部屋
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 一万なんだって。
 いつものように雑多な音で溢れた市場の隅。喧噪の中、切り抜いたようにそこだけが聞こえた。
 「…一万?」
 「なにが?」
 「いや、わからん。そう言ってた。」
  酒の瓶に伸ばした大きな手は、筋張って褐色。肌の色のせいか、爪がほんのり桜色にみえる。その手の主は、半分椅子に寝そべるような格好になっていた。
 お前、飲み過ぎだ。かたちのいい長い指が、もうひとつの酒瓶を取り上げるとそのまま口元に運んだ。
 「一万ねぇ。」
傍らの細い指先は、丼の中の骰子をからからといじっている。傾げられた首から、艶のある髪がさらりと流れた。一つに結わえられ、馬の尾のようだ。
 先ほど飲み過ぎと揶揄った、低い滑らかな声が割り込んだ。
 「一万か。それだけの軍があれば、遼東をもう少し手厚く守れるな。」
 「お前、太王は和平を旨とす、じゃねぇのかよ。頭の中は戦で一杯か。」
 「攻めるではなく守ると言ってる。」
 「ともかく兵隊で一杯ってことだろ。」
褐色の手が卓上に酒瓶を戻す。すかさず華奢な手首が返されてそれを取り上げた。
 「チョルロ族の蔵には酒が一万本くらいはあったなあ…」
 「そしてお前の連れ合いの頭は酒で一杯だ。」
 「この将軍が飲んでるときは平和ってことさ。」
あはは。真直ぐな黒髪が揺れた。
 「どう、もういっぺん勝負する?大商人らしく、大胆に賭けなさいよ。」
 「おれは波が来てねぇ時には張らねぇの。」
 「勝てないってわかってるわけか。それじゃ負けた方が飲むことにしてあげる。」
 「勝っても負けてもどうせ飲むだろう。」
柔らかな声が低く笑う。かざした酒瓶が振られた。もう一本、いや二本もってこい。
 「お前だって飲み過ぎだ。」
齧りかけの肉が皿の縁に置かれるや、褐色の手がつまみ上げた。白い歯が覗き、器用に鳥の骨を外す。
 「ちょっとー、人のを盗らないの!」
ゆったりと衣擦れの音がして、卓上に伸ばされた白い手が、自分の前の皿を押しやった。

 

 「お前は一万と聞けば何なんだ。」
コマは猫がするように、柔らかく背を反らして起き直った。
 「そりゃあカネだ。一万の銀があれば、どうかな、三度の商いで十倍にしてみせる。」
スジニは王がよこした串焼きを頬張っていた。
 「ふぁんたはほこほんひょうばいにんなほねぇ。」
こいつ何だって?
 コマが笑い転げる。お前のお妃様はほんと面白いわ。お上品な女をごまんと囲ってるかと思ったのに。
 「そういう甲斐性はないんだ。」
俯いた王がくっくっと笑いを飲み込む。無愛想な給仕女がドスドスと近づき、酒瓶をどんと置いていく。それを取り上げ、スジニの丼になみなみと入れてやった。
 「王様、骰子が…」
 「賭けて飲むからいくら酒があっても足りないんだ。そうやって沈めておけ。」
沈んだ骰子を睨みながら、スジニが丼から酒を飲む。陽が傾いて、あたりはだんだん金色に染まり始めた。
 「だからおれに投資しろよ。」
やだやだとスジニは片手を振り、丼から救い出した骰子に唇をつけて酒を吸った。薔薇色の唇が小さく音を立てる。鳥の足を咥えたまま、コマの動きが止まった。
 「スジニ、骰子に口づけなどするから、誰かが見とれてる。」
にやりと笑った王が、柔らかに波打った褐色の髪を小突く。されるがまま、コマがぼやいた。好きに言ってろ。
 「お前ら、ほいほい抜け出してきやがって。今度は宮殿で飲ませろよ。」
 見る間に陽が傾いていく。あたりを見回したコマの声は、少し感傷の色を帯びていた。ここでちいさな妹を亡くして以来、国内城の雑踏を避けていた。今では桁違いに大きくなったが、この街はやはり昔と同じ匂いがする。
 絹も冠も宮に置いてきた王は、ざんばらに乱れた髪の間から、幼馴染みを穏やかに見つめた。過ぎた時間の全てを慈しみ、弔うべき想いは弔おう。友とは一度城下で飲もうと、かねてより思っていた。コマもおそらくそれを察し、それに応じてここに居る。
 引き合わせた時からコマとスジニはよく馴染んだ。すっかり旧知の仲のようにじゃれている。そういえばかつては似たようなもの、そこらの軒先で育ったガキ同士だ。

 

 酒を啜りながら、タムドクはのんびり呟いた。
 「何が一万なんだろうな。」
 「さあね。女の声だった。数ばっかよく聞こえんだよ、おれは。耳についてしょうがねえ。数に好かれてんだな、きっと。」
 スジニが笑う。大人、カネじゃなくて数なんだ?
 「おれにとっちゃ同じだ。」
 肘を上げて大きな欠伸をする。タムドクは、コマの目に浮かぶ様々な色を見守っていたが、その目が閉じたのをきっかけに視線を遠く外した。薄く微笑み、今度は自身が何かに耽るようだった。
 「一万…人?」
 「の、いい女。」
 「一万…尺?」
 「の、山。万年雪を被った山が、外つ国にあるらしいぜ。」
 「一万…里?」
 「そりゃ今度おれが向かう先だな。」
家路に向かう急ぎ足に紛れた声が、スジニとふざけるコマの耳に届いた。

 一万アクセスなんだって
 いつもありがとうございます

 「あくせすって何だ?」
コマの声に、タムドクは我に返ったように頭を上げた。国内城は黄昏—。

 

(了)

 
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